近畿地方の石造物⑯:徳融寺宝篋印塔(藤原豊成供養塔)

画像1

画像2

名称:徳融寺宝篋印塔

伝承など:藤原豊成、中将姫供養塔

所在地:奈良県奈良市鳴川町 徳融寺


近鉄奈良駅から南に進んだ「ならまち」エリアの一角にある徳融寺は、右大臣藤原豊成の屋敷跡と伝承され、豊成の娘の中将姫が生まれ育った場所と言う。

中将姫は伝説上の人物であるが、境内には豊成と中将姫の供養塔と伝わる二基の宝篋印塔がある。

豊成の供養塔(一枚目)は破損が激しいものの鎌倉時代後期の作と推定され、古様をとどめた宝篋印塔である。

中将姫の供養塔(二枚目)の方はだいぶ時代が下り、室町時代の作である。

なお、この二基の宝篋印塔の間には笠塔婆が一基あり、こちらも鎌倉時代後期の作である。

画像3


同じ「ならまち」エリアにある十輪院は、奈良時代に吉備真備の長男・朝野魚養が創建したと伝承され、鎌倉時代以降は地蔵信仰の寺として栄えた。

戦国時代の兵乱に遭って堂宇の多くが被害を受けたものの、鎌倉時代の本堂が現在に伝わっており国宝に指定されている。

本堂内にある本尊は、地蔵菩薩を中心に諸仏が刻まれた日本では珍しい石仏龕で、重要文化財に指定されているが堂内にあるため撮影は出来ない。

境内には他にも石造物が多く、特に塔身に釈迦・薬師・阿弥陀・弥勒の四仏を刻んだ鎌倉時代後期の層塔は目を引く。

当初は十三重の層塔であったが、現在は惜しくも三層が失われてしまい現在は十層である。

画像4

また鎌倉時代の作で彩色もわずかに残る不動明王石像(二枚目)や、同じく鎌倉時代の作で、興福寺の堂宇や諸仏が描かれた珍しい興福寺曼荼羅石(三枚目)もある。

画像5

画像6

#奈良県 #奈良市 #ならまち #徳融寺 #宝篋印塔 #藤原豊成 #中将姫 #十輪院 #層塔 #鎌倉時代 #笠塔婆 #石塔 #歴史 #日本史

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?