南関東の石造物㉗:光福寺宝篋印塔
名称:光福寺宝篋印塔
伝承など:比企尼妙明・藤原光貞の供養塔
所在地:埼玉県東松山市岡 光福寺
東松山市の光福寺境内の覆屋内には、ともに在銘の宝篋印塔と板碑(二枚目)が並んで建つ。
このうちの宝篋印塔は、二メートルを超える大型塔で、鎌倉時代末期の元亨三年銘があり、重要文化財に指定されている。
銘文によると、「沙弥閣阿」という人物が、光福寺の大檀那であった比企尼妙明と藤原光貞を供養するために造立したものであり、おそらく閣阿による父母供養塔であろう。
藤原光貞の詳細は不明であるが、児玉党の一族の黒岩光貞とする説もある。
この宝篋印塔は、関西形式の基礎と、関東形式の笠・塔身をあわせ持ち(塔身の「宝篋印塔」の文字は追刻)、関東に宝篋印塔が普及していく過程で造立されたことを示す貴重な事例であり、関東地方における鎌倉時代宝篋印塔の代表作の一つと言える。
なお。1980年の解体修復工事の際に、塔の下からは舎利容器が出土している。
宝篋印塔と並んで建つ阿弥陀三尊板碑には、鎌倉時代後期の嘉元四年銘がある(今回の写真は十年以上前に撮影したもので、当時は覆屋内に入ることが出来たが、現状がどうであるかは不明)。