北関東の石造物⑤:庭谷五輪塔群(伝・庭谷氏墓所)




名称:庭谷五輪塔群

伝承など:庭谷氏の墓

所在地:群馬県甘楽郡甘楽町庭谷 阿弥陀如来堂


甘楽町庭谷は、鎌倉時代には庭谷氏と言う豪族が土着していたが、鎌倉幕府の滅亡に際して没落し、戦国期にも小幡氏の家臣として庭谷氏がこの地を治めていたと言うが、両者の関係は定かではない。

庭谷の慶恩寺の一部である阿弥陀如来堂の傍らには、庭谷氏歴代の墓と伝承される五輪塔群があり、現在は覆屋がかけられフェンスで囲われている(慶恩寺は庭谷氏の開基と言う)。

五輪塔は南北朝時代の建武三年銘を持つもの(六枚目)が最も古く、向かって右端(三枚目)と右から二番目の五輪塔(四枚目)も、ほぼ同時期のものと推定されており、いづれも凝灰岩製である。

また右から三番目の五輪塔は(五枚目)には、観応元年銘があり、前述の三基よりもやや下る時期の作で、石材も砂岩(近在の牛伏山から切り出される牛伏砂岩)で異なっている。

残る二基の石塔(七番目、八番目)も、砂岩性であり、観応元年銘の五輪塔とほぼ同時期の作であろう。

庭谷氏が鎌倉幕府の滅亡時に没落したのであれば、南北朝時代の銘のあるこの五輪塔群を、伝承の通り庭谷氏の墓とするのはやや疑問もあるが、在地豪族の一族墓所には違いあるまい。

あるいは、庭谷氏の一族で、戦国期に現れる庭谷氏につながる系統の墓所鴨知れない。

西毛地区で南北朝時代期の五輪塔によって構成される一族墓所の事例は他になく、いづれもほぼ完形なことを考えれば貴重である。


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