「過去を捉え直すことで、夢に出会えた話」をさせてください。
ちょっと前置き
はじめましての方も多いと思うので、少しだけ自己紹介を。
せきと申します。
大分生まれの30歳。1歳の女の子の母でもあります。
趣味は建築巡りと華道(今はできていないけど茶道も好き)。
趣味を通して、自分を知り、気持ちが整う瞬間が好きです。
目の前の1人のために制作することが得意で、
現在はロゴデザイナーとして活動中です。
そして、先日、ライフログスクールを卒業しました!
▼ライフログスクール折返しを迎えたときのnote
▼そもそもライフログスクールって?
人生を祝うプロデューサー オア明奈さんが主催。過去の出来事(事実)の整理だけではなく、内的変化や感情の棚卸しと言語化を通じて自分を深く知り、常に立ち返る指針と共に人生をデザインすることを目的としたオンラインスクールです。(公式ページ抜粋)
建築を一時諦めたわたし
大学時代、わたしは建築学を専攻していました。
そんなわたしが、今はフリーランスのロゴデザイナーとして活動をしています。
そもそもなぜ建築を仕事としていないのか。
建築を「諦める」ことにしたのには理由があります。
周りが就職活動や大学院試験で慌ただしくなった大学4年生の頃。わたしは卒業制作の最中でした。
建築は素敵な仕事です。
建築には力があると信じています。地域を変える力。世の中を変える力。
たくさんの人を幸せにする力。
だからこそ、わたしは建築が好きです。
ですが当時、建築を学びながら、誰にも言えず、密かに感じていた自分が持つ価値観への違和感がありました。
「たくさんの人の幸せより、目の前にいる1人を幸せにしたい。」
そう思ってしまうわたしは、人として力不足だし、未熟だ。
たくさんの人を幸せにする建築が大好きなのに、
目の前の1人を幸せにしたいと思う自分はわたしの建築をしない方がいいと思うようになりました。
次第に気持ちも落ち込んでいき、人に会うのが怖くて、家から出られなくなってしまったこともあります。
そして、大学院に行く夢は諦め、留学をすることにしました。
もっと、卒業制作を楽しむことができたら。落ち込んだりしなければ。もっと、たくさんの人を幸せにしたいと思える自分だったら。
まだ建築をできていたのかも…
そう思いながら、今まで過ごしていました。
10年後ライフログスクールを通して、過去を捉え直した
なんとなくモヤモヤというか心残りがあった、この卒業制作という出来事をライフログスクールを経て、捉え直しをしました。
卒業制作=力不足な自分、未熟な自分と向き合う出来事。
を、
卒業制作=「たくさんの人の幸せより、目の前にいる1人を幸せにしたい。」という自分の価値観を知ったそれ「だけ」の出来事。
と捉え直したのです。
(明奈さんとのカウンセリングの最中に、この捉え直しが腑に落ちた瞬間、スッと何かがなくなるような不思議な体験をしました。)
建築を今もしていない自分をずっと恥ずかしいと思っていました。
たくさんの人に向かって仕事をしている友人たちに対して、1人の人に向かって仕事をしている自分が力不足で未熟で、恥ずかしかったのです。
ですが、「たくさんの人の幸せより、目の前にいる1人を幸せにしたい。」
これが、わたしの価値観なので、自分の価値観に合う仕事をしているんだと、自分に自信が持てました。
そして、この恥ずかしいという気持ちも分析することによって、無くなりました。
すると、不思議と未来のことを考えられるように
ライフログスクールで過去の洗い出しをしたことで気がついたのですが、建築家を目指していたときはたくさんの夢がありました。
でも、「諦めた」あの時から夢を抱かなくなっていました。
10年経った今、過去の捉え直しをすることで、未来を考えられるようになりました。
ずっとしてみたかったことにチェレンジしたい
やっぱり、
建築が、
空間が、
好きなのです。
今自分が持つ価値観で、空間を向き合うことができないか。
そう考えるようになりました。
「旅する2畳」
大学院生なら携われる2畳のプロジェクトがあり、大学時代から2畳の可能性を感じていました。
いつかやってみたい。
そう思っていましたが、建築を「諦め」、大学院への道を「諦め」、留学を選んだとき、その2畳への夢も「諦め」ました。でも、10年経った今、夢であった2畳の可能性を模索してみたいと思うようになりました。
2畳が持つ可能性を使って、いろんな空間を見たい。
2畳という空間だけが全国を旅するように移動し、周辺のさまざまな影響を受けることで、変化する様子を見てみたい。
そう夢を抱けるようになりました。
なぜ2畳?
今自分が大切にしたい空間への関わり方と純度は2畳が一番いいと感じています。
わたしが人生で最も感銘を受けた美術館は、フランスにある「オランジュリー美術館」です。
これはモネの睡蓮を飾るために設計された美術館です。
展示室へ入るための入り口。そして、展示室。そして、言わずもがな、睡蓮の素晴らしさ。そこに存在する言葉にならないほどの純度に涙が出てきました。
(初めてこの美術館に入室した時、空間が自分に向かって吸い付くような不思議な経験をし、圧倒され、涙が出てきたのです。)
この美術館は、たった一つのことを体感・味わうための空間の力を実感できる建築なのだと思います。
こんなふうに純度の高い空間にチャレンジしてみたい。
そのために、2畳という適度な余白と制限はぴったりなんじゃないかと感じました。
1畳だと狭すぎるけど、1部屋だと大きすぎる。
適度な余白があることで、
❶最小限の動線が生まれる。
❷余白があることで、その空間にあるものがより引き立つ。
適度な広さの制限があることで、
❶余計なものを入れることことができず、必要最低限となる。
❷複数の役割を1つが担うといった工夫が必要となることで、新たな表現が生まれる。
❸身体スケールに寄り添ってくる。
と考えています。
あのとき諦めた2畳に再度チャレンジしたい。
第一弾は母の花のために。大好きな祖父母の家で。
わたしは、母が生けるお花が大好きです。
でも、展示会に行くと、多数の中の1人。たまたま、良い場所(背景が白かったり…など)で生けることができることはあっても、毎回というのは場所の都合上難しかったりします。
わたしにはそれがとてももったいなく感じるのです。
建築家になったら、母がいつでも大好きな花を生けれる場所を…と思っていました。
でもそんな夢も、建築家になることを諦めたあの日、一緒に諦めていました。
でも今、その夢を拾い上げ、母の花のために純度高く2畳を作ります。
そして、場所はもう亡くなった大好きな祖父母の家(母の実家)でと決めています。
祖父母の家も、敷地構成がすっごく面白くて。この敷地が持つ特徴を2畳と呼応させたら…と思うとすごくわくわくします。
第一弾のお披露目は、花が一番揃い、涼しく花が長持ちしやすい秋を予定しています。
(その前に、第0弾を画策中…)
空間が完成した時、母の花がより生き生きと見える空間になりますように…