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知らなかったばっかりに、大きな代償を払う事になってしまった|化学物質過敏症|解き明かす問題がわからない|


|みなさんは、ゴキブリに殺虫剤をかけたことがありますか?|またそれを見たことがありますか?

知らないということは、恐ろしい事です。「化学物質過敏症」を患って重篤な状態になると、殺虫剤まみれで、苦しみもがくゴキブリ状態になってしまうなんて、夢にも思っていませんでした。

そのことを知っていたら、そうならないように簡単に避けられたのに…。


【人生をなくした瞬間】

2004年仕事場のフロアーカーペットの接着剤で暴露|重篤な状態に陥った時から「化学物質過敏症(CS)多種化学物質過敏症(MCS)」を患っています。当時は、情報が少なく「化学物質過敏症」という名称さえ、知りませんでした。

這いずりもがき苦しんでいるのを見る人も驚くでしょうが、当事者も同様に驚きます。しかし、それは同時に「生き地獄」の扉を開いてしまった瞬間でもあったのです。

他の同病の患者さんもそうでしょうが、ただの日常が一瞬にして、こんな状態になるなんて想像もつきません。

化学物質過敏症は検査結果が出ないので、多くの病院で健康体だと診断され、病名もつかず、なにも解決策がないままもがき苦しみ、殺虫剤まみれのゴキブリのように、このまま苦しみながら死んでいくのだろうと周囲や私本人も恐怖におののいていました。


【もう二度と会えないと覚悟した人】

化学物質過敏症になって出来なくなったことはとても多くて、手足が皮膚炎でボロボロなので、人と握手することは出来ませんし、サンダルも履けません。

1週間から半月ほど動けなくなるのを覚悟すれば、交通機関を使って遠方へ行き、無事に帰ってくることだって出来るのですが、それでも人混みの多いところはいかれませんし、衣類についた香料がひどくなり始めた頃から、美容室に行っていません。

髪を何年も切ることが出来ず、海辺や川辺に青空美容室があって、屋外で髪をカットしてもらえる夢をみてしまうありさま…。

丸めてお団子にして結い上げた長い髪を鏡で見つめてため息をつき、自宅で聞く打ち上げ花火の音に心を痛めていました。

ただそれだけならよいのですが、殺虫剤まみれのゴキブリになると、外も家の中もいることができません。周辺の環境が悪化する要因になるのなら、影響しない場所に移動が必須になります。引越しや避難場所に出費する金額は大きな負担です。

本人は苦しくても見た目は鬼の形相になるくらいで、変化らしい変化はないので「なに?この人?」と誤解され、異質なものとして扱われてしまいます。

音信不通を気遣う家族、友人の体臭さえも苦痛になり、苦しさのあまりどんなに注意を払っても意味不明で容赦ない言葉を投げつけ、自ら拒絶してしまいます。


見えない敵に戦いを挑む

【地獄の出口を探す】

化学物質過敏症を発症してから5年。本格的な漢方治療が始まって2年半で日常生活が送れるようになりました。

しかし、その後、乗り越えたと思った化学物質過敏症の悪化は「除草剤」「3次喫煙(車のシートからのタバコ臭)」「天然100%アロマ」など、逃げられない状態で暴露し、動けなくなって職を失い、また時間をかけて「治療」をおこない、やっと落ち着つかせて再就職しても、あっという間に悪化するということを繰り返し、殺虫剤まみれのゴキブリ状態は続いていました。

治療をして一時期好転しても、どこに逃げようが身の回りの科学物質が多すぎて、からだが追いついていかないのです。

化学物質や環境への耐性がなくなった化学物質過敏症の人達にとって、その耐性がつかないかぎり、環境の化学物質が上回って、ザルで水をすくうごときに、手立てがないという事が、発症してから9年目にしてやっとわかってきました。

そこで、医師に相談をしながら、まず、詳しく症状と行動記録をとって、傾向を調べ、そこから仮説を立て、なにをどうすれば「過敏状態の緩和」が出来るのか?「過敏症のコントロール」をするのにはどうしたらいいのか?

解き明かしたくても、解き明かす問題さえもわからない、誰も、なにも知らない事への取り組みが始まりました。


【模索の日々】

なにもわからないのに、どうやって答えを引き出せばいいのでしょうか?

正直、医療従事者でもないし、ケミカル系の専門知識がない私には全く見当がつきません。

仕事でマーケティングや統計の勉強はしたけれど…。どの分野も専門外です。わからないことに挑戦をする無謀さは重々承知していました。

ただ、理論上の話ではなく、化学物質過敏症患者である自身が人体実験をするのだから、なにか有効なデータが取れるかも知れないという淡い期待はありました。

やったことが、すべて無に帰すことだってある挑戦でしたが、同じように苦しんでいる同病のひとの事を思えば、いい加減な答えを出すわけにはいきませんでした。

自分が今どんな状態か把握して、出来るだけ正確なデータが必要だったために、まず、基準をつくり、好転していくもの、悪化していくものを出来る限り数値化しようと務めました。

見えない敵に挑み始めてから3年目に「過敏状態のコントロール」の方法が見つかりました。それをきっかけに4年目にホームページ「自分のからだと話そう!|からだふぁん|からだふぁん管理人の独り言」を開設して「過敏状態の緩和」を目指し、日々の生活の中で「からだへサポート」ができるものを見つけては情報をUPして、化学物質過敏症の患者さん達と情報交換する日々が続きました。


【苦痛と孤独とプライド】

それまで、化学物質過敏症患者さんでも使用できる商品テストやブラインドテストなどを数多くこなし、家の中の化学物質が軽減できる方法などを試してきたものの、今までとは違う取り組みに、戸惑っていました。

さらに病状と闘いながらなので、詳しい症状と行動記録を取ることやデータの集計がとても困難でした。なにより、環境や化学物質に影響されていない時間が少ないのです。

正直、殺虫剤まみれのゴキブリのように、苦しみもだいている状態だったら、余計なことを考えないのですが「過敏状態のコントロール」や「からだへサポート」することで「過敏状態の緩和」が少しでもできるようになると、あてもない実験に一人取り組んでいる孤独感が襲ってきたり、悪化している時に出した結論を突然に思いだし後悔したり、今まで人に教えていたExcelが突然、出来なくなって簡単な関数もわからなくなり失笑されたり怒られたり…。

そのレベルがあまりに低すぎて、無能扱いされることも多くプライドはずたずたになり、忍耐強くならなければなりませんでした。

それらは、化学物質や環境のせいだと理解していても、なかなかうまく心の調節がとれないのです。

また「よく生きていられるね」「まだ死んでなかったの?」「死ね」「バカ」などと、テレビ、インターネット、お笑い番組、人の会話など、世の中で安易に使われている言葉が、私自身に向けられたものではないとわかっていても、ジョークとは受け止められず、追い詰められて、ひとり、部屋の中で泣き叫び、怒鳴り散らしたり、部屋の隅でとまらぬ涙で動けなくなったりと、化学物質や環境だけではなく、なにも知らない悪魔のような他人の言葉に追い詰められ感情を掻き立てられていました。

自分たちは冗談のつもりの何気ない言葉って、本当に恐ろしい…。

「過敏状態の緩和」が出来ることによって、かえって心意的負担が増えるのなら、考え方が間違っているのではないのか?」
「この実験を続ける必要があるのか? やめた方がいいかもしれない」

そんなことを自問自答するたびに、もう二度と会えないと覚悟した人の笑顔が脳裏を横切り

「どうしているだろう…。悲しい事は起こっていないかしら?笑顔で暮らせているだろうか?できるならもう一度だけ、ただ、一度だけでいいから会いたいな。今、辞めずに歯を食いしばったら、遠くから姿だけでも見守ることはできるかな?」とただ恋しくて切ない願いが全身を包み込み、その思いだけで実験を続けました。

今なら「過敏状態の緩和」が維持できれば、いずれ穏やかな日常がやって来て、悪化しない限り、心意的に苦しい事は起こらないとわかるのですが、模索の日々はすべてを否定したくなるほど、つらかったのです。


起きた奇跡

「過敏状態の緩和」は安定して出来ているのですが、化学物質や環境への耐性が戻ったわけではありません。

24時間365日、様々な症状に襲われているのは変化はなく、耐性があれば簡単にできることも突然できなくなったり、呼吸をしたくて家の中を徘徊したり、交通機関を使った外出から帰ると過敏状態が悪化し3日~5日間は身動きがとれず、ただひたすら耐える日々は同じです。


【家族が戻って来た】

自分の状態を把握するために頻繁に検査し、漢方薬を中心に投薬「過敏症のコントロール」は現在まで継続して行っており、発症から12年間続いた、殺虫剤まみれのゴキブリのような状態に戻ることはなくなりました。

実験をはじめて10年が経過する頃には、小説を書き、web小説サイトに投函が出来るようになりました。

そして…。

自分が拒絶して、もう二度と会えないと覚悟をしていた、離れていった家族や友人たちと、やっと、少しづつ、びくびくしながらでも笑顔で会えるようになりました。

家族が私のもとに戻って来たのです。

友人たちは月1回のペースで食事と散歩に連れ出してくれます。屋外にキッチンがある、まかないのボランティアにも参加し、揚げ物など臭いがつく家庭では調理出来ない料理を満喫しています。

みな、化学物質過敏症だからと特別扱いせずに、無理せず、時々立ち止まって歩けなくなってしまう私を、動けるまで黙って見守り、せかさず声もかけず、それが当たり前のように、一緒に時間を共有してくれるのです。

考えてもいなかったことが私に訪れたのです。長い間、歯を食いしばって、生き残ったご褒美はあまりに大きいものでした。

失ったものを取り戻すことが出来たのですから…、それは私にとって奇跡としかいいようがありません。

無鉄砲に見えない敵に戦いを挑まなかったら?苦痛と孤独とプライドにまけて人生を捨てていたら?精神的に追い詰めず、待ち続けてくれた家族、友人が笑顔でいる場所にたどり着くことが出来なかったと思います。



新たに、化学物質過敏症になってしまった方は、まずこれから長い人生を寄り添ってもらえる主治医を見つけ「治療」を行いましょう。そして行政の金銭的支援で安心して暮らしていくのは困難ですから、生活や仕事のベースを崩さないように「過敏状態の緩和」をして、重篤な状態にならないように常に努力していくことが必要となります。

ここ数年「からだふぁん」のホームページに関連したトラブルとプライベートなトラブルが重なり、経済的、肉体的に対応できなくなってきたために、閉鎖することになりました。

下記、無償の書籍はホームページより救出した記事を中心に「化学物質過敏症の問題点や現実」・「どうしたらいいのか?実験の話」などをまとめたものです。ぜひ、敵を知り、あなたの幸福を守ってください。


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