人生の『悔しい年表』を公開します。 #みなみフェス
毎日AM2時にInstagram更新! #世界最速で日経新聞を解説する男 (セカニチ)です。
2020年7月24日に南の31歳の誕生日を祝う会として、 #みなみフェス を開催しました。
今回のみなみフェスでは、セカニチの活動の原動力になっている『悔しい年表』を公開しました。
挫折ばかり味わってきた30年間の人生を振り返りました。長いですが、ぜひ読んでください。
Koru Takanawa Gatewayとは
私の自己紹介をさせてください。
・Koru-workers株式会社 代表
・飲食店と宿泊施設を創業(最寄り:高輪ゲートウェイ駅)
▽なぜ宿泊施設(ゲストハウス)を開業?
ラグビーに命をかけており、サラリーマン時代にはニュージーランド・イングランド・フランスなど、試合観戦のために様々な国に行っていました。
試合チケットが高かったのでお金を節約するために相部屋のゲストハウスをたくさん使っていたのですが、そこでたくさんの国の人たちとの素晴らしい出会いがありました。
その経験から人が集い、新たに出会う場を提供することに魅力を感じ、ゲストハウス開業を決意。
▽"Koru"とは?
ニュージーランドのマオリ語で、
"シダの芽"という意味の言葉です。
このような意思を込めています。
▽クラウドファンディングを行いました。
港区・高輪での《初のゲストハウス開業》までに多くの方からクラウドファンディングでご支援をいただきました。ご支援してくださった皆様のおかげで金銭面でも精神面でも人生が救われました。
心からありがとうございました。
265名の皆さまには一生かけて恩返しをします。
▽なぜ高輪ゲートウェイに注目した?
100年に1度の大規模な再開発だからです。
高輪ゲートウェイ駅&品川駅はJR東日本と各社が共同で行う大型投資。駅だけではなく《巨大な街》が港区・高輪にできます。
2Fの歩行デッキで、未来の高輪ゲートウェイ駅は品川駅まで繋がります。
我々が生きている間に
・山手線の《新駅》の開業
・都心の超一等地・港区に《巨大な街》の開業
は2度とありません。
だから僕は人生をすべて高輪ゲートウェイ駅にかけることを決めました。
2024年に商業施設・タワマン・巨大なビルたちが開業。歩行デッキによって高輪ゲートウェイ駅と品川駅が繋がります。1つの巨大な街になります。
将来性が非常に大きいと確信しています。
2020年に開業した駅はオマケです。
本番は《巨大な街》です。街ができた瞬間に、駅の価値も何百倍にもなります。
今はまだその事実を知らない人がほとんどです。
だから100年に1度の投資チャンスなのです。
巨大な街ができることを見越してKoruのオープンを2017年に決めました。日々全力で活動しています。
特別企画!南の人生の年表を公開!
私がどんな人生を歩んできたのか?
人生の年表を公開します。
僕はずっと年齢はただの数字だと考えていました。
サラリーマン時代に、年齢だけで偉そうにしている人を見てきて、嫌な思いをたくさんしたから。
※皆さんも年齢だけで偉ぶるのはやめましょう。
しかしながら、昨年30歳になったみそみなみは、ふと思いました。
- 今日の帰り道、交通事故で死ぬかもしれない。
僕は毎日悔いのない生活を送れているか?
人はいつ死ぬかわかりません。
そんな大切な自分の人生を、
他人のために使っていないか?
自分のために使っているだろうか?
その頃から、「どれも今日が最後かもしれない」と考えて生きるようになりました。後悔しない毎日を生きるべく時間を使うようになりました。
「時間」は最大の資産です。
お金は失ってもすぐに取り戻すことができます。
しかし、時間は一度失ったら取り戻すことはできません。
例えば僕が56歳になって【20代に戻って高輪ゲートウェイにお金と時間を投資したい!】と思っても戻ることはできません。
過去に戻れるタイムマシンはないのです。
だから【時間】こそが【最大の資産】です。
僕は未来から今を逆算して日々を無駄にせず全力で生きているほうが濃く・楽しく生きられるし、仮に今日、交通事故で死んでしまっても悔いなく終われると考えています。
いつ死ぬかわからないからこそ、日々を全力で生きましょう。
✔ 宝くじで1等に当たる人数
年間20人 前後
✔ 交通事故で死ぬ人数
年間3500人
もしかしたら明日、僕が歩いているところに暴走車が突っ込んできて死ぬかもしれない。
だから、我々もいつ死んでもいいように、後悔が無いように、日々を生きるしかないのです。
#世界最速で日経新聞を解説する男 の活動に対して、「なぜそんなにもエネルギーに溢れて活動を続けられるのか?」とよく質問をいただきます。
それは僕が今まで歩んできた人生がコンプレックスにまみれていて、死にそうな思いを何十回も重ねてきたからです。
だから今の僕には《エネルギー》があります。
人生を振り返る中で気づいた方程式があります。
それは、死にたくなるほど「悔しい思い」をどれだけして、「締切」に何度追われてぶっ倒れるか?が人生の厚みであるということです。
皆さんが今まで歩んできた人生の中で「悔しい思い」と「締切」は何度あったでしょうか? 胸に手を当てて、自分の心と対話をしてみてください。
南の人生の『悔しい年表』
それでは特別企画、南の人生の『悔しい年表』を公開していきます。
中学1年生からスタートします。
13歳。僕の家は裕福な家庭ではありません。自分の部屋も無く、22歳までリビングで寝ていた。家族5人の実家暮らし。3人の男兄弟の末っ子。
地元は東京の調布市(都会ではなくどちらかというと田舎)なのですが周りの同級生の誰を見てもお金持ちに見えました。みんな自分の部屋があり、ディズニーランドにたくさん行く友人を見て「なぜそんなにお金があるんだろう?」と不思議に思っていました。いま振り返ってみると、実際には友達の家は特別お金持ちではなく普通の家庭でした。
14歳。隣のクラスのMちゃんに告白しまくりました。好きすぎて告白しまくって振られまくりましたが、なんと1年後に相手から告白されました。ここで諦めないことの大切さを学びました。これが会社経営やクラウドファンディングに活きています。
15歳。僕は都立高校で最も頭の良い偏差値74の国立高校を受験したのですが、入試当日に慣れない電車で行き先を間違えて遅刻して死にそうになりました。国語が1/3終わった時間から試験を開始し、冬の2月にも関わらず一人汗だくで解答用紙をビショビショにしながら問題を解いていました。(結果は合格でした。国語以外ほぼ満点。)
また、高校の合格発表の翌日にとある事件が起きて、死にそうになりました。今ではネタにしていますが当時は人生の絶望に立たされました。詳細はライブで言いました。(アーカイブは消えましたw)
16歳。国立高校に入学し、周りの頭の良さ / 自分の頭の悪さに絶望しました。また高校1年から始めたラグビーでも怪我をしまくり日々悔しい思いをしていました。
「お金を使うな」と親からは直接言われたことはありませんが、自分の考えとして家庭に1円でも迷惑をかけたくなく、国立高校の横のファミマにある105円の薄い味の1Lパックジュースですら自分で買わずに友人のものを一口だけもらったりしていました。
この頃から人一倍、お金に対するコンプレックスを強く持っていました。
ちなみに28歳のクラウドファンディングの土下座500回を経て、やっとお金のコンプレックスは解消されるのですが、ここに来るまでに12年以上かかりました。
17歳。この時の怪我は僕の人生の中で最もきつい挫折でした。
左膝の前十字靭帯と半月板がぐちゃぐちゃになり、二度とスピードが戻らなくなりました。
僕は当時、ずば抜けたスピード(50m 6.2秒)と重さ(85kg)があるNo.8、チームの柱として活躍する選手でした。東海大仰星との試合でもハンドオフで5人飛ばして80m独走トライを取るなど、自分で言うのもアレですが物凄く良い選手でした。
そんな僕にとって膝の大怪我は今まで積み上げてきたものが全て崩れ去ったような感覚でした。
入院中には、自分が中心だと思っていたチームからも要らないと思われているのではないかと考えて病室で参考書を解きながら泣いていました。
18歳。1年間をかけてリハビリをして、膝のテーピングをぐるぐる巻きにして最後の試合に臨みましたが、これに勝てば東京都ベスト4という試合に2点差で負けました。東京都の決勝に行って秩父宮で試合がしたいという夢を抱いて戦っていた高校時代でしたが、夢は叶いませんでした。試合終了のホイッスルが鳴って負けた瞬間のシーンは今でも一生、脳裏に焼き付いています。なので秩父宮に対する想いは今でも誰よりも強いです。
しかも11月の敗退の引退直後、2ヶ月後にはすぐにセンター試験があるという強行スケジュール。
第一志望であった国立大学には落ちました。
19歳。浪人をするわけにもいかず不本意であった私立大学に進学しました。男ばかりで地獄のような大学生活が始まりました。課題とテストだらけで、週に2回は徹夜をしてテスト対策をしていました。
毎日つらすぎて、自分は何をやっているのだろうと絶望していました。
またラグビーでは東京農工大学の助っ人をしていましたが、菅平の合宿の東京海洋大戦で左肩の脱臼をして死にました。
20歳。当時の彼女に浮気をされ、誕生日の前日に別れ、最悪な20歳の誕生日を迎えました。また、ベンチャー起業のタダコピで営業のインターンをしましたが何もできずに絶望しました。
この時のタダコピの菅澤社長は26歳で、すさまじく輝いて見えました。7年後に自分が27歳になった時にこの頃を思い出し絶望します。
21歳。思わずゴミを入れたくなる遊び心のあるゴミ箱があれば渋谷からポイ捨てが無くなると考え、自分が代表として夢箱プロジェクトを立ち上げました。この時には1社5万円の広告主を探すための営業で断られ心が折れまくりました。
紆余曲折ありましたが最後は完成させ、最終的にはYahoo!ニュースのトップに取り上げられ、サーバーがパンクするほどの大反響がありました。
ちなみに僕はサラリーマンを独立してから2回Yahoo!ニュースに取り上げられました。(結婚記事とSPA!取材記事)
が、写真付きトップでは掲載されていないので21歳の自分を越えてやろうと今でも考えています。
引き続き21歳。スマートフォンアプリを使ったビジネスコンテスト《applim》に参加。第1回では予選敗退し、死ぬほど悔しい思いをしました。そして悔しさを糧に2週間家に帰らず3日間徹夜して地獄のような調査と企画と資料作成を行い、第2回では550人の学生の中から優勝しました。
しかし僕はここで逃げました。
本来であればここで起業するべきでした。
しかし、情弱だった僕は
「起業はリスクがある」
「失敗したら自己破産をする」
と間違った思い込みを抱いて、自分に言い訳をして、起業をしませんでした。
今でも当時の情弱さと言い訳をして逃げた自分に対して後悔しています。
今の僕が凄まじい後悔をしているからこそ僕は正しい起業の知識を発信し、多くの人が後悔しないために「起業しよう」と発信をしています。
22歳。六本木にある某テレビ局など、様々なモテそうな企業に向けて就活に取り組みましたが落ちまくりました。心が折れまくる。
社員訪問は累計200人にしたと思います。この時の経験は自分という商品の営業活動でした。キツかったですが、この時に辛い思いをしたから、今の自分には心の強さがあります。
23歳。夢を抱いて広告代理店に入社したものの、全く希望をしていない数字/EXCELの部署に配属され、スライド真ん中下の画像のように毎日死んでいました。また、博報堂ラグビー部に所属していたのですが、みずほ銀行戦で右肩を脱臼して死にました。(救急車で気絶)
ここで僕の人生を変えた世界最高の投資漫画「インベスターZ」の連載がモーニングで開始。
この漫画に出会い、架空の1000万円を実際の株価で運用できる無料アプリ《トレダビ》を始めました。
24歳。忙しすぎるし、上司に怒られまくるし、何のために生きているのかわからなくなりました。
よく考えたらテレビCMって毎日流れている。
「もしかして一生この生活が毎日毎日続くのか…?」と考えると鳥肌が止まりませんでした。
しかし、この当時の僕は給料に飼われている社畜。辞めたかったのに会社を辞める勇気がありませんでした。情弱でした。そして毎日のストレスでめちゃくちゃハゲました。
ちなみに2年目/24歳の年収は730万円でした。サラリーマン界の中では非常に高かったと思います。が、週末の西麻布の飲み会などに散財して貯金など全くありませんでした。
また2年目の夏のボーナス40万円を全てSBI証券に入れて、僕の投資人生が始まりました。リアルなお金を入金したのは24歳のこの時が初めてです。もちろん知識はゼロ。サラリーマンの業務内容も金融の知識は関係ありません。
お金から解放されたくてお金の勉強を始めたのがこの時でした。投資をしていない人は今すぐつみたてNISAを始めよう。
25歳。同い年の中川がサービスで成功して、M&Aで数十億単位のお金を手にしているのを見ました。彼が以前サービスを作りコケている様子も見ていて、南は「起業をしなかった自分の正当化」をしていた過去がありました。だから余計に悔しかったです。
僕が3年目/25歳で年収970万円でイキっている間に数十億単位のお金を得た同い年の人がいる。逃げた自分が本当に悔しく、情けなくなりました。
そして3年目のボーナス160万円を僕は全て証券口座に入れました。これが初めて大きな額の投資です。ここからが僕の投資生活のスタートです。
また自力で日経新聞から仕入れた情報だとしても会社の性質上、投資に関する情報発信ができず、非常にストレスが溜まっていました。これが今SNSを頑張れている原動力にもなっています。
この頃2014年/25歳で初めて原宿駅の物件で不動産投資をしました。早い時期に不動産投資を始めたので成功しました。金額は伏せますが、大きく値上がりして大金を得ました。
時間は資産。早く始めるだけで誰でも投資で勝つことができます。
26歳。株で大損失が出ます。2016年1月に中国バブル崩壊で-700万円の損失。
お金に依存しないために始めた株で年収手取り700万円と同じ額のお金をたった1か月で失いました。ここまで割と成功していた株の投資で大失敗し、借金地獄に襲われ、死にそうになりました。
そして日々のサラリーマンの過労と、損失のストレスで更にハゲました。
▼Before (26~28歳でハゲた)
▼After (飲み薬で1年半。30歳で克服。)
27歳。左の写真は友人・中川の作ったMERYを広告主に提案したり。感慨深さを感じると共に自分は何をしているんだ・自分はいつまでも脇役なのか?という気持ちになりました。
悔しさが抑えられず、副業禁止の勤務先で勝手にKoru-workers株式会社を創業しました。
更にこの年に一風堂の株で逆転満塁ホームランを打ち、ここまでの損失を全て取り返し、むしろプラスにしました。すごい金額になりました。金額は誰にも言っていません。証券口座では”源泉徴収有り”にしているので20%の納税ももちろん済みです。
だから今でも一風堂を見るたびに僕は看板に手を合わせています。
また仮想通貨・BTCの取引も誰よりも早く行い、1BTCが6万円のときからコツコツと総額200万円を入金し、1BTCが80万円のときに利確しました。
BTCは誰にも縛られず好き勝手に情報発信ができたので、Instagramの投稿に載せまくっていました。
お金の情報発信ができるだけで、大きな喜びを感じました。(セカニチの今の原動力に。)
そんな27歳のある日、駅から自宅までの帰り道で僕はふと立ち尽くしました。
学生時代にインターンをしていた時に輝いて見えていたタダコピの菅澤社長。自分は同じ年齢(27歳)になったのに何も成し遂げられていない…。社畜の自分に嫌気がさし、東京タワーの足元・東麻布の路上で立ち尽くしながら全身が震えたのです。
ここで会社を辞めることを決意しました。
28歳。博報堂を退職しました。
いま振り返ると、もっと早く辞めて、早く自分の会社を作って、大企業の給料のためじゃなくて、自分のために挑戦をすればよかった…。と心から後悔をしています。僕と同じ後悔は皆さんにしてほしくありません。
Koruの改装を行う中で、資金が足りなくなり、クラウドファンディングを行いました。
改装中のKoruの見学会を何度も実施し、工事中の高輪ゲートウェイ駅も案内し、土下座は累計500回はしました。
しかしクラウドファンディングを行う中で断られに断られ、メッセを送っても無視され、僕の心は粉のように木っ端みじんになりました。
紆余曲折あって、最終的には500万円以上を出していただき成功しました。支えてくださった265名の方、本当にありがとうございます。
一生かけて恩返しさせてください。
クラファン過程はお金が思ったように集まらず、本当につらかったです。が、最終的に【応援してもらえない事業は何をやっても成功しない】という気づきました。今思えばこの時の経験は非常に強い人生の教訓となっています。
相手にお金を出してもらうにはまず価値を提供しなければいけないということに気づき、お金/投資/税金/経済/選挙に関する情報発信を始めました。
これが《#世界最速で日経新聞を解説する男 / セカニチ》の誕生の瞬間です。
このときのクラウドファンディングがなければ今の情報発信スタイルは存在していません。
なお博報堂を退職する前に高輪の一軒家(現在のKoru)と西新宿の物件を買い、合計1億3000万円の4つローンを組みました。詳細は省きます。
29歳。同い年で上場する人や、年下でM&Aで売却を行う人が出てくる一方、南は自分がまだまだ小さいことしか成し遂げられてないことに、果てしない悔しさを感じました。
そこで、今までの人生でローンチしたものを振り返りました。
共通点を考えてみたところ、
《締切》であることに気付きました。
どのプロジェクトも締切に追われ、死にそうになりながらローンチしたものばかりで、どれも僕の人生の財産になっていることに気が付きました。
このことから、《濃度》がある経験を重ねた《回数》で人生の厚みが決まるんだと確信しました。
これは僕の好きな言葉です。
人間は怠惰で油断していると時間をすぐに浪費してしまいます。しかし成功者はその間に濃い時間を過ごします。
あなたが今日過ごした一日は浪費でしょうか?
投資だったでしょうか?
ローンチ直後にぶっ倒れるほどの《濃い経験》をしているでしょうか?
『締切』は与えられるものではありません。
自分で作るものです。
サボらず自らに締切を作りましょう。
ここでもう一度人生の方程式です。
紹介してきた通り、僕自身が挑戦から逃げて後悔していることが多々あります。
皆さんに僕と同じような後悔をしてほしくない。
だから行動を起こしてほしいです。
そして『悔しい思い』をたくさんしてほしい。
それこそが貴方の【人生の厚み】という財産になるからです。
30歳。少しずつイメージしている未来への種まきができてきました。
お金では買えない資産がどんどん増えています。例えばスクー出演の授業の資料など。全て無料公開しています。
その中でも特に大きいのが、天才デザイナーゆんとの出会いです。今までの僕はGoogle画像検索にあがっている既存の画像を雑に使いまわしをしていました。しかし、ゆんちゃんと出会ったことでオリジナルイラストが作れるようになりました。
これは僕にとって凄まじい財産です。
でも僕はまだまだこんなもので終わりません。
情報発信も会社経営も死ぬまでやります。リタイアに興味はありません。
日本の若者が全員幸せになるまで戦い続けます。
特別企画!南の人生の年表を公開!は以上です。
読んでいただきありがとうございました。
テレビ取材の裏側と本音を解説
フジテレビ『Live News It!』に取材されました!
取材内容の裏側を解説します。
《借金は1億3000万円》のフォントが凄い...!
しかし...
借金=『良い言葉◎』
どういう事でしょうか?
↓ 詳細はこちら。必ず読んでください!
最高の皆さんに伝えたいメッセージ
バンジージャンプ発祥の地、
ニュージーランドで出会った言葉です。
この言葉が私の人生を変えました。
Crazy if you do.
Crazy if you don't.
私なりの和訳をすると…
━━━━━━━━━━
バンジージャンプ。
高所から《紐1本で飛ぶ》なんてクレイジーに思われるかも。
でも、こんなに爽快で気持ちの良いことが目の前にあるのに《飛ばない》のはもっとクレイジーだぜ?
━━━━━━━━━━
という言葉です。
私にはこれがぶっ刺さり、残りの人生なんでも飛び込んで生きることにしました。
飛ばないほうがもっとクレイジー。
人生は一度きりです。
一生飛び込まない人生を送って、
後悔するのはあなた自身です。
◇◆◇
最後に、僕の今後の目標も発表します。
2024年に向けてこれからも努力を続けます。
僕の活動が有益であると感じてくださっている方は、クラウドファンディングで10万円の支援をお願いします。
必ず恩返しします。
今から10万円を確保していただけると幸いです。
何かを始めるなら今この瞬間から!
厚みのある人生を送るために今すぐ行動を!
次回は来年の2021年7月25日(日)に#みなみフェス2021 を行います!!
みなさん予定を空けておいてください!!
ここまで長文を最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
(おわり)
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