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一橋大学(2005年)

第1問
中世後期のヨーロッパ大陸諸国において、君主によって設けられ、招集される議会が生まれた。フランスの三部会、ドイツの等族議会が良く知られているが、その他にスペインのコルテス、ポーランドのセイムなどがあり、諸身分や団体の代表が出席した。これらは「身分制議会」と呼ばれるが、その歴史的な経緯と主な機能、そしてその政治的役割について、特に近代の議会との違いに留意しながら具体的に述べなさい。(400字以内)

テーマ:身分制議会の歴史的な経緯と主な機能、そしてその政治的役割について、特に近代の議会との違いに留意しながら具体的に述べる

近代の議会との「違い」と言っていますので、「比較」の問題です。

気をつけなければならないのは、この「違い」が前の部分すべてにかかるということです。

前の部分とは、「歴史的な経緯と主な機能、そしてその政治的役割」ということです。

機能の違いだけを指摘して、違いを説明したことにはなりませんので気をつけましょう。

こういう枠組が頭の中にできなければなりません。


この枠の中に何が入るのかを考えていきます。

解答のポイント
1.中世の議会
①フランスの三部会はフィリップ4世が聖職者課税問題で対立していた教皇ボニファティウス8世に対抗するために創設(歴史的経緯)
②聖職者・貴族・市民の代表で構成され、国王が王権を強化し、国家統一を推進する過程で形成された(歴史的経緯)
③三部会はドイツやスペインの身分制議会などと同じように、課税承認権を持つ機関(主な機能)
④国王は各身分が協議した結果としての合法的な課税が可能となったが、国王の恣意的な課税は阻止された(政治的役割)
2.近代の議会
⑤絶対王政期には停止されるが、特権身分への課税をめぐり、三部会が招集されると議決方式をめぐる対立から革命が勃発(歴史的経緯)
⑥男性普通選挙により国民公会が成立、国王を処刑(歴史的経緯)
⑦中世の議会は国王の立法に協賛するだけだったが、近代の議会は最高の立法府としての機能を有する(主な機能)
⑧中世の議会は身分ごとの利害を代表するものであったが、近代の議会は選挙により広く国民の意見を代表し、政党により多様な意見を集約する場(政治的役割)

解答例
フランスの三部会はフィリップ4世が聖職者課税問題で対立していた教皇ボニファティウス8世に対抗するために創設された。聖職者・貴族・市民の代表で構成され、国王が王権を強化し、国家統一を推進する過程で形成された。三部会は、ドイツやスペインの身分制議会などと同じように、課税承認権を持つ機関であり、国王は各身分が協議した結果としての合法的な課税が可能となったが、国王の恣意的な課税は阻止された。その後、三部会は絶対王政期には停止されるが、特権身分への課税をめぐり、三部会が招集されると議決方式をめぐる対立から革命が勃発。男性普通選挙により国民公会が成立、国王を処刑した。中世の議会は国王の立法に協賛するだけだったが、近代の議会は最高の立法府としての機能を有した。また、中世の議会は身分ごとの利害を代表するものであったが、近代の議会は選挙により広く国民の意見を代表し、政党により多様な意見を集約する役割を持つ。(400字)

この中から「機能」と「政治的役割」として使えるものを考える。
「身分制に立脚」、「法の下に平等」、「開催は少ない」、「開催は定期的」は機能、役割というテーマには合わないので今回使わなかった。

第2問
 第二次世界大戦後に「冷たい戦争(冷戦)」という米ソ両体制の対立する時代が形成された背景には、大国による核開発、核保有が大きな役割を果たしている。第二次世界大戦後の冷戦勃発から、1989年のベルリンの壁の崩壊に至るまでの時期を対象に、各国の核保有、各国間の核軍縮の経緯を押さえた上で、この冷戦期の国際政治に核兵器が果たした歴史的役割について述べなさい。その際、下記の語句を必ず使用し、その語句に下線を引きなさい。(400字以内)

キューバ危機 中距離核兵器全廃条約 封じ込め政策 ワルシャワ条約機構

テーマ:第二次世界大戦後の冷戦勃発から、1989年のベルリンの壁の崩壊に至るまでの時期を対象に、各国の核保有、各国間の核軍縮の経緯を押さえた上で、この冷戦期の国際政治に核兵器が果たした歴史的役割について述べる。

1.各国の核保有と各国間の核軍縮の経緯
①1945年、核開発に成功したアメリカは、唯一の核保有国として封じ込め政策を進め、NATOを結成
②一方、49年にソ連も核兵器を保有してアメリカの核兵器独占を打破、55年にワルシャワ条約機構を結成して対抗
③キューバ危機で核戦争の危機に直面したことで、米ソは緊張緩和に向かい、部分的核実験禁止条約で地下実験以外を制限
④他の核保有国のうちイギリスは調印したが、フランス、中国はこれに反対した。
⑤核拡散防止条約では核保有国が制限
⑥米ソ間で2度に渡り、戦略兵器制限交渉が行われ運搬手段を制限するが、ソ連のアフガン侵攻によって2回目の調印は発効せず、米ソの軍拡競争が再燃
⑦ソ連でゴルバチョフが書記長に就任すると、中距離核戦力全廃条約が締結
2.核兵器が果たした歴史的役割
⑧宇宙開発を促進したこと
⑨核抑止論により大国間の平和を維持したこと 
⑩核開発は米ソの政府にとり重荷となり、ソ連では体制の崩壊につながったこと

解答例
1945年、核開発に成功したアメリカは、唯一の核保有国として封じ込め政策を進め、NATOを結成。一方、49年にソ連も核兵器を保有してアメリカの核兵器独占を打破し、55年にワルシャワ条約機構を結成して対抗。キューバ危機で核戦争の危機に直面したことで、米ソは緊張緩和に向かい、部分的核実験禁止条約を締結し、地下実験以外を制限。他の核保有国のうちイギリスは調印したが、フランス、中国はこれに反対。続く核拡散防止条約では核保有国が制限された。米ソ間で二度に渡り戦略兵器制限交渉が行われ運搬手段を制限するが、ソ連のアフガン侵攻によって2回目の調印は発効せず、軍拡競争が再燃した。ソ連でゴルバチョフが書記長に就任すると、中距離核戦力全廃条約が締結された。核兵器が果たした歴史的役割は、宇宙開発を促進したこと、核抑止論により大国間の平和を維持したこと、核開発が米ソの政府にとり重荷となり、ソ連では体制の崩壊につながったことである。(400字)

第3問
 次の文章Aは、インドの民族主義運動指導者の『自叙伝』から抜粋した19世紀末アフリカ南部における経験の記述、Bは同時期に清末変法運動で活躍した中国人の海外における経験の記述とその解説である。これらを読み、また、表1~3も参照して、下記の問いに答えなさい。
A
「『あなたは、本当にホテルに泊まれると思ったのですか? と彼(ヨハネスバーグで事業を行っている知人)は言った。私は尋ねた。『どうして、いけないのですか?』彼は言った。「ここに二、三日おられれば、お分かりになるでしょう。私どもがこんな国に来て生活しているのは、ただ金もうけのためです。侮辱をこらえるぐらい平気です。ですから、ここにいられるのです。』こう言ってから、彼は、インド人が南アフリカでなめている困苦、辛さの数々を物語ってくれた。
 彼ら(南アフリカにいるインド人)の中には、労働者の境遇から身を起こして、土地や家屋の所有者になりあがる者が多数あった。彼らに続いて、インドから商人がやって来て、商業を営みながら定住した。……これには、白人の商人があわてた。
 (南アフリカにおけるインド人の権利を守るという目的を達成するため)私たちは常設的な大衆組織を持とう、ということを決定した。こうして、……インド人会議が誕生した。この会議には、南アフリカ生まれのインド人や会社裏務員の階層は会員として参加してきたが、不熟練賃金労働者、年季契約農業労働者は、まだ枠外に留まっていた。……彼らには、基金を寄附したり、入会したりするなどして、会に所属する余裕のあろうはずがなかった。
 なおなし遂げていないことが一つあった。それは、インド人移民を、祖国に対する義務に気づかせることであった。」(蝋山芳郎駅に基づく。)
B
 「この三つの業種(靴・タバコ・ほうきの製造業)は以前はとても盛んで、出資者も同胞で、これらで財をなした同胞の商人も少なくなかった。だがのちに労働組合がそれをひどく妬み、あれこれ法律を作っては圧迫した。たとえばルソン産の葉巻タバコは政府の認可がないと販売できず、わが同胞労働者の製造したタバコを政府は認可しない、というのがその例である。こうしたことはもともと国際ルールに大いにもとるところだ。……強権というほかない。」
 この文章は梁啓超が清朝からの弾圧にあって亡命中、1903年にカナダ・アメリカの諸都市を回って記した紀行文『新大陸遊記』から、サンフランシスコでの『中国人の営業自由の制約』について紹介した部分の抜粋である。同じく亡命した康有為が東南アジアで同胞を結集し、支援を要請するために保皇会を組織しており、梁啓超のこの旅は、保皇会分会創設のためでもあった。また、ほとんど同時期に。早くから亡命生活を送った[ ア ]も、中国が列強からの侵略の危機にさらされているのは、「中国が自立できないためであり、中国が自立できないと、世界平和は保てない」として、在外同胞の支援を求めて回った。1905年に[ ア ]は東京において中国同盟会を結成し、東南アジアでの分会結成を目指した。

問い
 インド人と中国人が大量に海外に移動し、海外で生活の基盤を築き始めたのは、表1、2から理解されるように、19世紀中葉以降のことであった。この大量移動は、いかなる歴史的状況の下で起こったのか、さらに、それらの人々がそれぞれの出身国の国内政治といかなる関連を持ったのか、また、その大量移動が移動先の社会に現在いかなる影響を与えているのかを、述べなさい。解答にあたっては、インドと中国の双方にふれ(その字数の割合は問わない)、また、Aの『自叙伝』の著者、およびBの文章における空欄[ ア ]がそれぞ誰であるかも述べなさい。(400字以内)

テーマ
19世紀中葉以降のインドと中国人の大量移動について
1.いかなる歴史的状況の下で起こったのか
2.さらに、それらの人々がそれぞれの出身国の国内政治といかなる関連を持ったのか
3.また、その大量移動が移動先の社会に現在いかなる影響を与えているのか

解答のポイント
1.大量移動はいかなる歴史的状況の下で起こったのか
①19世紀、イギリスの産業革命と自由貿易の実現により、安価な綿製品が大量に流入し、インドの手工業者は職を失った(プッシュ要因)
②また、イギリスはインド大反乱の鎮圧後、インド帝国を成立させ、多額の地税を徴収したため農民の生活は困窮し、大量のインド系移民が発生した(プッシュ要因)
③中国はアヘン戦争、アロー戦争に敗北して自由貿易に移行(プッシュ要因)
④日清戦争、義和団事件などもあり、賠償金負担による重税で農民の負担が増大し、大量の中国系移民が発生した(プッシュ要因)
⑤イギリス領マレー連合州が成立し、ゴムのプランテーションや、錫鉱山開発のために大量の労働力が必要とされた(プル要因)
⑥蒸気船などによる交通革命が移民の大量移動を促進した(促進要因)
2.それらの人々がそれぞれの出身国の国内政治といかなる関連を持ったのか
⑦移民の中で財を成した者たちは本国の民族運動を支援
⑧ガンディー・ネルーの国民会議派の運動や清朝を倒す孫文の革命運動を支援
3.大量移動が移動先の社会に現在与えている影響
⑨現在に与えた影響としては、マレー系住民と中国系、インド系住民の対立がある

解答例
Aはガンディー、Bは孫文。19世紀、イギリスの産業革命と自由貿易の実現により、安価な綿製品が大量に流入し、インドの手工業者は職を失った。また、イギリスはインド大反乱の鎮圧後、インド帝国を成立させ、多額の地税を徴収したため農民の生活は困窮し、大量のインド系移民が発生した。中国はアヘン戦争、アロー戦争に敗北して自由貿易に移行。日清戦争、義和団事件などもあり、賠償金負担による重税で農民の負担が増大し、大量の中国系移民が発生した。こうした中、海峡植民地からイギリス領マレー連合州が成立し、ゴムのプランテーションや、錫鉱山開発のために大量の労働力が必要とされ、蒸気船などによる交通革命が移民の大量移動を促進した。移民の中で財を成した者たちは本国の民族運動を支援、ガンディー・ネルーの国民会議派の運動、清朝を倒す孫文の革命運動を支援した。現在に与えた影響としては、マレー系住民と中国系、インド系住民の対立がある。(400字)

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