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一橋大学(2008年)

一橋大学2008 大問Ⅰ
 
西ヨーロッパでは11、12世紀の経済発展により、遠隔地商業が盛んに行なわれるようになった。13世紀から17世紀初めのハンザ同盟の活動について、担い手、地域、交易品、そして衰退の理由に触れつつ、同時代の東方(レヴァント)貿易と対比して論じなさい。(400字以内)
 
テーマ:13~17世紀初めのハンザ同盟の活動について、担い手、地域、交易品、衰退の理由を、同時代の東方貿易と対比して論じる
 
比較の問題は同じ分野・テーマで比べるのがポイントです。「変化」の問題が変化の「前」と「後」を書かなければならないのと同じように、片方だけ書いていて、もう片方は書けていないということが多いので、A-A'、B-B'、C-C'、D-D'など、軸をきちんとそろえて両方をしっかり書いていくことが大切です。比較の問題は軸を意識することが大切なので、表を作りながら解くのが正攻法です。
 
そして、違いを出したらそこから共通点や相違点を考えていきます。
 
これをやらないと単に単語を並べただけになってしまい、「対比」にはなりません。
 
「対比」は共通点でも良いですが、相違点の方が優先されます。
 
出来る限り相違点の方を積極的に考えていくようにしましょう。

解答のポイント
1.担い手
①ハンザ同盟の担い手はリューベック・ハンブルクなどの北ドイツ諸都市
②レヴァント貿易はジェノヴァ・ヴェネツィアなどの北イタリア諸都市
③都市の商人が担い手である点で共通している
2.活動地域
④ハンザ同盟は北海・バルト海
⑤レヴァント貿易は東地中海地域
⑥前者は欧州内部での取引、後者は欧州外部のムスリム商人と取引をする点で異なる
3.交易品
⑦ハンザ同盟はニシン・タラなどの海産物や毛織物
⑧レヴァント貿易は絹織物・香辛料
⑨前者は近隣を供給地とする安価な生活必需品で、後者は遠方のアジアを供給地とする奢侈品が中心
4.衰退理由
⑩ハンザ同盟は三十年戦争による国土の荒廃
⑪レヴァント貿易はイタリア戦争による国土の荒廃
⑫前者は旧教と新教勢力の戦争、後者は旧教勢力同士の戦争という点で異なる
⑬ハンザ同盟はオランダ商人の台頭や、イギリス・フランスの重商主義政策で衰退
⑭レヴァント貿易はオスマン帝国がカピチュレーションを与えたフランスの進出で衰退
⑮外国勢力の台頭によって衰退したという点で共通

解答例
ハンザ同盟の担い手はリューベック・ハンブルクなどの北ドイツ諸都市、レヴァント貿易はジェノヴァ・ヴェネツィアなどの北イタリア諸都市であり、都市の商人が担い手である点で共通している。前者の活動地域は北海・バルト海で欧州内部であり、後者は東地中海地域で欧州外部のムスリム商人と取引をする点で異なる。前者の交易品はニシン・タラなどの海産物や毛織物など、近隣を供給地とする安価な生活必需品で、後者は絹織物・香辛料など、遠方のアジアを供給地とする奢侈品が中心である。衰退の理由は、前者が旧教と新教勢力が争った三十年戦争による国土の荒廃であるのに対し、後者は旧教勢力同士が争ったイタリア戦争による国土の荒廃である。また、前者はオランダ商人の台頭や、イギリス・フランスの重商主義政策で衰退、後者はオスマン帝国がカピチュレーションを与えたフランスの進出で衰退した。外国勢力の台頭によって衰退したという点で共通している。(400字)

第2問

以下の設問に答えなさい。
問1 1898年のアメリカ=スペイン戦争(米西戦争)の原因を述べなさい。(100字以内)

問2 米西戦争がフィリピンの独立運動に与えた影響を述べなさい。(150字以内)

問3 米西戦争以後、アジア太平洋の国際関係への関心を強めたアメリカの、太平洋戦争(1941-45年)開戦にいたるまでのアジア政策を述べなさい。(150字以内)

問1 テーマ:1898年のアメリカ=スペイン戦争(米西戦争)の原因
ポイント
①米はカリブ海のキューバの砂糖産業へ巨額の投資
②キューバで独立運動が起こるとこれを支援
③メイン号爆沈事件をスペインの仕業と決めつけたジャーナリズムによる世論の高まりを原因とし、スペインに宣戦

解答例
問1キューバの砂糖産業へ巨額の投資をしていた米はキューバで独立運動が起こるとこれを支援した。メイン号爆沈事件をスペインの仕業と決めつけたジャーナリズムによる世論の高まりを原因とし、スペインに宣戦した。(100字)

問2 テーマ:米西戦争がフィリピンの独立運動に与えた影響
ポイント
①米西戦争が勃発し、スペイン敗北が続くと、これを機にフィリピンの独立運動が激化
②独立運動の指導者アギナルドはフィリピン共和国の独立を宣言
③しかし、米西戦争後、アメリカがこれを認めず、アメリカ=フィリピン戦争
④アギナルドは敗北し、フィリピンはアメリカの植民地となったため、米への抵抗運動が続く

解答例
問2米西戦争が勃発し、スペイン敗北が続くと、これを契機にフィリピンの独立運動が激化し、独立運動の指導者アギナルドはフィリピン共和国の独立を宣言。しかし、米西戦争に勝利したアメリカがこれを認めず、アメリカ=フィリピン戦争が勃発した。この戦争にアギナルドは敗北し、フィリピンはアメリカの植民地となった。(150字)

問3 テーマ:米西戦争以後、アジア太平洋の国際関係への関心を強めたアメリカの太平洋戦争開戦に至るまでのアジア政策
ポイント
①アメリカは門戸開放宣言で列強の中国進出に割り込み
②ワシントン会議の四カ国条約で日英同盟を破棄、九カ国条約で日本の山東半島進出を阻止
③満州事変で中国進出を図る日本を非難
④日中戦争では国民党政府を支持
⑤日本の仏印進駐により対日石油禁輸
⑥日米交渉は決裂し、ハル=ノートを最後通牒とした

解答例
問3米は門戸開放宣言で列強の中国進出に割り込みをかけ、ワシントン会議の四カ国条約で日英同盟を破棄させ、九カ国条約で日本の山東半島進出を阻止。満州事変で中国進出を図る日本を非難し、日中戦争では国民党政府を支持。南部仏印進駐により対日石油禁輸を決定した後、日米交渉は決裂、ハル=ノートを最後通牒とした。(150字)

第3問

次の文章を読んで、問いに答えなさい。
 日露戦争を機に、日本は朝鮮(韓国)に対する支配を強め、戦争の終結から5年目に当たる1910年には朝鮮を植民地化した。以下に掲げる史料1~2は、この時期に日本・韓国両政府の間に結ばれた重要な取り決め(条約)であり、それぞれ、その一部を示したものである。

〔史料1〕 1904年2月23日調印、 日韓議定書
第3条 大日本帝国政府ハ大韓帝国ノ独立及領土保全ヲ確実ニ保証スル事
第4条 第三国ノ侵害ニ依リ若クハ内乱ノ為メ大韓帝国ノ皇室ノ安寧或ハ領土ノ保全ニ危険アル場合ハ大日本帝国政府ハ速ニ臨機必要ノ措置ヲ取ルヘシ而シテ大韓帝国政府ハ右大日本帝国政府ノ行動ヲ容易ナラシムル為メ十分便宜ヲ与フル事
大日本帝国政府ハ前項ノ目的ヲ達スル為メ軍略上必要ノ地点ヲ臨機収用スルコトヲ得ル事
〔史料2〕 1907年7月24日調印、第3次日韓協約
第1条 韓国政府ハ施政改善ニ関シ統監ノ指導ヲ受クルコト
第2条 韓国政府ノ法令ノ制定及重要ナル行政上ノ処分ハ予メ統監ノ承認ヲ経ルコト
第4条 韓国高等官吏ノ任免ハ統監ノ同意ヲ以テ之ヲ行フコト
第5条 韓国政府ハ統監ノ推薦スル日本人ヲ韓国官吏ニ任命スルコト

問1 日露戦争開戦後に日本の朝鮮に対する支配の強化はどのように進んだのか、戦争後にそれはどのようにして植民地化(「韓国併合」) へと進んだのか、また、こうした日本の政策に対する朝鮮内部における反応はどのようであったのか、説明しなさい。(200字以内)

問2 清朝政府は同じ頃「光緒新政」といわれる一連の制度改革を実施した。この「新政」の重要な項目を二つ以上あげてその結果も述べなさい。(200字以内)

問1 テーマ
1.日露戦争開戦後に日本の朝鮮に対する支配の強化がどのように進んだか
2.戦争後にそれはどのようにして植民地化(韓国併合)へと進んだのか
3.こうした日本の政策に対する朝鮮内部における反応はどのようであったか

ポイント
1.日露戦争開戦後に日本の朝鮮に対する支配の強化がどのように進んだか
①日韓議定書で韓国における日本軍の行動の自由を確保
②第一次日韓協約で日本が推薦する財政・外交顧問の雇用を認めさせた
③第二次日韓協約で韓国の外交権を奪い、統監府を設置
2.戦争後にそれはどのようにして植民地化(韓国併合)へと進んだのか
④第三次日韓協約で内政権を掌握
⑤安重根による伊藤博文の暗殺を機に、日韓併合
3.こうした日本の政策に対する朝鮮内部における反応はどのようであったか
⑥第二次日韓協約を機に抗日義兵闘争
⑦高宗は第二次日韓協約に際し、ハーグ密使事件
⑧日本の進出に対して都市部を中心に愛国啓蒙運動が展開された

解答例
問1日露戦争開戦後、日韓議定書で韓国における日本軍の行動の自由を確保し、第一次日韓協約で日本が推薦する財政・外交顧問の雇用を認めさせた。第二次日韓協約では、韓国の外交権を奪い、統監府を設置、これを機に抗日義兵闘争が激化。高宗がハーグ密使事件を起こすと、日本は第三次日韓協約で内政権を掌握、安重根による伊藤博文の暗殺を機に、日韓併合を実現した。日本の進出に対して、都市部では愛国啓蒙運動が展開された。(200字)

問2 テーマ:光緒新政の重要な項目を二つ以上あげてその結果も述べる

ポイント
1.改革
①科挙廃止、留学生を日本などに派遣
②憲法大綱で国会開設の公約
③軍機処を廃止し、責任内閣制を採用
④新軍の設置
2.結果
⑤①の結果→帰国生たちにより日本や欧米の立憲主義や革命思想が中国で拡大
⑥②の結果→清朝の延命策として批判
⑦③の結果→この内閣が幹線鉄道の国有化を決定したことが革命の導火線
⑧④の結果→各省でも洋式の陸軍が設置されたが、中国同盟会など革命組織の構成員がその多数派を占めるようになり、武昌新軍の蜂起から辛亥革命が勃発

解答例
問2科挙を廃止して、留学生を海外に派遣したが、帰国生たちにより欧米の立憲主義や革命思想が清朝で拡大。憲法大綱で国会開設の公約をしたが、清朝の延命策として批判が強いものだった。軍機処を廃止し、責任内閣制を採用したが、この内閣が幹線鉄道の国有化を決定したことが後の革命の導火線となった。新軍を設置したが、中国同盟会など革命組織の構成員がその多数派を占めるようになり、武昌新軍の蜂起から辛亥革命が勃発した。(200字)


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