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一橋大学(2001年)

第1問

10世紀後半から11世紀にかけて、地中海世界は大きな歴史の転換期を迎えていた。キリスト教世界は拡大し、ローマ皇帝位をめぐる政治交渉も見られた。「ヨーロッパ世界の形成」という観点から当時の事情について述べ、その政治的・宗教的背景について説明しなさい。その際、下記の語句を必ず使用し、その語句に下線を引きなさい。(400字以内)

 ビザンツ帝国  オットー1世  ウラジミール1世  ファーティマ朝

〇10~11世紀の地中海世界

他の年度の問題と比較してみましょう。

2009年、2015年の第一問はカール戴冠をめぐる8世紀後半の地中海世界の情勢を問う問題でした。

2006年の第一問はオットー1世の戴冠をめぐる9世紀から10世紀の地中海世界の情勢を問う問題でした。

そして、2001年の第一問は10世紀後半から11世紀にかけての地中海世界の情勢を問う問題です。

少しずつ時代がずれてきているのがわかると思います。

10世紀後半からスタートするので、ローマ=カトリック圏でまずオットー1世が戴冠するところからスタートします。

マジャール人や西スラヴ系のポーランド人やチェック人がカトリックに改宗するなど、西欧キリスト教世界は拡大していきました。

11世紀になると、ローマ=カトリック圏では聖職叙任権闘争が起こり、教皇権が皇帝権を優越します。

ローマ=カトリック圏では聖職叙任権闘争が起こり、教皇権が皇帝権を優越しました。

ギリシア正教圏では、ギリシア正教がスラヴ人に拡大しました。

セルビア人など南スラヴに拡大するだけでなく、東スラヴにも拡大しました。

特にキエフ公国のウラジミール1世がギリシア正教に改宗したことは、ロシアにまでギリシア正教圏が拡大したという意味で、現在の情勢を考える上でも非常に重要です。

そして、聖像禁止問題以来対立していた東西両教会はついに1054年に相互破門して完全分離することになりました。

イスラーム圏は、ファーティマ朝がカリフを称し、分裂に向かいましたが、11世紀中頃にセルジューク朝が成立し、シリア、小アジアに進出してビザンツ帝国を圧迫して拡大します。

相互破門によって分離したばかりのビザンツ帝国は、西欧世界に助けを求め、これによって十字軍が派遣されるという流れです。

解答のポイント
1.ローマ=カトリック圏
①レヒフェルトの戦いでマジャール人を破ったオットー1世が962年教皇から戴冠されたことで、神聖ローマ帝国が成立。
②その後、マジャール人や西スラヴ系のポーランド人やチェック人がカトリックに改宗するなど、西欧キリスト教世界は拡大していった。
③11世紀に入ると叙任権闘争が激化し、カノッサの屈辱で皇帝が教皇に屈服し、教皇権が皇帝権を超越した。
2.ギリシア正教圏
④一方、ビザンツ帝国の保護下にあったギリシア正教は、セルビア人など南スラヴに拡大
⑤東スラヴにもキエフ公国のウラジミール1世のギリシア正教改宗によって拡大
⑥聖像禁止問題以来対立していた東西両教会は1054年に相互破門した。
3.イスラーム圏
⑦ファーティマ朝がカリフを称して以来、イスラーム世界は分裂に向かった
⑧11世紀中頃にセルジューク朝が成立し、シリア、小アジアに進出してビザンツ帝国を圧迫
4.西欧世界の拡大
⑨一方、三圃制など農業技術の進歩により人口が増大した西欧世界は拡大に転じ、ビザンツ帝国の救援依頼を受けて十字軍が開始された。

解答例
レヒフェルトの戦いでマジャール人を破ったオットー1世が962年教皇から戴冠されたことで、神聖ローマ帝国が成立。その後、マジャール人や西スラヴ系のポーランド人やチェック人がカトリックに改宗するなど、西欧キリスト教世界は拡大していった。11世紀に入ると叙任権闘争が激化し、カノッサの屈辱で皇帝が教皇に屈服し、教皇権が皇帝権を超越した。一方、ビザンツ帝国の保護下にあったギリシア正教は、セルビア人など南スラヴに拡大、東スラヴにもキエフ公国のウラジミール1世のギリシア正教改宗によって拡大。聖像禁止問題以来対立していた東西両教会は1054年に相互破門した。ファーティマ朝がカリフを称して以来イスラーム世界は分裂に向かったが、11世紀中頃にセルジューク朝が成立し、シリア、小アジアに進出してビザンツ帝国を圧迫。一方、三圃制など農業技術の進歩により人口が増大した西欧世界は拡大に転じ、ビザンツ帝国の救援依頼を受けて十字軍が開始された。
(400字)

第2問
17世紀から18世紀におけるヨーロッパは絶対主義あるいは絶対王政の時代と呼ばれる。とりわけルイ14世が統治したフランスは典型的な絶対主義国家とされているが、このような政治体制がどの程度「絶対的」であったのかに注意しながら、その特徴を述べなさい。(400字以内)

解答のポイント
①絶対王政が成立する以前、貴族は三部会を通じて政治的発言権を有し、高等法院は王令審査権を持つ貴族勢力の牙城であった
②しかし、ルイ13世の時代、三部会は停止
③ルイ14世の時代、フロンドの乱鎮圧により高等法院を抑えた
④絶対主義を支えるために官僚制と常備軍が整備
⑤財源として国内産業を保護育成し、貿易差額主義をとる重商主義政策が採用された
⑥思想としては王権神授説が基本理念とされ、ルイ14世の「朕は国家なり」という言葉は絶対主義を象徴した
⑦しかし、絶対主義という言葉は誇張している側面もあり、実際は聖職者、貴族、商業資本家、ギルド、大学などの中間団体が存在する社団国家であった
⑧国王は、貴族・聖職者に対しては免税特権、商業資本家に対しては貿易の独占権、ギルドや大学に対しては自治権を与えて支持を取りつけた
⑨国王が全国民を直接統治する形態はとれず、統治に中間団体の協力を必要としたという点で、その絶対性には限界があった

解答例
絶対王政が成立する以前、貴族は三部会を通じて政治的発言権を有し、高等法院は王令審査権を持つ貴族勢力の牙城であった。しかし、ルイ13世の時代、三部会は停止。ルイ14世の時代、フロンドの乱鎮圧により高等法院を抑えた。絶対主義を支えるために官僚制と常備軍が整備され、財源として国内産業を保護育成し、貿易差額主義をとる重商主義政策が採用された。思想としては王権神授説が基本理念とされ、ルイ14世の「朕は国家なり」という言葉は絶対主義を象徴した。しかし、絶対主義という言葉は誇張している側面もあり、実際は聖職者、貴族、商業資本家、ギルド、大学などの中間団体が存在する社団国家であった。国王は、貴族・聖職者に対しては免税特権、商業資本家に対しては貿易の独占権、ギルドや大学に対しては自治権を与えて支持を取りつけた。国王が全国民を直接統治する形態はとれず、統治に中間団体の協力を必要としたという点で、その絶対性には限界があった。(400字)

第3問

下記の問題A、Bに答えなさい。

A 今日、南アジアと呼ばれる広大な地域には、系統を異にするさまざまな人々が居住していた。この地域において、インド世界として特有の社会・宗教・文化体系の生成が始まったのは、たかだか最近3500年ほどのことである。こうして出現したインド古代の社会・宗教・文化体系とはどのようなものであり、それらはどのような過程を経て形成されたのかを説明しなさい。その際、下記の語句を必ず使用し、その語句に下線を引きなさい。(200字以内)

 インダス文明 ヴェーダ ブラーフマン* ヴァルナ ダルマ マウリヤ朝
 (注)*バラモンとも呼ばれる。

解答のポイント
1.文化
①独自の青銅器文化を形成したインダス文明の滅亡
2.宗教
②アーリヤ人がパンジャーブ地方に侵入し、神々への賛歌がヴェーダにまとめられる
③アーリヤ人がガンジス川に進出した頃、ブラーフマン教が成立
④前5世紀に仏教が成立
⑤マウリヤ朝のアショーカ王は仏教が保護し、ダルマに基づく政治 
⑥一方、その後ブラーフマン教は土着の信仰を取り込んで、ヒンドゥー教が形成された 
3.社会
⑦ブラーフマンを最上位とするヴァルナが成立

解答例
A独自の青銅器文化を形成したインダス文明滅亡後、アーリヤ人がパンジャーブ地方へ侵入し、神々への賛歌がヴェーダにまとめられた。アーリヤ人がガンジス川へ進出した頃に、ブラーフマン教が成立し、バラモンを最上位とするヴァルナが形成された。前5世紀には、仏教が成立。マウリヤ朝のアショーカ王は仏教を保護し、ダルマに基づく統治を行った。一方、その後ブラーフマン教は土着信仰を取り込んで、ヒンドゥー教が形成された。(200字)

B 4世紀後半、朝鮮半島には高句麗・百済・新羅が並び立つ形勢が生まれ、7世紀には三国の抗争は、新羅が半島中南部を統一することによって終結した。4世紀から7世紀までの朝鮮半島における情勢の推移について、中国王朝との関係を含めて、説明しなさい。その際、下記の語句を必ず使用し、その語句に下線を引きなさい。(200字以内)

楽浪郡 加羅諸国 煬帝

解答のポイント
①4世紀、高句麗が楽浪郡を滅ぼして南下し、朝鮮半島北部を支配
②南東部は辰韓諸国を統一した新羅、南西部には馬韓諸国を統一した百済が支配
③南端部は加羅諸国が支配したが、新羅により征服された
④7世紀、高句麗は隋の煬帝の三度にわたる遠征を撃退するが、新羅が唐と結んで百済と高句麗を滅ぼした
⑤その後、百済の遺民が日本と結び、白村江の戦いを起こすが、新羅はこれを破り、唐の勢力も排除して朝鮮半島を統一した

B4世紀、高句麗が楽浪郡を滅ぼして南下し、朝鮮半島北部を支配した。南東部は辰韓諸国を統一した新羅、南西部には馬韓諸国を統一した百済が支配。南端部は加羅諸国が支配したが、新羅により征服された。7世紀、高句麗は隋の煬帝の三度にわたる遠征を撃退するが、新羅が唐と結んで百済と高句麗を滅ぼした。その後、百済の遺民が日本と結び、白村江の戦いを起こすが、新羅はこれを破り、唐の勢力も排除して朝鮮半島を統一した。(200字)

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