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一橋大学(1994年)

第1問

次の史料は、神聖ローマ帝国内の都市ゴスラーの1219年の都市法第2条に記されているものである。この史料を読んで、下記の2問に答えよ。

もしあるよそ者がこの都市に居住のためにやって来て、そこで一年と一日滞在する間、その者の隷属身分について訴えられ、立証され、自供させられることがなければ、他の市民たちと共通の自由を享受すべきである。そして誰であれその者を自分の隷属民とみなしてはならない。

問1 ここで宣言されているヨーロッパ中世都市の「自由」の内容と性格について具体的に記せ(200字)。

ポイント
①都市に逃げ込んだ農奴は一年と一日都市に住み続けたら、自由な身分になれた
②都市は封建領主の支配を受けない点で自由
③市民間の身分序列やギルドの規制があり、その自由には限界
④市政への参加が認められるギルドの組合員は裕福な商人の親方と独立した手工業経営者である親方で構成
⑤また、ギルドは自由競争の禁止、商品の品質・規格・価格などの統制、非組合員の商業活動の禁止によって市場を独占した。

解答例
都市に逃げ込んだ農奴は一年と一日都市に住み続けたら、自由な身分になれた。都市は封建領主の支配を受けない点で自由であったが、市民間の身分序列やギルドの規制があり、その自由には限界があった。市政への参加が認められるギルドの組合員は裕福な商人の親方と独立した手工業経営者である親方で構成された。また、ギルドは自由競争の禁止、商品の品質・規格・価格などの統制、非組合員の商業活動の禁止によって市場を独占した。(200字)

問2 ヨーロッパ中世都市の市民は、この「自由」を維持するためにどのような方策をとったか、具体例を挙げて説明せよ(200字)。

ポイント
①都市は皇帝や国王から特許状を得て自治権を獲得
②その保護を得て封建諸侯の介入を排除しようとした
③また、城壁を築き、相互に都市同盟を結んで自衛した
④封建領主の干渉に対抗した北イタリアの諸都市を中心に結成されたロンバルディア同盟
⑤神聖ローマ帝国のイタリア政策に対抗し、度々神聖ローマ皇帝軍を撃破した
⑥また、北海・バルト海の諸都市を中心に結成されたハンザ同盟
⑦共同の陸海軍を持ち、デンマークに対抗した

解答例
都市は皇帝や国王から特許状を得て自治権を獲得し、その保護を得て封建諸侯の介入を排除しようとした。また、城壁を築き、相互に都市同盟を結んで自衛した。封建領主の干渉に対抗した北イタリアの諸都市を中心に結成されたロンバルディア同盟は、神聖ローマ帝国のイタリア政策に対抗し、度々神聖ローマ皇帝軍を撃破した。また、北海・バルト海の諸都市を中心に結成されたハンザ同盟は、共同の陸海軍を持ち、デンマークに対抗した。(200字)

第2問
 歴史的に「ネーデルラント」と呼ばれた地域は、14世紀から19世紀前半にかけて、どのような歴史的経過をたどってきたであろうか。「ネーデルラント」を構成する各地域の宗教的特色や政治権力の移り変わりに留意しながら、この点について説明しなさい。その際、下記の語をすべて文中に用い、それらを最初に使用したところでは下線を引きなさい(400字)。

七月革命  百年戦争 ウィーン会議 ユトレヒト同盟 ウェストファリア条約

ポイント
①14世紀毛織物生産地帯の南部のフランドル地方をめぐり、百年戦争が勃発
②その後、ブルゴーニュ公の支配下に置かれたが、ブルゴーニュ公女と神聖ローマ皇帝マクシミリアンの結婚によりハプスブルク家の支配下に入った
③宗教改革の影響でカルヴァン派が増大
④これに対して、スペイン・ハプスブルク家の国王フェリペ2世がカトリック化政策を展開すると、オランダ独立戦争が勃発
⑤カトリック教徒中心の南部10州が脱落
⑥北部7州でユトレヒト同盟を結成
⑦ネーデルラント連邦共和国として独立
⑧ウェストファリア条約で独立を正式に承認
⑨その後、スペイン継承戦争後のラシュタット条約で南ネーデルラントはオーストリア領に
⑩フランス革命戦争からナポレオン時代にオランダ、ベルギーはフランスによって占領
⑪ウィーン会議でオランダは南ネーデルラントを獲得し、オランダ立憲王国となった
⑫そして、七月革命の余波で南部はベルギーとして独立した。

解答例
14世紀毛織物生産地帯の南部のフランドル地方をめぐり、百年戦争が勃発。その後、ブルゴーニュ公の支配下に置かれたが、ブルゴーニュ公女と神聖ローマ皇帝マクシミリアンの結婚によりハプスブルク家の支配下に入った。宗教改革の影響でカルヴァン派が増大。これに対して、スペイン・ハプスブルク家の国王フェリペ2世がカトリック化政策を展開すると、オランダ独立戦争が勃発。カトリック教徒中心の南部10州が脱落したが、北部7州でユトレヒト同盟を結成し、ネーデルラント連邦共和国として独立。ウェストファリア条約で独立を正式に承認された。その後、スペイン継承戦争後のラシュタット条約で南ネーデルラントはオーストリア領となった。フランス革命戦争からナポレオン時代にオランダ、ベルギーはフランスによって占領。ウィーン会議でオランダは南ネーデルラントを獲得し、オランダ立憲王国となった。そして、七月革命の余波で南部はベルギーとして独立した。(400字)

第3問
 アジアの二つの大都市に関する下記の問い(ア)、(イ)に答えなさい。その際、 それぞれの都市の名を解答中に明記すること。

(ア) つぎの文は、1862年に中国のある都市を訪れた高杉晋作の書いたものである。これを読んで、1842年から1927年に至るまでのこの都市の歴史を述べよ。なお、○○はその都市の名を述べた箇所である(200字)。

五月六日、午前漸(ようや)く○○港に到る。此は支那第一の繁津港(はんしんこう)なり。欧羅波(ヨーロッパ)諸邦の商船軍艦数千艘停泊す。(1)檣花林森(しょうかりんしん)として津口を埋めんと欲す。陸上は則ち諸邦の(2)商館粉壁(ふんべき)千尺殆ど城閣の如し。其の広大厳烈なること筆紙を以て尽すべからざるなり。…五月七日、払曉(ふつぎょう)、小銃の声陸上に轟(とどろ)く。皆云はく、是れ長毛賊と(3)支那人と戦ふ音なるべし。…五月二十一日、つらつら○○の形勢を観(み)るに、支那人は尽く外国人の(4)便役(べんえき)と為れり。英、仏の人街市を歩行すれば、清人皆傍(かたわら)に避けて道を譲る。実に○○の地は支那に属すると雖(いえど)も、英仏の属地と謂ふも、又可なり(高杉晋作『遊清五録』、一部字句を修正した)。

(注)(1)船のマストが林立するさま。 (2)白い壁。(3)具体的には淮軍を指す。(4)使用人

ポイント
①上海はアヘン戦争を終結させた南京条約で開港
②外国人が行政権を持つ租界が最初に設置
③租界は中国政府の行政権が及ばなかったため、反政府の活動の拠点に
④新文化運動の中心的な役割を担った雑誌『新青年』は上海で創刊
⑤また、1921年に中国共産党が上海で結成された
⑥1925年には反帝国主義の五・三〇運動が上海で発生して全土に拡大
⑦1927年には浙江財閥と結んだ蒋介石が、共産党員を弾圧する上海クーデタが発生

解答例
上海はアヘン戦争を終結させた南京条約で開港し、外国人が行政権を持つ租界が最初に設置された。租界は中国政府の行政権が及ばなかったため、反政府の活動の拠点となり、新文化運動の中心的な役割を担った雑誌『新青年』は上海で創刊された。また、1921年に中国共産党が上海で結成された。1925年には反帝国主義の五・三〇運動が上海で発生して全土に拡大した。1927年には浙江財閥と結んだ蒋介石が、共産党員を弾圧する上海クーデタが発生した。(200字)

(イ) ガンジス河下流域は、ムガル時代から肥沃な土地を利用した農作物、そして、 豊富で質の高い労慟力を活かした高級な織物の産地として栄えていた。しかし、その頃は、この都市はまだガンジスの河口近くの一つの小村にすぎなかった。この村が、その後、急速にアジア有数の大都市に発展していったのは、ここがイギリス植民地支配のアジアにおける拠点となったことに起因する。
 この都市を舞台として、一体、どのような事態が生じたのか。そして、それが、この都市にどのような特徴をもたらし、また、この都市がどのような運動や歴史的な出来事の場となったのかを答えなさい。その際、17世紀末、18世紀中頃、19世紀前半、19世紀後半、20世紀初頭の各時期に注目すること(200字)。

ポイント
①17世紀末西欧でインド産綿布の需要が増大すると、カルカッタはインド産綿布の生産や輸出の拠点として発展
②18世紀中頃プラッシーの戦いを契機にイギリスはカルカッタを中心とするベンガル地方の徴税権を獲得
③19世紀前半にはイギリスの機械制綿布が大量に流入して、インドの綿産業は壊滅
④19世紀後半にインド帝国の支配下に入る
⑤20世紀初頭、ベンガル分割令に対して国民会議派のカルカッタ大会で4綱領が採択され、反英運動の拠点となった。

解答例
17世紀末西欧でインド産綿布の需要が増大すると、カルカッタはインド産綿布の生産や輸出の拠点として発展。18世紀中頃プラッシーの戦いを契機にイギリスはカルカッタを中心とするベンガル地方の徴税権を獲得。19世紀前半にはイギリスの機械制綿布が大量に流入して、インドの綿産業は壊滅。19世紀後半にインド帝国の支配下に入る。20世紀初頭、ベンガル分割令に対して国民会議派のカルカッタ大会で4綱領が採択され、反英運動の拠点となった。(200字)

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