
一橋大学(2020年)
第1問
次の文章は、ルターがその前年に起こった大規模な反乱について1525年に書いた著作の一部である。この文章を読んで、問いに答えなさい。(問1、問2をあわせて400字以内)
農民たちが創世記1章、2章を引きあいに出して、いっさいの事物は自由にそして[すべての人々の]共有物として創造せられたものであると言い、また私たちはみなひとしく洗礼をうけたのだと詐称してみても、そんなことは農民にはなんの役にもたちはしない。なぜならモーセは、新約聖書においては発言権をもたないからである。そこには私たちの主キリストが立ちたもうて、私たちも、私たちのからだも財産も挙げてことごとく、皇帝とこの世の法律に従わせておられるからである。彼は「皇帝のものは皇帝にかえしなさい」と言われた。パウロもローマ13章において、洗礼をうけたすべてのキリスト者に、「だれでも上にたつ権威に従うべきである」と言っている。(中略)
それゆえに、愛する諸侯よ、ここで解放し、ここで救い、ここで助けなさい。領民にあわれみを垂れなさい。なしうるものはだれでも刺し殺し、打ち殺し、絞め殺しなさい。そのために死ぬならば、あなたにとって幸いである。
(「農民の殺人・強盗団に抗して」『ルター著作集』第1集第6巻より引用。但し、一部改変)
問1 下線部は「農民たち」によって提出された要求を比喩的に説明したものである。具体的にはどのような要求であったか述べなさい。
解説
史料文から「いっさいの事物は、自由にそして[すべての人々の]共有物として創造せられたものである」とありますので、人間の「自由」や「平等」を要求したものであるということはわかります。
十二カ条の要求の主なポイントを二つ程度あげて説明すると良いです。「農奴制の廃止」、「十分の一税廃止(厳密にいうと十分の一税の目的税化なのですが…)」、「賦役軽減」、「地代軽減」、「公正な裁判」、「牧師選任の自由」、「共有地の解放」などです。要求は重複する部分もありますので、重複は避けた方が良いでしょう。
十二カ条の要求
1 牧師の選任制
2 十分の一税の目的税化
3 農奴制の廃止
4 キリスト教徒の平等
5 貴族による共有地占有の禁止
6 賦役の軽減
7 地代の軽減
8 地主による土地占有状況の点検
9 公平な裁判を受ける権利
10 共有地の公平な利用
11 死亡税の廃止
12 以上の条件が聖書の言葉と一致しないものであれば、その条件は喜んで撤回する。
解答のポイント
①賦役や地代の軽減など十二カ条要求を掲げた。
解答例 問1賦役や地代の軽減など、十二カ条要求を掲げた。(24字)
問2 「聖書のみ」というルターの主張は、各方面に大きな影響を及ぼした。「農民たち」が考える「聖書のみ」と、ここでルターが表明している意見の相違はどのようなものであり、どのような理由で生じたと考えられるか、述べなさい。
解説
これは「相違」の問題です。「意見の相違はどのようなものであり」と聞いていますので、ルターと農民の意見はどう「違うのか」ということが読み取れなければこの部分は0点です。
「相違」の問題は、予備校の答案などで「共通点」と「違い」を書いているものがありますが、「相違」という言葉には「共通点」という意味はなく、単に「違い」という意味しかありません。
史料文の(農民たちが旧約聖書を引き合いに出しているが、)「そんなことは農民になんの役にもたちはしない。なぜならモーセは、新約聖書においては発言権をもたないからである」という部分に注目すると、農民たちが旧約聖書を根拠にして人間の自由・平等を主張していることをルターが否定していることがわかります。
ルターは神とのより新しい契約である新約聖書を引き合いに出して、「皇帝のものは皇帝にかえしなさい」、「だれでも上にたつ権威に従うべきである」と史料文の中で述べています。つまり、「身分秩序には従いなさい」、ということです。そして、史料文はその後、諸侯による弾圧を支持する部分が続きます。
単純に旧約聖書と新約聖書の対立と書くと間違いになってしまいます。というのは新約聖書も人間の自由や平等を説いているからです。あくまで、ルターは新約聖書の中で自分にとって都合の良い部分を引用して、根拠としているということを前提に考える必要があります。
次に、「この意見の相違がどのような理由で生じたと考えられるか」という部分についてです。
対立がきちんと書けていないと、相違点が明確にできませんので、構造をしっかり書く必要があります。以下の図の中で相違点に関わってくる対立は3つです。
・神聖ローマ皇帝がルターと対立していること
・皇帝と対立する諸侯がルターを保護していること
・諸侯が農民と対立していること

ルターは信仰のよりどころは聖書であるべきだと主張して、贖宥状の販売を否定し、神聖ローマ皇帝カール5世と対立していました。ヴォルムス帝国議会では、カール5世により「ルターを法律の保護外」に置くという決定がなされています。
ルターの主張は皇帝と対立する諸侯によって支持され、その保護を受けることになります。ルターはザクセン選帝侯フリードリヒの保護を受け、その下で新約聖書のドイツ語訳を完成させます。一方、ドイツ中南部の農民たちはルターの掲げる聖書による信仰を根拠に、ドイツ農民戦争を起こしました。
こうした対立構造の中で、ルターと農民の主張に相違が生じてきます。以下の3つのことを踏まえて書きます。
・ミュンツァーの指揮で農民が過激化
・ルターは諸侯と農民の間で板挟みとなる
・諸侯の保護で宗教改革を継続する必要があったルターは諸侯による農民弾圧を支持
ルターは初め農民たちに同情的でしたが、農民たちが聖書を現世的な要求の根拠とし、再洗礼派のミュンツァーの指導で過激化すると、農民と諸侯の板挟みとなります。諸侯の支持で宗教改革を継続することを必要としたルターは「キリスト者の自由」とは、あくまでも内面的な自由であり、現世の秩序は守らねばならないとし、諸侯の鎮圧を支持しました。
解答のポイント
1.「農民たち」が考える「聖書のみ」とルターが表明している意見の相違
①農民たちは旧約聖書を根拠にして人間の自由・平等を主張している
②ルターは新約聖書を根拠に身分秩序には従うべきであると主張
2.意見の相違がどのような理由で生じたと考えられるか
③ルターは聖書に記載のない贖宥状の販売を否定し、教皇や神聖ローマ皇帝カール5世と対立
④ルターの主張はザクセン選帝侯フリードリヒなど、皇帝と対立する諸侯によって支持され、その保護を受けた
⑤一方、農民たちはルターの掲げる聖書による信仰を根拠に、領主層からの解放を求めてドイツ農民戦争を起こす
⑥ルターは初め農民たちに同情的であったが、再洗礼派のミュンツァーの指導で農民たちが過激化すると、諸侯と農民の板挟みとなる
⑦諸侯の支持で宗教改革を継続することを必要としたルターは「キリスト者の自由」とは、あくまでも内面的な自由であり、現世の秩序は守る必要があるとし、諸侯の鎮圧を支持した。
解答例
問1賦役や地代の軽減など、十二カ条要求を掲げた。問2両者の意見の相違は、農民たちが旧約聖書を根拠にして人間の自由・平等を主張しているのに対し、ルターが新約聖書を根拠に身分秩序には従うべきであると主張していることである。ルターは聖書に記載のない贖宥状の販売を否定し、教皇や神聖ローマ皇帝カール5世と対立した。しかし、ザクセン選帝侯フリードリヒなど、皇帝と対立する諸侯によってルターは支持され、その保護を受けた。一方、農民たちはルターの掲げる聖書による信仰を根拠に、領主層からの解放を求めてドイツ農民戦争を起こした。ルターは初め農民たちに同情的であったが、再洗礼派のミュンツァーの指導で農民たちが過激化すると、諸侯と農民の板挟みとなった。諸侯の支持で宗教改革を継続することを必要としたルターは、「キリスト者の自由」とは、あくまでも内面的な自由であり、現世の秩序は守る必要があるとし、諸侯の鎮圧を支持した。(400字)
第2問
20世紀中葉において資本主義世界の覇権がイギリスからアメリカ合衆国に移行した過程を、19世紀後半以降の世界史の展開を踏まえ、第2次世界大戦・冷戦・脱植民地化との関係に必ず言及して論じなさい。
解説
まず、主問と副問の指示をしっかり確認しましょう。
主問:「資本主義世界の覇権がイギリスからアメリカ合衆国に移行した過程」
副問:「19世紀後半以降の世界史の展開をふまえ,第2次世界大戦・冷戦・脱植民地化との関係」
意外と見落としがちなのが「資本主義世界の覇権」という言葉で、資本主義に関連する部分を書いていかないとテーマから外れてしまうということです。
書けることがかなりありそうな気がしますが、資本主義世界の覇権のことを意識して書くとだいぶ限定されてきます。
資本主義世界の覇権なので、政治的なテーマよりも経済的なテーマが優先されます。
副問で冷戦のことが書いてあるのですが、政治的なところまで広げすぎると字数がオーバーしてしまうので、経済に限定します。
「脱植民地化」は政治的なテーマに見えますが、経済が密接に関係していますので具体的な植民地の独立や、スエズ以東からの撤兵のことを書きます。
戦後、イギリスの経済が低迷した最も大きな要因は労働党政権の経済政策の失敗です。これも意外と見落としがちですので気をつけましょう。
解答のポイント
①南北戦争後に第二次産業革命が起こったアメリカは、工業力でイギリスを抜いて世界一の経済大国となった
②イギリスはなおも「世界の銀行」として影響力を維持したが、第一次大戦で国力を大きく消耗した
③一方、アメリカは戦債により債務国から債権国に転じた
④続く第二次大戦でもイギリスは大打撃を受けるが、アメリカは連合国の勝利に大きく貢献し、国際的地位を高めた
⑤戦後、圧倒的な金保有量を背景に、アメリカはドルを基軸通貨とするブレトン=ウッズ体制を築き、資本主義世界で覇権を握った
⑥冷戦が始まるとアメリカはマーシャル=プランで西欧への影響を強めた
⑦イギリスはアトリー内閣で重要産業国有化と社会福祉政策を拡大したが、これにより労働者の意欲は減退し、経済は低迷を続けた
⑧また、インド、エジプト、マレーシアなど基盤だった植民地が次々とイギリスの支配下から独立したため、スエズ以東から撤兵し、イギリスの覇権の時代は終わりを遂げた
解答例
南北戦争後に第二次産業革命が起こったアメリカは、工業力でイギリスを抜いて世界一の経済大国となった。イギリスはなおも「世界の銀行」として影響力を維持したが、第一次大戦で国力を大きく消耗した。一方、アメリカは戦債により債務国から債権国に転じた。続く第二次大戦でもイギリスは大打撃を受けるが、アメリカは連合国の勝利に大きく貢献し、国際的地位を高めた。戦後、圧倒的な金保有量を背景に、アメリカはドルを基軸通貨とするブレトン=ウッズ体制を築き、資本主義世界で覇権を握る。冷戦が始まるとアメリカはマーシャル=プランで西欧への影響を強めた。イギリスはアトリー内閣で重要産業国有化と社会福祉政策を拡大したが、これにより労働者の意欲は減退し、経済は低迷を続けた。また、インド、エジプト、マレーシアなど基盤だった植民地が次々とイギリスの支配下から独立したため、スエズ以東から撤兵し、イギリスの覇権の時代は終わりを遂げた。(400字)
第3問
次の文章A,Bを読んで、問いに答えなさい。(問1、問2をあわせて400字以内)
A (1860年代において、当時の朝鮮の政権と思想的方向性を同じくする)奇正鎮・李恒老は(中略)攘夷論を開陳した。たとえば奇正鎮は、「洋胡」(西洋諸国)と条約を結べば、儒教の道徳や礼制はたちまちに滅び、「人類」(朝鮮の人間)は禽獣となると危機感を表明した。これは、「邪説」を排撃して「正学」(朱子学)を崇ぶという「衛正斥邪」の内容をさらに拡大して、西洋諸国を夷秋(「洋夷」).禽獣であるとして全面的に排斥し、儒教道徳・礼制、それに支えられた支配体制を維持擁護しようとする主張であった。
西洋諸国を夷狄・禽獣と視るのは[ ① ]意識によるものであった。(中略)西洋諸国は儒教を否定する「邪教」の国であるから、夷狄あるいはそれ以下の存在である禽獣ということになる。
B (1876年に)李恒老の門人の崔益絃は開国反対上疏を呈した。崔益絃は条約調印に反対する理由として五点を挙げたが、そのなかには次のような点があった。
「日本との交易を通じて、『邪学』が広まり、人類は禽獣に化してしまう。」「内地往来・居住を拒めないから、日本人による財貨・婦女の略奪、殺人、放火が横行して、人理は地を払い、『生霊(じんみん)』の生活は脅かされる。」「人と『禽獣』の日本人とが和約して、何の憂いもないということはありえない。」
崔益絃の描く日本人像は、奇正鎮の描いた「洋夷」像と何ら異なるところがない。実際に崔益絃は上疏において、倭(日本)と洋は一心同体であるとする「倭洋一体論」を展開した。
(糟谷憲一「朝鮮ナショナリズムの展開」『岩波講座世界歴史20 アジアのく近代>』より引用。但し、一部改変)
問1 ① は、17世紀の国際関係の変化を受けて高揚した、自国に対する朝鮮の支配層の意識を示す言葉である。これを記しなさい。
問2 ① 意識がいかなるものであり、どのような背景があったのか、また、それが1860~70年代にどのような役割を果たしたのかについて、それぞれ国際関係の変化と関連付けて述べなさい。
解説
「役割」が最も難しい部分なのですが、実はこれは史料にちゃんと書いてあり、史料の使い方が分かれば解けます。
史料A=(小中華思想によって引き起こされた)1860年代の西洋の開国要求に対する攘夷の動き
史料B=(小中華思想によって引き起こされた)1870年代に日朝修好条規が締結される際に起こった、日本を西洋と同じ夷狄と見なす攘夷の動き
この2つが、小中華思想が果たした「役割」だということがわかれば、あとの部分は過去問の焼き直しです。2014年の問題、2015年の問題が参考になります。
この問題は、3つのことを聞いています。
1.小中華意識とはいかなるものか?
2.どのような背景があったか?(国際関係の変化と関連付けて)
3.それが1860~70年代にどのような役割を果たしたのか(国際関係の変化と関連付けて)
2は国際関係の変化がそのまま背景です。変化の前と後を明確にしましょう。
3は「国際関係の変化」が、「小中華思想の役割」を生み出したという関係になっています。
解答のポイント
※①~⑨の番号は文章の展開順で変化と役割で整理しているため順番に並んでいません。
1.小中華意識とはいかなるものか?
①(意味)清を夷狄と見なし、朝鮮こそが中華文明の正統な継承者であるという思想
2.どのような背景があったか?(国際関係の変化と関連付けて)
②(変化前)17世紀、朝鮮や女真は明の冊封下にあり、豊臣秀吉の侵略の際、朝鮮は明から救援を受けた
③(変化後)女真族が後金を建国して明から独立し、清と改称して朝鮮に侵攻すると、朝鮮は清の服属下に入り、明滅亡後、清が中国を征服
3.それが1860~70年代にどのような役割を果たしたのか(国際関係の変化と関連付けて)
④(変化前)19世紀までアジアでは清朝を中心とする冊封体制が存在
⑤(変化後a)アヘン戦争、アロー戦争で敗北して清朝の弱体化が明らかになると、欧米諸国は朝鮮に対しても開国を要求
⑧(変化後b)閔氏が政治の実権を握り、江華島事件を契機に日朝修好条規を締結
⑥(役割a)小中華思想が再燃して民族主義が高揚
⑦(役割b)高宗の摂政であった大院君は開国要求を拒否し、小中華思想に基づき儒教道徳に支えられた支配体制を維持すべく攘夷に努めた
⑨(役割c)小中華思想を継承した官僚たちは日本を西洋諸国と同じ夷狄と見なして攘夷を主張し、閔氏一派と対立した
解答例
問1小中華。問217世紀、朝鮮や女真は明の冊封下にあり、豊臣秀吉の侵略の際、朝鮮は明から救援を受けた。女真族が後金を建国して明から独立し、清と改称して朝鮮に侵攻すると、朝鮮は清の服属下に入った。明滅亡後、清が中国を征服したが、朝鮮は清を夷狄と見なし、朝鮮こそが中華文明の正統な継承者であるという小中華思想を持った。19世紀までアジアでは清朝を中心とする冊封体制が存在したが、アヘン戦争、アロー戦争で敗北して清朝の弱体化が明らかになると、朝鮮では小中華思想が再燃して民族主義が高揚した。欧米諸国が朝鮮に開国を迫ると、高宗の摂政であった大院君はこれを拒否し、小中華思想に基づいて、儒教道徳に支えられた支配体制を維持すべく攘夷に努めた。その後、閔氏が政治の実権を握り、江華島事件を契機に日朝修好条規が締結されると、小中華思想を継承した官僚たちは、日本を西洋諸国と同じ夷狄と見なして攘夷を主張し、閔氏一派と対立した。(合計400字)
大学側の出題意図は以下の通りです。
問1の解答例は小中華である。問2は、第一に小中華意識がいかなるものであったのか、それはどのような状況を背景として高揚したのかについて、適切に理解できているかを問うたものである。その際にポイントとなるのが、豊臣秀吉の朝鮮侵略(壬辰倭乱、文禄・慶長の役)時の明の朝鮮への救援や、清朝の朝鮮への侵攻、そして明清交替といった一連の国際関係の変化と関連付けて、論理的に記述することができたかどうかである。第二に、小中華意識が近代朝鮮の攘夷思想の基盤となったことを文章A、Bから読み取った上で、近代朝鮮の攘夷政策・運動を欧米諸国の開国要求や江華島事件、日朝修好条規の締結といった、1860~70 年代の国際関係の変化と関連付けて、適切に説明できるかを問うたものである。それぞれの時期の出来事を示す用語を正確に用いつつ、全体の流れを整合的に論述することを求めた。以上を通じて、17 世紀に高揚した小中華意識が、近代史にどのような影響を与えたのかという問題について、長期的かつ国際的な視座から捉える思考力を問うた。