
一橋大学(1991年)
第1問
次の文章を読んで、下記の問いに答えよ。
中世のキリスト教的ヨーロッパ世界は、およそ500年の間に三度にわたるアジア系非キリスト教諸民族の侵入を経験した。9-10世紀にかけてのマジャールの間断ない侵入、13世紀なかばにおける突風のようなモンゴルの侵入、および14世紀後半からはじまったオスマン・トルコの怒涛の進出がそれである。こうした「異教的異民族」の侵入を受けて、そのたびにヨーロッパの政治地図は大なり小なり塗り替えられるとともに、それは折々のヨーロッパ内部の政治体制にも大きな影響を与えた。中世ヨーロッパ世界が経験したアジア系民族の最初の侵入であるマジャール族のそれに関連して、以下の問いに答えよ。
(ア)9世紀なかば、ドン川・ドニエプル川間の生活圏を追われて西方に移動を始めたこのアジア系遊牧民族(マジャール人)が、10世紀中に、西スラブ世界を南北に両断するような形で定住し、みずからの国を建てるに至った経過を略述せよ。その際、9世紀末まで西スラブ諸族に広く覇権を及ぼしていた大国とその運命についても言及せよ(200字)。
解答のポイント
①マジャール人は、西スラヴ人のモラヴィア王国を滅ぼして西方に進出
②ところが、東フランク王国のハインリヒ1世に撃退
③さらにオットー1世にレヒフェルトの戦いで敗れる
④パンノニア平原にハンガリー王国を建国し、カトリックに改宗
⑤一方、ビザンツ帝国は、スラヴ人に対しキリル文字を用いてギリシア正教圏を拡大
⑥バルカン半島北部でカトリックの勢力が拡大すると、その覇権は半島南部へと後退
解答例
マジャール人は、西スラヴ人のモラヴィア王国を滅ぼして西方に進出。ところが、東フランク王国のハインリヒ1世に撃退され、さらにオットー1世にレヒフェルトの戦いで敗れると、パンノニア平原にハンガリー王国を建国し、カトリックに改宗した。一方、ビザンツ帝国は、スラヴ人に対しキリル文字を用いてギリシア正教圏を拡大していたが、バルカン半島北部でカトリックの勢力が拡大すると、その覇権は半島南部へと後退していった。(200字)
(イ)ヨーロッパ諸国のなかで、マジャール族の脅威をもつとも深刻に蒙ったのは東フランク王国であったが、919年、はじめてザクセン族出身の貴族として王位についたハインリッヒ1世(ヘンリー1世)とその子オットー1世は、いくつかの重要な戦いに勝利し、この外敵の侵入を終らせることによって、王としての不動の地位を固めたのみならず、キリスト教世界の防衛者として西欧世界全体における最高位につくに至った。その経過を具体的に記せ(200字)。
解答のポイント
①東フランク王国は、カロリング朝の断絶後に大諸侯による選挙王制に移行
②この下でザクセン家のハインリヒ1世が選出
③彼は軍事力の強化に努めてノルマン人、マジャール人、スラヴ人の侵入を撃退
④息子のオットー1世は、レヒフェルトの戦いマジャール人の侵入を撃破
⑤さらに、北イタリアに遠征して教皇領の防衛に貢献した
⑥教皇ヨハネス12世から帝冠を授かり、初代の神聖ローマ皇帝となった
解答例
東フランク王国は、カロリング朝の断絶後に大諸侯による選挙王制に移行した。この下でザクセン家のハインリヒ1世が選出されると、彼は軍事力の強化に努めてノルマン人、マジャール人、スラヴ人の侵入を撃退することに成功した。息子のオットー1世は、レヒフェルトの戦いマジャール人の侵入を撃破した。さらに、北イタリアに遠征して教皇領の防衛に貢献したことで教皇ヨハネス12世から帝冠を授かり、初代の神聖ローマ皇帝となった。(200字)
第2問
ヨーロッパ共同体(EC)が発展する上で、第二次世界大戦後にフランスとドイツ連邦共和国がそれまでの敵対関係を克服していったことが決定的影響を及ぼした。両国の関係が対立から協調へと変化していった過程とその原因を、次の用語をすべて使って、説明せよ(400字)。
アルザス・ロレーヌ ルール占領 ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ECSC)
解答のポイント
①普仏戦争に勝利したドイツは、石炭・鉄鉱石の豊富なアルザス・ロレーヌ地方を獲得
②敗北した第三共和政下のフランスでは国民の対ドイツ復讐感情を背景に、ブーランジェ事件、ドレフュス事件が発生
③第一次世界大戦ではフランスが勝利し、ヴェルサイユ条約でアルザス・ロレーヌを奪還し、ドイツに莫大な賠償金を課した
④賠償金の支払いが停滞すると、ルール占領を行い、ドイツでは対フランス復讐感情が高まった
⑤世界恐慌を経て、ヴェルサイユ体制打破を唱えるナチスが台頭し、第二次世界大戦が勃発⑥ドイツは再びアルザス・ロレーヌを占領した
⑦大戦後、アルザス・ロレーヌをめぐり戦争が繰り返された反省からフランス外相シューマンの提案により、国境の資源を共同管理するヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ECSC)を結成
⑧これがヨーロッパ経済共同体(EEC)、ヨーロッパ原子力共同体(EURATOM)と統合されてヨーロッパ共同体(EC)となり、独仏を中心にして欧州統合が進んだ。
解答例
普仏戦争に勝利したドイツは、石炭・鉄鉱石の豊富なアルザス・ロレーヌ地方を獲得。敗北した第三共和政下のフランスでは国民の対ドイツ復讐感情を背景に、ブーランジェ事件、ドレフュス事件が発生した。第一次世界大戦ではフランスが勝利し、ヴェルサイユ条約でアルザス・ロレーヌを奪還し、ドイツに莫大な賠償金を課した。賠償金の支払いが停滞すると、ルール占領を行い、ドイツでは対フランス復讐感情が高まった。世界恐慌を経て、ヴェルサイユ体制打破を唱えるナチスが台頭し、第二次世界大戦が勃発。ドイツは再びアルザス・ロレーヌを占領した。大戦後、アルザス・ロレーヌをめぐり戦争が繰り返された反省から、フランス外相シューマンの提案により、国境の資源を共同管理するヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ECSC)を結成。これがヨーロッパ経済共同体(EEC)、ヨーロッパ原子力共同体(EURATOM)と統合されてヨーロッパ共同体(EC)となり、独仏を中心にして欧州統合が進んだ。(400字)
一橋1991
第3問
下記の問いに答えよ。
(ア)1894年に朝鮮全羅道古阜郡でおこった農民一揆は、単なる一揆に終らず、朝鮮王朝の土台をゆさぶる広がりをみせた。そのためこの一揆は別に甲午農民戦争(東学党の乱)といわれ、その鎮圧をめぐって日清戦争を惹起し、東アジア世界に大きな波紋をひきおこしたが、以下の字句を使って戦争の原因、展開、挫折の過程を述べよ。なお字句の重複使用は可、また字句の下には下線を付せ(200字)。
東学 全州和約 日清戦争
解答のポイント
①李朝の圧政を原因
②民間信仰に儒教・仏教・道教などを融合した崔済愚を開祖とする東学が民衆に急速に拡大
③東学の指導者全琫準は圧政からの解放求めて、甲午農民戦争を開始
④これを受けて、朝鮮は清朝に援軍を要請、日本も居留民保護を理由に朝鮮半島に出兵
⑤戦争の口実を与えないため、農民軍は改革案を提示して李朝と全州和約を締結。
⑥しかし、日本は親日政権を樹立して日清戦争を起こし勝利
⑦農民は再蜂起するも鎮圧された
解答例
李朝の圧政を原因とし、民間信仰に儒教・仏教・道教などを融合した崔済愚を開祖とする東学が民衆に急速に拡大。東学の指導者全琫準は圧政からの解放求めて、甲午農民戦争を開始。これを受けて、朝鮮は清朝に援軍を要請、日本も居留民保護を理由に朝鮮半島に出兵。戦争の口実を与えないため、農民軍は改革案を提示して李朝と全州和約を締結。しかし、日本は親日政権を樹立して日清戦争を起こし勝利。農民は再蜂起するも鎮圧された。(200字)
(イ)1930年代後半から日本は植民地朝鮮に皇民化政策という民族抹殺政策を実施したが、その政策の柱となる具体策を三つあげ、政策の意図がどこにあったのか、述べよ(200字)。
解答のポイント
①創氏改名…日本の家族制度と同じように、家族全員が同じ氏を名乗ることを義務づけ
②神社参拝の強制…天照大神と明治天皇を祀る朝鮮神宮に参拝をさせ、皇国の臣民とした
③日本語教育の強制…学校教育で朝鮮語を教えることを禁止し、日本語による教育に統一
④日中戦争以降、これらの同化政策を推進することによって、内地との一体化をはかり、徴兵制や強制連行も含め、総動員体制を強化するという意図
解答例
創氏改名では、日本の家族制度と同じように、家族全員が同じ氏を名乗ることを義務づけた。
神社参拝の強制では、天照大神と明治天皇を祀る朝鮮神宮に参拝をさせ、皇国の臣民とさせた。日本語教育の強制では、学校教育で朝鮮語を教えることを禁止し、日本語による教育に統一した。日中戦争以降、これらの同化政策を推進することによって、内地との一体化をはかり、徴兵制や強制連行も含め、総動員体制を強化するという意図があった。(200字)