19世紀のJK⁉「グリセット」の少女たち
「JK」という言葉を聞いて、あなたはどんなイメージを思い浮かべるでしょうか?
言葉の意味は「女子高校生」ですが、一般的になイメージを考えてみると、
その言葉の意味の他に、
ある種の危うさや、何らかの魅力を感じるという方も多いのではないでしょうか?
「ひげを剃る。そして女子高生を拾う。」
「女子高生の無駄づかい」
「女子高生に殺されたい」
JKを主人公とした映画やアニメ、漫画は数多く創作されており、これは我々が「JK」という属性に対して、言葉の意味以上のイメージを抱いていることを意味します。
そして実は19世紀のパリに、現代の「JK」と似たイメージを持つ存在がいました。
それが、「グリセット」と呼ばれる女性たちです。
1.「グリセット」とは?
「グリセット」という言葉は、18世紀のフランスで生まれました。
当時、パリの街には若い娘たちが多く働いていたのですが、
彼女たちは普段、安価で買うことができる灰色の服を着ているのがお決まりでした。
そしてフランス語で「灰色」は「gris」と言います。
そのため「いつも灰色の服を着ている娘」という意味で、
「グリセット(grisette)」と呼ばれるようになったわけです。
では、そんな「グリセット」が、なぜ特別なイメージを持つようになったのでしょうか?
グリセットは、パリで働く若い女性たちの呼び方だということは先にお伝えした通りですが、
彼女たちの賃金は安く、非常に貧しい暮らしを強いられていました。
そのため彼女たちは、オシャレをしたくても経済的に難しい状況でした。
そこで、とある「副業」を行うようになったわけです。
今でいう「援助交際」でした。
日中は普通にお店で働いて、夜は上流階級の人たちの相手をしてお金をもらう。
当時のパリには、そんな生活を送る女性がたくさんいたのです。
すると当然、この事実は当時のジェントルマン達に知れ渡ることとなり、
次第に「グリセット」という言葉のイメージも変化することになります。
「グリセット=灰色の服を着た貧しい娘」
というイメージだったところに、
「グリセット=お金を払えばワンチャンある娘」
というイメージが加わりました。
こうして、
「グリセット」という言葉は怪しげなイメージを持つようになっていったわけです。
そして、グリセットたちが注目を集めるようになった背景には、19世紀前半のパリの大きな社会変化が関係しています。
2. なぜ「グリセット」という存在が生まれたのか?
グリセットが誕生には、当時のパリの人口が急増したことが関係しています。
19世紀のフランスに住む人々は、男女ともにパリを目指して上京していました。
まずは、男性についてお話します。
それまでのフランスは、ナポレオンの時代。
この当時、多くの若者たちが「軍人」になることを夢見ていました。
しかし、1815年のナポレオン敗北と王政復古により、状況は一変します。
ナポレオンの軍隊がなくなってしまったために、
「軍人になる」という夢が叶えられなくなったのです。
そのため当時の青年たちは、新たな夢を見出さざるを得ませんでした。
そこで彼らが目指したのは、平和な時代に力を持つ職業。
行政官、司法官、弁護士、医者等でした。
そしてこれらの職に就くには、パリにある大学で学位を取る必要がありました。
こうして1820年頃から、パリの風景が大きく変わり始めます。
大学都市であるパリに、地方から大量の青年たちが押し寄せてきたのです。
その結果、下宿屋や安ホテルは学生たちでいっぱい。
パリの街は若いエネルギーで溢れかえりました。
次に女性側に起こった変化について。
その後1830年代になると、周りの国から少し遅れて、フランスでも産業革命が起こり始めました。
これにより衣服産業が大きく発展することになり、パリでは服を仕立てる仕事が急増しました。
その結果、非常に多くの労働者階級の娘たちが田舎から出てきて、パリでお針子として働くことになったのです。
このように、
男性たちは学生として、女性たちはお針子としてパリへ向かうようになり、
19世紀前半のパリは、街の風景を大きく変えることになったわけです。
そして先ほどお伝えしたように、
お針子として働く女性たちは「グリセット」と呼ばれ、
いかがわしいイメージを持たれるような生活を送るようになります。
では、そんなグリセット達の生活とは、どのようなものだったのでしょうか?
3. グリセットたちの生活
多くのグリセットたちが暮らしていたのは、屋根裏部屋でした。
「屋根裏部屋」というと、なんだかロマンチックに聞こえるかもしれませんが、
しかし、現実はそう甘くありません。
これらの部屋は、建物の最上階、まさに屋根のすぐ下にあるわけです。
部屋は狭く、天井は斜めで、
夏は灼熱の太陽熱で蒸し暑く、冬は冷たい風が隙間から吹き込む。
快適とは程遠い環境だったでしょう。
ただ、グリセットたちにとって、この屋根裏部屋は自由の象徴でもありました。
初めて親元を離れて手にした、自分だけの空間です。
それは彼女たちにとって人生の大きな一歩。
自分の部屋のドアを開け閉めする音、それだけでも彼女たちの心に喜びをもたらしたことでしょう。
しかし、この「自由」には大きなリスクも伴いました。
若い女性が親元を離れて一人で暮らしている。
同じく親元を離れて暮らす学生たちが、同じ街にたくさんいる。
はい、
そういうことです。
学生たちがグリセットと関係を持つことは、まったく珍しいことではありませんでした。
当時のパリにはダンス場が数多くあり、学生やグリセットたちの交流の場となっていました。
そして、当時の学生あるあるとして、先輩学生が田舎から出て来たばかりの後輩たちをダンス場に連れて行く、というものがありました。
そこで学生たちは、自分好みのグリセットを見つけ出すのだそうです。
そしてこの当時の学生たちはなかなかヤンチャだったようで、
例えばダンス場で知り合った学生が、グリゼットの住所を聞き出そうとする、なんてことは日常茶飯事。
歩道で待ち伏せして、通りかかったところに声をかけてデートの約束を取り付けようとしたり、
時には、屋根裏部屋に侵入しようとすることさえあったといいます。
こうして、当時のパリには「学生とグリセットの恋」という文化が生まれていました。
そしてこの文化は、ある種のロマンチックな雰囲気を醸し出していたのは事実です。
実際、この当時、グリセットとの恋を描いた文学や歌劇は数多く創作されています。
グリセットと学生の恋愛関係。
一見ロマンチックに見えるこの関係ですが、
しかしその実態は、決して理想的なものではありませんでした。
その裏側には、悲しい現実が潜んでいたのです。
確かに、関係の初期段階では甘い雰囲気があったかもしれません。
グリセットが学生に花を贈り、学生たちが彼女たちに夢を語る、そんな光景があったことでしょう。
しかし、そんな素敵な時間は長くは続きませんでした。
関係が進展すると、多くの学生たちの態度に変化が現れ始めます。
彼らは、グリセットを「女中」のように扱うようになったのです。
「ねえ、タバコ買ってきてー」
「友達来るからなんか料理作ってー」
そんな要求が当たり前のように飛び交うようになりました。
さらに酷いことに、中には「賤の女」と呼ぶなど、露骨に見下すような態度を取る学生もいました。
それでも、多くのグリセットたちは耐え忍びました。
なぜなら彼女たちにとっての学生との関係は、自身の生活を豊かにする可能性があったためです。
どういうことかというと、
この当時の社会で大学に通うことができるということは、
比較的裕福な中産階級以上の出身で、
加えて将来は安定した仕事に付く可能性の高い人間です。
そんな学生と良い関係を築いて結婚なんてことになれば将来も安心、というわけです。
しかし、そううまく話が進むことはめったにありませんでした。
学生たちのほとんどは、グリセットとの関係を一時的なものとしか考えていなかったのです。
彼らにとってグリセットとの恋愛は、大学生活の「お楽しみ」に過ぎず、
2人の関係に将来性を見出すことはありませんでした。
なぜなら、グリセットは自分たちよりも「下の階級の娘」だったからです。
中産階級以上の学生たちと、労働者階級のグリセット。
この階級差は、二人の関係に決定的な影響を与えていました。
学生が卒業したり、別の女性に興味を持ったりすると、グリセットは簡単に捨てられてしまいました。
捨てられたグリセットが別の学生に引き継がれることもあったといいます。
また、グリセットが妊娠するようなことがあっても、学生が責任を取ることはほとんどありませんでした。
未婚の母となった彼女たちは、社会から冷たい目で見られ、仕事を失い、極度の貧困に陥ることも少なくなかったそうです。
これも彼らの社会的地位が、そういった無責任な行動を許していたといえます。
この悲しい循環の中で、グリセットたちは徐々に心身を消耗していきました。年を重ね、容姿が衰えると、彼女たちはさらに厳しい状況に追い込まれていったのです。
この不平等な関係は、当時の社会構造を如実に反映していました。
学生たちは将来有望な中流階級の人間であり、グリセットたちは労働者階級の出身。
この階級差が、彼らの関係に大きな影響を与えていたのです。
〇おわりに
お疲れ様です。社畜です。
「グリセット」
知らない方も多かったのではないでしょうか?
海外、特にヨーロッパでは馴染みのある存在だったようで、
当時の歌劇や小説には屋根裏部屋に住むグリセットのキャラクターがよく登場します。
例えば、プッチーニの歌劇「ラ・ボエーム」では「ミミ」という名前のグリセットが描かれています。
新国立劇場、行ってみたいですねぇ。
〇お知らせ
さて、このnoteでは今後、YouTubeの動画にはできないセンシティブなテーマに関する記事、
それからYouTube運営に関する記事を投稿していこうと思っております。
現在は、これまでのチャンネルの歩みを振り返りながら、
「自分がまた0からチャンネルを始めるとしたら何から始めるか?」というテーマの記事を書いているところです。
2024年7月20日あたりに公開予定です。良い内容に仕上がってきてます。
〇2024年7月追記:こちらの記事、公開しました!
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それではまた!
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