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9.2.3 奴隷貿易と近代分業システムの形成 世界史の教科書を最初から最後まで
大西洋の奴隷貿易
アフリカ大陸では、中世のころからイスラーム商人が東アフリカ沿岸で奴隷貿易をおこなっていた(インド洋の奴隷貿易)。
イスラーム商人は獲得した奴隷をインド洋周辺に輸送し、富を築いていったのだ。
しかし、「近世」(初期近代、1500〜1760年頃)の時代に入ると、ポルトガル人がアフリカ西海岸の探検をすすめ、西ヨーロッパ商人が西アフリカ沿岸諸国から奴隷を買い付け、アメリカ大陸に輸送する「大西洋奴隷貿易」(アトランティック=スレイヴ=トレード)もはじまる。
おもな奴隷の供給地はギニア(ゴールドコースト(黄金海岸)
からカメルーンにかけてのエリア)だった。
16世紀のあいだに、カリブ海の西インド諸島やラテンアメリカのスペイン植民地で、西アフリカ出身者が、過酷な労働に従事させられたり感染症にかかって命を落としたりした先住民にかわるマンパワーとしてかりだされるようになっていった。
17世紀になると、アメリカ大陸や西インド諸島がサトウキビ、
タバコ、
綿花
の栽培に適していることがわかると、ますます大量のアフリカ人たちが奴隷としてタダ働きさせられるようになる。
同時期のヨーロッパの人々によって、アメリカ産の品々は高級品。
でもまさか奴隷の苦しみによってつくられたものだとは、あまり意識していなかっただろう。
19世紀までに1000万人以上にのぼる奴隷が大西洋を渡ったとみられる。
奴隷貿易は、ヨーロッパから武器や雑貨をアフリカにおくり、交換で得た奴隷をアメリカ大陸・西インド諸島におくりこみ、
そこから砂糖、綿花、コーヒー、タバコなどの農産物をヨーロッパに帰って売りさばくという三角貿易の一環としておこなわれた。
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この三角貿易は、ヨーロッパの人々の消費生活をおおきく変えるとともに、イギリスなどの参加国に巨万の富をもたらした。蓄積されていった資本は、西ヨーロッパの国々を豊かにし、反対に人材を奪われていったアフリカの西海岸地方を貧しくしていくことになるのだ。
史料 奴隷船の到着と奴隷売買のオークションを知らせるポスター
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世界はどのような道を進んで行くのか?
この状況を分析し、「まるで、西ヨーロッパ地域の国々が、しだいにみずからの産業発展のために、アフリカを“犠牲”にしているようだ」と考える歴史学者が現れた。エリック=ウィリアムズや
フランクだ。
エリックは「奴隷貿易は「もうかる」から始められた。その「もうけ」があったからこそイギリスは産業革命を達成したのだ」と主張。
さらに、フランクは「イギリスが発展したのは、ほかの地域を犠牲にしたからだ。資本主義のシステムは、「中心」が「周辺」を犠牲にすることで成り立っている」と論を立てた。
これを従属理論という。
そして、その「中核」(中心)と「周辺」の間に「半周辺」というエリアを加え、ヨーロッパ中心の資本主義経済が世界規模に広がっていく様子を記述しようと試みたウォーラーステイン(1930〜2019)という学者も現れた。
アフリカに製品が輸出され、アフリカの奴隷が“動力”となり、西ヨーロッパ向けの農産物を生産する存在になっていく。
西ヨーロッパの穀物は「半周辺」である東ヨーロッパの領主たちが農奴を使って生産する。
異なる場所の異なる人々が、「中核」地域を中心に、まるでひとつの「システム」のように動き出すー。
誰が命令したわけでもなく、ヨーロッパの経済のために、アフリカの人々が“役割分担”に組み込まれていくこのシステムは、今後中心となる国を変えつつ、世界全体に広がっていくこととなったというのだ。
ウォーラーステインのいう「近代世界システム論」は一世を風靡(ふうび)したけれど、それ以前に盛んになっていたアジアの貿易の実態については見落としや誤解も多いし(アジア研究者からの反証がたくさん出ている)、そもそも「どうして西ヨーロッパだけが世界中を巻き込む資本主義のシステムを作ることができたのか?」という疑問にも、うまく答えられているとは言いがたい。
そんな中、そもそも「近世」の終わりにかけて、世界にはイギリスと同じように経済が発展していった地域があと3つあると主張するのが、ポメランツ(1958〜)という学者だ。
その3つとは、①北インド(グジャラート)、②長江と中国南部の珠江の下流域、そして③日本の関東平野だ。
これらを差し置いて、どうして西ヨーロッパが世界でもっとも豊かな地域として工業化していくことができたのかということに対するポメランツの解答は明快だ。
“イギリスに豊富に分布した石炭のエネルギーとしての利用、そして新大陸への進出によって、資源の制約を突破することができたから”
現在の教科書を読んでいると、どうしても「ヨーロッパが全世界を経済的に飲み込んでいったのは “必然” だった」ように感じてしまう。
けれど、そういった先入観をなくして、ひとつの地域が “主人公”であるかのような捉え方ではなく、いくつもの地域の世界的な結びつきとして、世界史を理解していく必要がありそうだね。
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