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鄭成功とは、何者か? "今"と"過去"をつなぐ世界史 Vol.14

"今"と"過去"をつなぐ世界史(14) 1500〜1650年

 台湾に「開山王廟」という廟がある。


 鄭成功(ていせいこう)という人物が、オランダを台湾から駆逐したのを記念して、死去した1662年に創建された祠だ。
 その後、1875年には清朝の大臣によって新しい祠が建てられ、1895年に台湾が下関条約によって日本の統治下に入ると、その翌年には鄭成功を祭神とする神社に改変、その名も「開山神社」と変更された。
 さらに第二次世界大戦後、ほかの神社と同様、取り壊しの対象となり、神社の社殿はとりのぞかれ、新たな廟に改築された。これがいまの姿である。


 政治的な事情が変化するたびに、その位置付けを変えられてきた鄭成功という人物。
 しかしそもそもどうして、鄭成功はかくも注目される人物となったのだろうか?





 鄭成功の生まれは日本の肥前国松浦郡の平戸(ひらど)だ。

 その父は鄭芝龍(ていしりゅう)、明の末期に中国南部から日本にかけて、東シナ海をまたにかけ活躍した、福建省出身の貿易商である。だがこの男、たんなる商人ではない。鄭芝龍の許可がなければ、東シナ海を安全に航海することもむずかしかったのだ。
 平戸藩主松浦隆信は鄭芝龍の力をたのみ、藩内への居住を許すことに。ここで日本人の田川マツとの間に鄭成功をもうけたのだ。

 鄭成功は幼名を福松と言う。こうした身の上が強調されたのが、江戸時代の日本では近松門左衛門の『国性爺合戦』(こくせんやかっせん)において、母につきそわれた少年というイメージだ。

鄭成功記念館ウェブサイト、https://www.hirado-net.com/teiseikou/


 鄭成功は7歳で平戸から福建にわたり、密貿易に従事することとなる。特にもうかったのは、台湾南部に拠点をもうけていたオランダ東インド会社との貿易だ(なお、彼の弟はそのまま日本に残り、商売をつづけている)。

 しかし、清によって明が滅びると、一転して暗雲がたちこめる。

 最後の皇帝・崇禎帝が自死すると、中国南部には南明という亡命政権が建てられたのだ。そのうち、隆武帝を支持した鄭芝龍は清への抵抗を開始する。隆武帝は、その子・成功と会見し「皇帝の姓(国姓)をお前にやろう」と提案。明だから「朱」の姓ということになる。しかし成功はこれを拒否。その後、鄭成功は「国姓爺」(こくせんや)とあだ名されることとなった。
 その後、鄭芝龍は結局清朝に降伏してしまう。父の運動を引き継いだ子の成功は、台湾に本拠地をうつし、明の復興を期することに。1661年にはオランダ東インド会社の拠点であったゼーランディア城を攻撃し、翌年に陥落させ、鄭氏政権を樹立。



 こうして鄭成功は17世紀の台湾の人々にとっては、オランダを駆逐した英雄として記憶されることとなる。台湾開発の基礎を築いた「開発始祖」として、台湾の「民族の英雄」として祀られるゆえんである。1683年に清の支配に入って以降「鄭成功」の名前を出しにくくなったために、「開山王」と呼び変えられることになった。これが日本統治時代の「開山神社」の「開山」(台湾創建)のルーツだ。


 しかし、鄭成功が清ではなく明朝への忠誠を誓ったこと、さらに彼の母が商人の娘であったことが、日本による台湾統治時代の彼の位置付けを複雑なものにした。

 一方で、鄭成功は、日本と中国の両国にルーツを持つがゆえに、植民地統治のシンボルとしては好適だった。
 しかし他方で、あくまで鄭成功は中国の明朝に忠誠を尽くした武人でもある。同時に、鄭成功が清朝に頑強敵対したことは、日清戦争(1894〜1895)において、反清感情をあおりたてるプロパガンダとして利用される素地を提供することとなる(新納遼子2017)。現代の中国でも、鄭成功への見方には複雑なものがある。

 さらに台湾においては、武人としてのみならず、政権を担当した文官としてのイメージを持たれることが多いようだ。さらに国共内戦後の台湾では、「反攻大陸」(共産党政権下の大陸への反撃)を体現する人物としてのイメージも重なる。


 だが、そもそも東シナ海をまたにかけて活躍した鄭氏にとって、陸上の政権は、国民国家の枠にはまらないものだったはずだ。

 にもかかわらず、近松門左衛門が、鄭成功をモデルとした主人公(国爺)を、その故郷が母の日本(和)でも、亡命した父の中国(唐)でもないという意味で「和藤内」(わとうない)という「混血」の人物としてとらえたように、鄭成功の越境性はすでに江戸時代の日本においても意識され、エキゾチックな面が消費されていた。



 海が陸上の政権によって切り分けられていく動きは、近代に入るとますます強まっていく。
 世界史を通して、過去と現在とのつながりを考えてみようというのが、本シリーズの趣旨だ。
 しかし、現在に「つながらない」過去もあるし、忘れ去られた世界観もあるのだ。鄭成功を通して、そんなことを考える。



参考
・奈良修一『鄭成功―南海を支配した一族』山川出版社、2016年
・上田信『シナ海域 蜃気楼王国の興亡』講談社、2013年
・上田信『中国の歴史9 海と帝国 明清時代』講談社、2005年
・若松大祐「鄭成功をめぐる近年の国際文化交流 : 長崎県平戸からの広がり」、『常葉大学外国語学部紀要』38、55-62、2022年
・小俣喜久雄「台湾鄭成功主神廟縁起補遺及び鄭成功配神廟」『東洋大学大学院紀要』56 147-171, 2020年
・新納遼子「[史料紹介] 日本における鄭成功像の形成 : 明治期の新聞記事を中心に」『史泉』 125 A20-A33、2017年
・呉華君「台湾総督府領台初頭の民情認識と「鄭成功」顕彰──「同化」と「旧慣保存」の関係性に対する考察として」『年報日本思想史』2、1-13、2003年


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