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【ニッポンの世界史】#34 1970年代のまとめ


 これまで1970年代に多くの回を費やしてしまいました。

【年表】1970年代のニッポンの世界史


 それも無理はありません。

 こうやってみてみると、1970年代の「ニッポンの世界史」には、これまでになかった多くの新しい要素がつけ加わり、そうした「転回」こそが、1980年代以降の転回に大きな影響を与えることとなるからです。

 以下に整理しておきましょう。


 たとえば ①文化圏学習は、比較文明論、国際化言説を通してビジネス教養的世界史へ。


 ②マルクス主義批判(政治・経済史偏重)は、実証主義や社会史への関心、①とともに思想や文明論への関心の高まりへ。


 ③大衆歴史ブームの世界史への拡張は、歴史系カルチャーの新たな受け手(女性・子ども)の創出へ。


 ④石油危機・米中接近を契機とする欧米中心主義の再考は、ユーラシア(中国・中東)など非欧米圏の歴史に対する関心へ。



 ⑤「西欧近代」批判はエコロジー・ナショナリズム・終末論・ポストモダンなど多くの要素と絡み合いながら、謝世輝のような独特な展望をもつ世界史や、以下のような流れを形づくっていきます。

 ⑥ ⑤のうちエコロジーへの関心は、未来学的な「長い時間軸」とともに「惑星的」なスケールを持つ世界史(ビッグヒストリー)へ。


 ⑦ ⑥はマクニールらの技術史観とも合わさり、あるいは『ホモ・デウス』(シンギュラリティ)的な世界史へ。


 ⑧ ⑤がナショナリズムを引き寄せると、1980年代の歴史の「政治化」を経て、戦争の記憶の変質とともに愛国(=脱欧・脱亜)的世界史へ。

 ⑨ ⑧の底流に生じた、米中接近の衝撃を受けたリアリズムは、大衆化された「地政学」的想像力へ。


 ⑩ ⑨とからみあう形で、専門家批判(アマチュアリズムと参加型文化(倉橋耕平))やオカルト・カルチャー(庄子大亮)としての世界史へ。


 (11) そして、ベトナム反戦運動など第三世界への共感は連帯や公正を志向する世界史、(12)「予備校文化」の変遷と学習参考書のカウンター的位置どりも重要です。


 ともかく、このように1970年代の「ニッポンの世界史」には、こうした論点がひととおり出揃うわけです。

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若者の世界史離れと政財界人の世界史熱


 わたしたちは次回からついに1980年代に足を踏み入れることとなりますが、ひとまず前提として理解しておくべきは、学校・受験における「世界史離れ」です。とくに1970年代最後の年に導入された共通一次試験(1979年)の重箱の隅をつつくような出題には当時から批判が多く、世界史選択者が減少する事態をまねきました。

 しかしそれとは裏腹に、80年代には政財界を中心に「世界教育の必要性」が強く叫ばれるようになっていきます。
 企業人は戦国武将のみならずローマ帝国を題材とする小説やノンフィクションを座右の書とし、政治家が「世界史の中の日露戦争」について語り出す。



 一体なぜこのような事態が生まれることとなるのでしょうか?

 次回からその文脈を解き明かしていくことにしましょう。

 (続き)

このたびはお読みくださり、どうもありがとうございます😊