歴史の扉① ストリートダンスの世界史
現在の高校生は、ダンスが体育の授業のなかに当たり前に組み込まれている世代である。
しかし、ストリート系のダンス(「ヒップホップ」)や「B系」と呼ばれるような文化のルーツが、アメリカ合衆国のアフリカ系アメリカ人たちにあるという事実について知らない高校生のほうが、当然のことながら多いだろう。
次のような話題を用意し、紹介してもよいかもしれない。
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1950〜1960年代には、アフリカ系アメリカ人(黒人)が、白人に対して公民権(市民権)を求める運動が盛り上がった。白人の黒人に対する意識にも変化が芽生えた。
ソウルダンス
たとえばストリートダンスの世界では、1960年代にソウルダンスというジャンルが生まれた(もともと日本で「ストリートダンス」と呼ばれるダンスは、バレエや社交ダンスと異なり、路上で自由に踊るダンスのことを指した)。
もともとシカゴで黒人向けテレビ番組内で、ソウル・ミュージックに合わせて踊るものであったソウル・ダンスは、ロッキング、ポッピング、ワックといったスタイルをともない、急速に広まった。
ブレイクダンス
また、1970年代にはニューヨークで貧困や暴力に苦しむアフリカ系アメリカ人らの間にはヒップホップ文化と呼ばれる対抗文化が生まれた。
このなかから生まれたブレイクダンスは、西海岸のストリートダンスと融合し、現在のストリートダンスにつながっていく。
アメリカのストリートダンスは、1983年のアメリカ映画「フラッシュダンス」を通じて広がった。同年には「ワイルドスタイル」という映画のPRのためにダンサーが日本各地で踊り、ストリートダンスが一気に流行した。
日本への伝播
そもそも路上でダンスを踊ることができるようになったのは、ラジカセのおかげだ。すでに原宿では、ラジカセに合わせて歩行者天国で踊る若者がおり、家庭用ビデオを通してアメリカのストリートダンスのスタイルを学んだ若者は、日本におけるストリートダンスを発達させていった。
1990年代にはテレビ番組の特集や、沖縄のアクターズ・スクールから輩出された踊りながら歌うスタイルのミュージシャンの台頭により、ストリートダンスを教える民間の教室も増え、さらに2000年代以降は、インターネットの動画を通してダンスは一気に身近なものとなっていく。
2000年代以降、ダンスは学校教育の体育の授業でも学習するものとなり、SNSを通じて国境を越えるダンス文化が生み出され続けている。グローバル化とともに、ストリートダンスのスタイルは画一化している面もある。
音楽史との関連については、オオタジュンヤさんのnoteも参照してください。
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