嫌いな言葉は【推しは推せる時に推せ】
「推し」がいると、引退、活動休止、脱退、解散…など、自分の推しだったり、まぁ自分の推しでは無かったとしても、ついついこの言葉を言ってしまっている人も少なくない。
この言葉があまり好きでは無い。
本当に推しがいる人は推しのことを推せるだけ推しているのだ。学業や仕事や家族の事や金銭面…色んな事情はあれど、自分のできる範囲で推しているはずなのだ。
例えばの話、推しのコンサートがあったとする。
欲しい服もあったとする。
金銭面に余裕がなく、コンサートを諦めて服を買った場合、推しのコンサートと天秤にかけた結果欲しい服が買ってしまったという事になる。
もし、このコンサートが実は推しに会える最後のコンサートだった場合「行っておけばよかった」と後悔したりする。
もちろんやむを得ない事情もある。
その場合は「推せる時」ではなかったわけだから、この言葉を使うのは間違っている。
話は変わるが、ゲームが好き過ぎて夜通しゲームをやっていた友人がいた。
朝早い仕事をしており、遅刻するわ寝不足でミスをするわで仕事に影響が出るほどだった。
このままでは職場にも迷惑がかかるし、もうやめよう!
そう言って、彼は仕事を辞めた。
ゲームではなく、仕事を辞めた。
極端だか潔くて悪くないなと思った。
人は自分で選択出来る。
自分で選んだ結果なのだ。
結局推し活もそう。
推せる時に推してないと感じているのであれば、推そうと思えば推せるのに推さなかったのだろう。
そこまでの推しじゃなかっただけである。
何かと比べて推しが負けただけのこと。
結局後から惜しい事したって思っているだけで、ずっと推し続けている人にとっては、気持ちがそこまでじゃなかったくせに黙ってろ!って思ってしまう話。
とはいえ、人間は後悔をして生きていくもの。
あの時やればよかったことなんて毎日ある。
自分の選択がその時の最善だったと思えるように日々を過ごしていきたい。