「実は」「ご縁があって行けることになりました」っていう人。
滝沢歌舞伎ZERO FINAL
ファンクラブ、歌舞伎会、ぴあプレミアムと大勝利してきたが、ここにきて一般発売は惨敗。
とはいえ、正規ルートで3公演確保は優秀だったのではないか。
歌舞伎会とぴあがあったのがとても大きい。
1公演も確保出来なかったのに·····遠慮してよ·····
と言う人もいるだろう。というか、いる。
は?
ファンクラブはじめ歌舞伎会もぴあカードも年会費を支払っている会員の権利だ。とやかく言われる筋合いはない。
さて。
タイトルにもした「実は」「ご縁があって行けることになりました。」について書こう。
これだけの人気公演ともなると、チケットが当たった事を大声で言えない傾向にある。
落選した人が多いのに当たったなんて言えない·····と遠慮する人、私が落選したのに当選したとか言えるのどういう神経してんの?と批判する人。こういうのがいるからだ。
それでも、当たったなんて言えなかった人が、実は言ってきました!と書いたりする。
別に当たった事をわざわざ報告する必要も行った報告もする必要はない。
言わないのも自由だし、言うのも自由。
でもSNSで発信しているような人は書かずにはいられないのだ。
それを理解した上で、「実は」という言葉が引っかかる。
「実は」という事は、黙っていた隠していた事実があった上での「実は」なのだ。
何のために言うのだろう。
みんなが落選の中当たってたんだけど言いづらくてでもやっぱり言わないのは違うかなと思って·····みたいな事なのだろうけど、気をつかっているようで一番タチが悪い。
さて。
これ以降チャンスがあるとすれば一般発売の再販、もしくは特別登録しかないだろう。
「ご縁があって行けることになりました」
なんてことはそうそうないのだ。
多名義を批判していた人の「ご縁があって」は矛盾が生じる。
行けなくなった人に譲ってもらうことはOKで、最初から他の人にチケットをとってもらうのはNGということになる。
どちらも他人名義で入ることには変わりないのだ。
「ご縁があって」を使う人はこの矛盾が生じている事が多いのだ。
これ以降の「ご縁があって」は、何かしらのルール違反を犯している事は間違いない。
それを正当化する為の魔法の言葉が「ご縁があって」なのだ。
全然魔法かかってないけどな。
Twitterで「ご縁があって」で検索してみるといい。
好かない人種がホイホイ出てくる。
何が言いたいのかというと、他人を批判する人ほど自分を正当化しようとして、気遣いできているふりをして大失敗してるから·····まぁ、しょうもないなってことだろうか。
でもまあ、結局こうやってどうでもいい事で文句垂れて暇つぶししている自分が一番しょうもない。