「撮る」ことへの嫉妬がなくなった。
最近、ベクトルが逆。という話
写真を始めてからはや4年が経つ。
時間が経つのが早いのか超早いのか。
つまり早いわけだが、どうにも最近嫉妬が無い。
超いい写真を撮ってる人のポートフォリオをみて、オレもこんなイケてるの撮ってみたいーーーーー。でも撮り方分かんないーーーーー。と嫉妬している瞬間が確かにあった。しかも結構最近まで。
ただ、最近は違う。
うお、超イケてる。良い
以上。みたいな
あれ、なんで最近嫉妬だったりが出てこないんだろう。
自分の中で何かが変わったんだと気づいた瞬間から、なぜと何が変わったのか気になり出して考えてみた。
そこでおそらく解じゃなかろうかと判明したのがベクトルの話だ。
コレまでは完全に意識が外に向いていた。
イケてるアウトプットがしたい。
素人が撮れないものを撮りたい。
わかる人に認められたい。
僕は写真家では無いのであくまでもクライアントワークの話だ
ただ、最近ディレクションから握らせていただくことが増えてきて
「まず」「そもそも」「なぜ」
出す前に、圧倒的に掘る時間が増えた。
間違いなく意識が内に向いたのだ。
そして掘った先に生まれたテーマやコンセプトに対して
じゃあどういう表現が適切なのか。
そこではじめて表現の幅、引き出しが必要になってくる。
そしてそれを絶対に自分で撮りたい!というこだわりもなくなった
なんなら僕が撮るよりも他の人にお願いしたほうがクライアントが
喜ぶなら周りにも仕事がまわるし、クライアントも喜ぶし、アウトプットの
質が高くなるので結果ウチのポートフォリオも素敵になるし超三方良しじゃん。ってなっているのが今。
僕の変化は3つで
・自分が撮れる撮れないは置いといて、表現のイメージの引き出しが増えた。
・概念やメタな部分が好きだし考えたくなっちゃう。
・自分の本当に撮りたいものが分かった。
あとはやらない仕事を決めたこと
とか別軸であげれることはまだあるけどザッとそんなもんかな。
自分には撮れないものを他の方にお願いして実現することは、フォトグラファーとしてはある種の諦めにも近くて、でも同時にとても強い僕の希望となった。だからこそ、内側に向いた僕のベクトルに付き合ってみて、その後の自分に少しの期待を寄せてみたい。
ちょっと内省して気づきがあったので誰の参考になるわけでもなさそうな文章を自分のログとして残しています。キンコンの西野さんだったかな、絶対にあとで添削せず一筆書きのように文章を綴っている旨の話を聞いて、言語化も話を伝えるのもうまく無い僕は、逆にやってみようと思いその手法で今文章を書いています。定期的に思考のアウトプットをこの一筆書き一本足打法でできたらと思ってますので、もしお時間ある方はお付き合いください。
自分の本当に撮りたいものの話などはまた別の機会に。
背伸びしていこうぜ。
安東
以下最近のワークス
-NELL-
ディレクション/撮影
-Laluce Autumn-
ディレクション/撮影
https://www.instagram.com/laluce_official/
-KOMOREBI まつきりな-
-GORI/アイドル(仮)MV-