インフォデミックってなに?
コロナ禍のような災禍において多くの人々が必要とするもの。それは情報ではないだろうか。「感染が疑われた時にとるべき行動とは」「感染予防策としては何が有効なのか」「マスクはいつ手に入るのか」と次々と襲ってくる不安を解消するために、人々は情報を血眼で探すことになる。しかし、手にしたものが誤った情報だったらどうだろうか。そして、誤った情報と知らずに拡散してしまったら......。
外務省勤務時代に、100カ国以上もの国を訪れ、仕事をしてきた経験を持つ、ORIGINAL Inc.のシニアコンサルタント 高橋政司が、今話題のインバウンド用語をピックアップし、世界目線で詳しく、やさしく解説する本連載。
第6回のキーワードは『インフォデミック(Infodemic)』を取り上げる。世界目線チームの若手筆頭、ヒナタが素朴な疑問をぶつけてみた。
ーー「インフォデミック」という言葉について説明していただけますか
「インフォデミックは、Information(情報)とEpidemic(伝染病)を合わせた言葉で、間違った情報が拡散されることによって社会に深刻な影響を及ぼすことです。WHOのサイトでは『伝染病の最中に起こる情報過多(いくつかは正確で、いくつかはそうでない)』、『人々が信頼できる情報源とガイダンスを必要としている時に、それらを見つけることを困難にする』と説明しています。
この言葉の考案者は政治学者・ジャーナリストのデイビット・ロスコフで、2003年にSARSが発生した際に、ワシントン・ポストのコラムで初めて使ったとされています。彼の説明では『いくつかの事実が、恐怖や憶測、うわさと混じり合い、現代の情報技術によって増幅され、世界中に素早く伝達される』とのことなので、伝染病のみならず様々な状況で起こりうる事なのでしょう。
現在の情報拡散力は、2003年と比べて68倍とのことなので、WHOをはじめとした多くの専門家が警鐘を鳴らす理由も理解できますよね。」
ーー具体的にどのような事例があるのでしょうか
「まず、インドでは菜食主義が感染予防に効く、という誤報が出回りました。インド政府は国民に対して、そのような情報を拡散させないよう呼びかけましたが、結果的に家きん肉(インドで消費される主要な肉類の一つ)の生産業は1,300億インドルピー(約1,800億円)もの損失を被ったようです。
また、トルコでは、とある男性がコロナへの感染予防対策として、ヨーグルトと液状せっけんを混ぜて飲み、病院に搬送されたという報道がなされましたが、後にこの事件自体が誤情報であり、患者も、診たとされる医者も架空の人物だということが判明しました。
インドでは人口の20%近くが菜食主義者ですし、トルコにおいてヨーグルトは主要な食材の一つです。これらの事例はその国の文化との紐付けがあるのが興味深いですね。
また、事例として陰謀論も散見されますね。かのビル・ゲイツは世界中の陰謀論者たちから標的にされています。というのも、彼は2015年にTEDに登壇し、将来起こりうる疫病大流行(アウトブレイク)への準備が必要である、と警鐘を鳴らしていたことと、今回のコロナ禍への対策として2億5000万ドル(約270億円)の寄付を決めたことも相まって、『新型ウイルスについて何か知っているに違いない』という根も葉もない疑惑をかけられています。
ツイッターでは『#ExposeBillGates』(ビル・ゲイツを暴露せよ)というハッシュタグも拡散されていたようです。
日本でも日本赤十字社医療センターの医師名をかたり、医療崩壊の可能性をほのめかし、不安を煽るようなチェーンメールが出回っていましたし、韓国では大統領がマスクの企業連合を支援しているという誤報も出回っていたようです。
ロックダウン下のロシアでは、人々が外へ出ないよう、国中に800頭の虎とライオンを放った、などというトンデモ誤報がインドを中心に世界規模で拡散されていました。『深く息を吸って、10秒我慢することができれば新型コロナには感染していない』や『PCR検査は風邪も検出』などまことしやかな誤報も数多く出回っていましたね。
このように事例は数えればキリがないほどあり、誰もが一度は遭遇したことがあるのではないでしょうか。」
ーー実際に私も3月末に友人から「ロックダウンが明日始まるので、今すぐ生活必需品を買いに行った方がいい」「テレビ局幹部からの情報」などの偽情報が回ってきました。とても不安な思いをしましたが、誰がどのような目的で偽の情報を流すのでしょうか
「一概に『誰がどのような目的で』と定義するのは難しいかと思います。それは、その情報が流布されることによって何らかの利益があるのか、もしくは、単純に世間を困らせたり、注目を集めたいという理由かもしれませんし、あるいは、誹謗中傷の一種かもしれません。単純に勘違いだったということも考えられるので、ケースバイケースかと思います。
しかし、ヒナタさんの話では、『テレビ局幹部』というところがポイントかもしれませんね。総務省のデータを見ると、日本では80%以上の人々がテレビを視聴しており、いまでも主要メディアですし、メディア別の信用度においては新聞と並んで圧倒的に高い数値を示しています。
『テレビ局幹部』というだけで信用に足る情報、と判断した人が多かったのではないでしょうか。とはいえ、テレビの報道に100%の信憑性があるのかというとそんなことはないですよね。事実として、誤報も数多くなされています。今でも大きな影響力を誇るマスコミはその社会的責任を認識し、より確度の高い情報発信に務めるべきでしょう。」
ーーなぜ人は誤報を信じてしまうのでしょうか
「人は利益が得られそうな場面においては、無茶をせず、確実に利益が得られる方法を選択する傾向がありますが、逆に、借金などがある場合、その損失した分を回収するために、リスクを取ってでも、より大きな利得を得ようとする傾向があります。行動経済学では、これを『プロスペクト理論』と呼びます。
例えばビジネスで、大きな損益が出ている時や出そうな時、これをいっきに黒字転換するアイディアが出たのなら、実現性が低くても試してみる人はいるでしょう。今回のコロナ禍においても、いつ自分が感染し、命の危険にさらされるのか分からない状況においては、誰もが『藁にもすがる思い』で有効な情報を探し、実践しようとしているのではないでしょうか。」
ーー正しい情報と偽の情報をどのように見分けていけば良いでしょうか
「先ほどのプロスペクト理論で説明したように、コロナ禍では多くの人たちがリスクをとる状態にあり、これは冷静な視点を見失い、一種のパニック状態に陥っているという見方もできます。
まず一度立ち止まって、その情報ソースがどこからきたものなのか、信憑性のあるものなのか、自身で考える必要はあるでしょう。私はなるべく政府や自治体が出しているパブリックな情報に触れることをお勧めします。
もしくはWHOなど、政府よりも中立な立場をとっている専門機関ですね。こういったインフォデミックへの対策として、ロイターやVoice of America(VOA)といったメディアでは誤報を暴くファクトチェック発信を継続的に行っているのでこういった情報に触れるのも有効です。」
ーー対策として、社会全体のシステムや制度としてできることはあるのでしょうか
「公的なファクトチェック機関を作ることだと思います。なぜなら、公的機関には根拠が明確で信頼出来る情報以外扱わないという原則があるからです。コロナにおける有識者会議も複数の専門家が客観的に議論しあい、信憑性の高い情報提供を行うという意味ではファクトチェック機関に近いのかと思います。
現代のような高度な情報化社会において、インフォデミックはパンデミック時に限らず、常時、起こり得る脅威なので、様々な情報の確度を継続して精査する機関は必要かと思います。ファクトチェック機関はイギリスのFull Factや南アフリカのAfrica Checkなど、様々な国・地域に存在し、グローバルネットワークを形成しています。前述の事例についても、これらの機関がその真偽を暴いています。
日本にも昨年の10月に設立された、NPO法人ファクトチェック・イニシアティブ(FIJ)という組織があります。今後より多くの国内メディアを巻き込んだ協力体制ができ、海外のファクトチェック機関とのネットワークも広がっていけば、より多くの客観的な視点にさらされた分だけ、ファクトチェックの信憑性も高まるのではないでしょうか。そして最終的には公的機関になればベストだと私は考えます。」
高橋政司
ORIGINAL Inc. 執行役員 シニアコンサルタント1989年 外務省入省。外交官として、パプアニューギニア、ドイツ連邦共和国などの日本大使館、総領事館において、主に日本を海外に紹介する文化・広報、日系企業支援などを担当。2005年、アジア大洋州局にて経済連携や安全保障関連の二国間業務に従事。2009年、領事局にて定住外国人との協働政策や訪日観光客を含むインバウンド政策を担当し、訪日ビザの要件緩和、医療ツーリズムなど外国人観光客誘致に関する制度設計に携わる。2012年、自治体国際課協会(CLAIR)に出向し、多文化共生部長、JET事業部長を歴任。2014年以降、外務省国際文化協力室長としてUNESCO業務全般を担当。「世界文化遺産」「世界自然遺産」「世界無形文化遺産」など様々な遺産の登録に携わる。2018年10月より現職。2019年、観光庁最先端観光コンテンツ インキュベーター事業専属有識者。