見出し画像

「世界はジャズを求めてる」2021年5月第2週(5月13日)放送分スクリプト(出演 池上信次) #鎌倉FM

※Spotifyのプレイリストです。聴きながらお読みください。



番組テーマ曲:What the World Needs Now Is Love/Stan Getz

「世界はジャズを求めてる」

この番組は、週替わりのパーソナリティがJazzを中心とした様々な音楽とおしゃべりをお送りします。毎月第2週の担当は、ジャズ書籍編集者のワタクシ池上信次です。ワタクシの回は「20世紀ジャズ再発見」というタイトルで、毎回テーマを決めて特集を組んでお送りします。

今回の特集は、「1980年代のマイルス・デイヴィス」。まずは1曲、1980年代のマイルスを代表する1曲「タイム・アフター・タイム」を聴いてください。

M-1「タイム・アフター・タイム」

「タイム・アフター・タイム」でした。1984年に録音されたアルバム『ユア・アンダー・アレスト』からの1曲ですが、シンディ・ローパーのヒット曲のカヴァーです。

マイルス・デイヴィスは1926年5月26日生まれ/1991年9月28日死去。今年2021年9月に、没後30周年の節目を迎えます。没後30年のいまなお、「ジャズ」の代名詞のひとりであり続けるマイルスですが、そのスタイルは変化の連続でした。1940年代の半ば、チャーリー・パーカーのもとでの修行時代のビ・バップに始まり、その対極にあるアンサンブル・ジャズ、『クールの誕生』というアルバムはよく知られますね、そしてハード・バップ、モード・ジャズとスタイルは変化しつづけ、1960年代末からはエレクトリック・ジャズ、ロックとファンクの導入など、そのマイルスの変化はそのまま「ジャズの進歩」といえるものでした。

そして1975年の大阪でのライヴ・アルバム『アガルタ』と『パンゲア』を発表後、マイルスは活動を停止します。その期間のマイルスをモデルにした映画が『MILES AHEAD/マイルス・デイヴィス 空白の5年間』ですね。そして、その約5年を経た1981年、マイルスはシーンに復帰を果たします。

前置きが長くなりましたが、今回の本題はこちら。はい、2021年は、没後30周年なのですが、この「カムバック40周年」の年でもあるのです。1981年にマイルスはアルバム『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』を発表し、来日公演も行ないました。

当時の個人的感覚としては、復帰と来日のニュースはまさに「事件」でした。そして、マイルスはその10年後に亡くなってしまうのですが、この復帰後の10年間は、以前のマイルスとはまたぜんぜん大きく変わっていました。今日はその、「生まれ変わった1980年代のマイルス・デイヴィス」にフォーカスします。今振り返ると、特にリアルタイムで聴いていた世代、まあワタクシもそこに含まれるのですが、またいろんなことに気づかされると思います。

というわけで、最初に聴いていただいたのが「タイム・アフター・タイム」でシンディ・ローパーのカヴァー、同じアルバムにはマイケル・ジャクソンのカヴァーである「ヒューマン・ネイチャー」も演奏しています。ポップスのヒット曲を、まったくストレートにメロディを吹いているという、70年代に爆音でファンクをやっていた時代からすると、まるで別人のようです。

80年代のマイルスは、このようなじつにポップでわかりやすいジャズというのがひとつの特徴ですね。

そしてもうひとつの大きな変化がわかる、こんな演奏もあります。「ドント・ストップ・ミー・ナウ」という曲を聴いてください。

M-2  TOTO feat.マイルス・デイヴィス「ドント・ストップ・ミー・ナウ」

「ドント・ストップ・ミー・ナウ」でした。ずっとマイルスがトランペットを吹いてますが、これはロックバンドのTOTOの1986年『ファーレンハイト』というアルバムに収録されています。TOTOのメンバーは[スティーヴ・ルカサー(ギター)、スティーヴ・ポーカロ(キーボード)、デヴィッド・ペイチ(キーボード)、マイケル・ポーカロ(ベース)、ジェフ・ポーカロ(ドラムス)]、そしてマイルス・デイヴィス(トランペット)、デヴィッド・サンボーン(アルト・サックス)、ジョー・ポーカロ(パーカッション)という編成です。

80年代マイルスの特徴のもうひとつは、「共演」というか「客演・ゲスト参加」を積極的に行ないました。この曲はTOTOが完全にマイルスのためにお膳立てして、マイルスと共演させていただいた、という感じですね。

マイルスは1940年代後半にリーダーとして活動を始めてから、1975年の活動停止までの間、マイルスは他人のアルバムに参加することはありませんでした。厳密には契約上の理由で他人が名義上のリーダーとなったのはありましたが、モダン・ジャズの時代を生きたジャズマンで、マイルスのように「共演しない」人は、たいへん珍しい存在といえるでしょう。そんなマイルスでしたが、カムバック後は他者のアルバムにも時おり参加しました。

次も、ゲスト参加の曲を1曲聴いてください。チャカ・カーンの「スティッキー・ウィックド」。

M-3 チャカ・カーン「スティッキー・ウィックド」

チャカ・カーンの「スティッキー・ウィックト」でした。1988年の『ck』というアルバムに収録されているのですが、マイルスのトランペットとエリック・リーズのサックスのほかは、全部プリンスです。プリンスは先月、没後5年を経ての新作が話題になりましたが、このトラックはチャカ・カーンを仲立ちにして実現した、プリンスとマイルスの唯一の正式共演曲です。

ずっと、リーダーとしての活動だったことの反動でしょうか、80年代のマイルスは、TOTO、プリンスのほかにもさまざまなミュージシャンと共演しました。次はイタリアのシンガー、ズッケロとの共演をお聴きください。

M-4 「デューンズ・オブ・マーシー」

ズッケロの「デューンズ・オブ・マーシー」でした。1988年の録音です。ズッケロはイタリアではミリオン・ヒットもある大スター・シンガーで、これは『ズッケロと仲間たち』というアルバムに収録されていて、マイルスのほか、スティング、エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、トム・ジョーンズなど各ジャンルの「大物」たちとの共演集なんですけど、マイルスはジャズ代表というところでしょうか。

次は、ブルース。マイルスはこんな演奏も残しています。ブルースのリジェンド、ジョン・リー・フッカーとの共演で、曲は「カミング・トゥ・タウン」。

M-5「カミング・トゥ・タウン」

「カミング・トゥ・タウン」でした。ギターとヴォーカルというか、ウンウンうなっていたのは、ジョン・リー・フッカー。これは1990年に公開された映画『ザ・ホット・スポット』のサントラ盤からなんですけど、ここでマイルスは、このジョン・リー・フッカーのほか、タジ・マハールらと、これぞブルースという共演をしています。マイルスがこんなにストレートなブルースの演奏の録音を残したのはこれが初めてのことだと思います。

ロック、ファンク、ポップス、そしてこのブルースと、このように、あえて広いジャンルを選んで共演しているような80年代マイルスですが、ではジャズのほうはどうかというと、相変わらずジャズではリーダーとしてのスタンスは崩さず、新しい試みとしてのゲスト参加はほとんどないのですが、しかし1曲、素晴らしい演奏を残しています。シャーリー・ホーンの「ユー・ウォーント・フォーゲット・ミー」を聴いてください。

M-6 シャーリー・ホーン「ユー・ウォーント・フォーゲット・ミー」

「ユー・ウォーント・フォーゲット・ミー」でした。シャーリー・ホーン(ヴォーカル、ピアノ)、チャールズ・エイブルス(ベース)、スティーヴ・ウィリアムス(ドラムス)、そしてマイルス・デイヴィス(トランペット)。1990年の録音です。

シャーリー・ホーンは1935年生まれ、1960年代初頭にアルバム・デビューしていますが、そのころからマイルスはシャーリーを絶賛していて、ライヴの前座に起用したりしていました。そして、30年後の共演。お互い、この曲のタイトルのように「忘れていなかった」んですね。この演奏、シャーリー・ホーンの歌もピアノも、まったくマイルスに押されていないところがいいですね。誰であろうとも同じステージに立てば対等というのが、ジャズの面白いところだと思います。

まあ、こんな感じで、80年代マイルスは「幅広いジャンルへのゲスト参加」で、しかも「歌伴」も多いのが特徴なのですが、じつは、それはカムバック時に「宣言」していたことなんです。というのは、復帰作『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』のタイトル・ナンバーは、マイルス異色の、ポップなヴォーカル曲でした。これは、当時は「この曲だけ別物」みたいな扱いで、ほとんど無視されていた感じがあって、そのイメージが続いてきていたのですが、あとになってじつはそこにこそ、その後の10年続いた新たな方向性が示唆されていたということが見えてきた気がします。今聞くと、どんな感じに聴こえるでしょうか。「ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン」を聴いてください。

M-7 マイルス・デイヴィス「ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン」

「ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン」でした。1981年の来日記念盤としてリリースされたシングル盤のヴァージョンで聴いていただきました。来日記念盤でしたが、来日したバンドはこの路線ではありませんでしたから、ますます「別物」という印象になってしまったのでしょう。ヴォーカルはランディ・ホール。曲はランディ・ホールとロバート・アーヴィングの共作で、歌詞は「ホーンを持ったその男は、いいワインのように時とともに熟成していく」というような内容で、マイルスのことを歌っているんですね。

80年代のマイルス・デイヴィスは、いろんな共演アルバムがあり、自分のアルバムもたくさんリリースしていたんですけど、なおかつライヴ・ツアーも世界中で行なって、日本でも何度もライヴを行ないました。次は、その世界中でのライヴを集めたアルバム『ライヴ・アラウンド・ザ・ワールド』から大阪での演奏「フル・ネルソン」、そして、フランスでの演奏「ミスター・パストリアス」を続けて聴いてください。

M-8 マイルス・デイヴィス「フル・ネルソン」

M-9「ミスター・パストリアス」

1988年8月の大阪でのライヴの「フル・ネルソン」、そして89年4月フランスでのライヴ「ミスター・パストリアス」でした。

では、最後は同じアルバムに収録されている、マイルスの最後のライヴとされている1曲でお別れです。1991年8月25日、ロサンゼルスのハリウッドボウルでの演奏です。この演奏を聴くと、まさかこの約1か月後に亡くなってしまうとはまったく想像ができません。65歳の若さでした。曲は「ハンニバル」です。

M-10 マイルス・デイヴィス「ハンニバル」

「世界はジャズを求めてる」。

本日の選曲・解説はジャズ書籍編集者の池上信次でした。来週はジャズ評論家の柳樂光隆さんの担当です。おたのしみに。ではまた。

------放送はここまで------

*世界はジャズを求めてる」は、アプリやウェブサイトを使って世界のどこでも聞けます。毎週木曜午後8時から1時間、再放送は毎週日曜お昼の12時から1時間です。

「世界はジャズを求めてる」の記事をアーカイブするマガジンもあります。公開した記事を随時入れますので、こちらもチェックしてください! 鎌倉FMのプログラム「世界はジャズを求めてる」でかけた楽曲、レジュメなどをご紹介するマガジンです。

お願い:この番組はJAZZを愛する出演者たちが自らスポンサーとなり、各自の手弁当で運営されています。スポンサーとしてご協力をいただければとてもありがたいです。番組のスポンサーとなることをお考えの方は、下記にご一報頂ければご連絡さしあげますのでよろしくお願いします。

sekaijazz@gmail.com

また、このサイトの各記事に投げ銭でサポート頂くこともできます。記事の最後に300円を任意でお支払いいただくボタンがあり、それとは別にお好きな金額をサポートしていただくボタンもございます。「世界はジャズを求めてる」を長く存続するために、ご助力いただければうれしく思います。(「世界はジャズを求めてる」出演者・スタッフ一同)

ここから先は

0字

¥ 300

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?