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家の前で星見てたら友達と会った。

午前0:30頃。

家の前で星見てたら友達と会った。

隣の家の友達と会った。

彼女に「星綺麗だから外出て見て」って言われたから、外に出て星見てたら隣の家の友達と会った。

なんか、タバコ吸いながらチャリ漕いで帰ってきた。

隣の家の友達が。

ちゃんと会ったのは何年ぶりだろう。
覚えてないけどたぶん2年は会っていなかったと思う。

隣に住んでるのに。

どっちか透明人間か何かかな。

そんな会わないことある??

隣ですよ?真隣。家出て2秒で着く。

見かけもしなかったな。2年間。

ほんで、なんか見たことないタバコ吸ってたよ。
紙なのか葉巻なのかわかんないとんでもなくぶっといやつ。
トイレットペーパーくらいぶっとかった。

それ何?って聞いたら、「シーシャみたいなやつ」って言われたけど、
絶対違うやろ。

シーシャそんなんやないって絶対。

あとタバコ吸いながらチャリ乗るなよ。危ないな。

とはいえ、まずは会えたことを喜ぼう。
結局なんだかんだ1時間近く話したな。


風の噂でなんとなくは知ってたけど、隣の家の友達は来年の2月に家族で引っ越すらしい。

うーん、生まれた時からずっと知ってる幼馴染で、21年間ここで過ごしてきたわけだから、やっぱり少し寂しい気持ちはある。

2年会ってなかったけど。

何が幼馴染やねん。

隣に住んでて2年会わないは、たぶんどっちかが嫌いやろ。
何してんねん。せめて連絡は取れよ。

LINEも知らないくせに。何言うてんねん。

Facebookは知ってる。
誰が使ってんねん。大学生で。


まあまあまあ。

まあでも、多分もう本当に一生会えない可能性もあるのだろう。

寂しい気持ちは本心だ。

うちの前もかなり変わってきている。

あまり大きな声では言えないが、先日うちの隣の家で火事が起きた。

あ、隣って言っても、隣の友達の家ではなくて、もう一つの隣の家のことですよ。まぎら。

そのもう一つの隣の家に住んでいたおばあさんは、なんとか助かったけど、妹さんのお家に引っ越すことになったらしい。

だから僕の家の隣の家と、もう一つの隣の家は、しばらく誰もいない状態になるのだと思う。

なるほど。

あと、うちの前にある畑もだいぶ変わることになりそうだ。

夏になれば枝豆の収穫権を買うことができるうちの前の畑は、もうすぐ住宅地になるらしい。

もう着工はしている。
たぶん、友達がここからいなくなる頃には、すごいいっぱい家が建っているのだろう。

地元が変わるのは、良いことなのだろうか。

いや、やっぱり寂しい。

畑を通して見る花火はもう見えなくなってしまう。

低い位置にある月も。

星も。



もう何もなくなってしまうんだろうか。

きっとこれが最後だったんだろうか。


家の前で星を見てたら、2年ぶりに隣の家の友達に会うことは、もうこれっきりなのだろうか。


時の流れは残酷だ。
もう記憶通りの経験が戻ってこないという意識は、なぜこんなにも人を悲しくさせるのだろう。

僕は信じている。

時間が過ぎて、場所が変わっても、住む人が変わっても、みんなバラバラの場所にいても、例えば僕が初めてタバコを吸っても、それを馬鹿にする人が近くにいても、いなくても、
ずっと一緒にいた人が突然いなくなっても、星や月やあんなに綺麗に見えてたものがある日急に見えなくなっても、


みんなそれぞれ幸せにやっていけるし、


僕だけは何があってもずっと変わらない。と。


ここを過ごした事実、記憶、経験のすべては
確かに「在り続ける」。



きっとそれは誰しもの中にあるのだろう。


友達がどこかに行っても、畑がなくなっても、星はある。

見えないだけで、ある。

だから僕はこれからも空を見上げ続ける。

だってそれは、晴れていれば見えるし、晴れていなくてもずっと、確かにあるものだから。

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