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【山田幸代さんインタビュー1】学生時代に見つけた”情熱”の原点

今回は、日本初のプロラクロスプレイヤーである山田幸代の学生時代についてのインタビューになります!



バスケットボールに打ち込んだ中学高校時代

中学高校ではバスケットボール部に所属し、長浜北星高校では主将も務め3年連続でウィンターカップに出場するほどバスケットボールに「熱中」していた。

ーー部活動を通して学んだこと、今に繋がっていることとは?
今の基盤は高校の部活動でできている。高校に入った時点でチームの目標は既にあり、この目標に対して自分がどのように時間を使っていくのか、自己実現していくのかを高校時代に培い、この学びの仕方が今に繋がっている。

ーー主将として意識していたこととは?
顧問の先生やコーチが決めたこと、示した道をいかにしてみんなに浸透させるのかに注力していた。



高校生時代の山田幸代

ラクロスに出会うまでの半年間

京都産業大学に進学後はバスケットボールを続けず、バイトや遊びに時間を費やす日々を過ごしていた。
しかし、情熱をかけるものが何もない期間は、むなしさや何かを始めたいという意思からこの期間に対してしょうもなさを感じており、「情熱がないことはしょうもないことである」ということに気づいた。

ーー大学でバスケットボールは続けなかったのか?
これまで、自分の時間がバスケットボールしかなかったため、スポーツのない時間を試してみたかった。また、大学で続けるほどの情熱をかけることができなかった。


ラクロスとの出会い

友人のラクロススティックを見て興味を持ち、勧誘されてラクロスを始めた。スティック一つで完結する一見単純そうに見える競技であるが、始めた当初は全くできなかった。
それから、生活の比重は「ラクロス:勉強=9:1」ほどになり、ラクロスのために大学に通う日々になっていった。

ーー高校と大学の練習の違い
敷かれたレールを一生懸命い走り、決められた(やらされる)練習をする高校に対し、大学では自分たちですべて準備、フィールドの借用、仲間集め、目標設定を行い、1から決める形のないものを作る面白さがあった。また、自分からもっとうまくなりたいと思いながら行う練習では、できないことが楽しいと感じ、仲間とどうしたらうまくなるか考えながら練習をしていた。


ラクロスに「熱中」した大学時代

大学時代は1年でU-20日本代表、2年でA代表に選ばれ関西リーグでも得点王、ベスト12、MVPも受賞した。

ーー代表に選ばれた理由
運が良かった。中学高校時代のバスケットボールの経験からほかの人とは違ったプレーが評価された。

ーー代表に選ばれた当時の心境
無名の大学かつ自分のことを誰も知らない環境から代表から落ちてもしょうがないという諦念がありつつ、楽しいと思えることをフィールドで出すことができた時間だった。



いかがでしたでしょうか?
今後は大学卒業後のインタビュー記事も投稿予定ですので、ぜひフォローしてお待ちください!


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