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【山田幸代インタビュー2】プロ選手として歩んだ”情熱”の軌跡



『FUSION』の旗揚げ

社会人1年目にはラクロスチーム『FUSION』の創立に携わった。
形のないものを1から作る作業で、平日は仕事を行い土日にラクロスをする生活となった。「ラクロスがあるから仕事を頑張れる」というモチベーションであり、また世界を目指せる趣味であったことから、より熱中できた。

ーー仕事とチームの両立について
人を集める大変さやチームの作り方の模索をする苦難はありつつも、それらを上回るほどの楽しさがあった。


ワールドカップ出場

2005年には、ワールドカップのメンバーに選出され5位入賞に貢献した。ただ、この世界大会本番に弱かった自分に気づき変わりたいと感じ、何のためにラクロスをしているのかを思い出すきっかけとなった。そして、このきっかけが後のプロ宣言やオーストラリア進出につながった。

ーー周囲の人の反応はどのようなものであったか
ワールドカップに選ばれたことを会社のメンバーには称賛され、快く送り出された。


2007年プロ宣言

ーー今までにない形でありプロ規定も特にない中、なぜプロ宣言をするに至ったのか
ラクロスを始めた当初から、世界一になりたい・一番うまいプレイヤーになりたいと思ったことがなく、子供の夢の選択肢に「ラクロスプレイヤー」があるようなスポーツにしたいと考えていた。そして、これを伝えるためにラクロスでご飯を食べている人が一人でも多くいたら子供たちの夢につながると考えた。周りの声は特に気にならず、自分の夢をかなえるための一歩であるという楽しさや期待のほうが大きかった。

「子供が好き」×「ラクロスが好き」=「子供たちにラクロスを広めたい」

ーー子供がやるスポーツにしては少し激しく怪我の恐れがあり、夢に繋がりにくいのではないか
今後は、小学生のためのルール改正も行っていきたい。また、そのために海外に出てどのように子供たちがラクロスをしているのかを学びに行っている。子供たちが手に取りやすい場所にラクロススティックを広めたい。

オーストラリアでの日々

2008年にはオーストラリアの強豪「Wilderness」に加入。


ーー日本とオーストラリアの違い
普及力の差に関しては、オーストラリアでは小さな時からラクロスに触れており、子供たちが楽しんでやっている。どこに行けばラクロスが見られるのかを簡単に知ることができる点において、日本とはラクロスの根付き方が大きく違った。

ーー日本人選手とオーストラリアの選手の違い
戦術の違いはもちろん、オーストラリアの選手はリーチの長さ、ダイナミックなプレーが特徴的であるのに対して日本の選手は細かなテクニックや器用である選手が多い。

ーーオーストラリアの生活の中で印象的だったこと
ラクロスの中でいろんな人と出会えた。何より、ポジティブに物事を考えられるようになった。高校時代はネガティブになってしまう、あるいは自分からネガティブな考え方に持っていてしまうことが多くあり、バスケットボールを頑張っている自分に対して弱音を吐くことで周りに認めてもらいたかった。しかし、ラクロスを始めてからは周りもポジティブで海外ではよりポジティブに物事を考える選手が多く、チャレンジを楽しむことを学んだ。できないことを素直にできないと伝える、さらにポジティブになるための発言になっていった。そして、この考え方が現在のアクティブリスニング(みんなの意見をポジティブに聞いていく)に繋がっている。

現役を長く続けられる秘訣

プロ宣言以降14年トレーニングを十分に続けてきた。その結果、2022年まで大きなけがはしてこなかった。

ーー食生活について
オーストラリアで出会ったトレーナーさんの考え方である「ミールプラン」を立てている。ミールプランとは、一週間のうちに摂取する食材や栄養をある程度決めてもらい、その中で自分の好きなように料理を作っていく方法。食事制限はほとんどせず、いかにストレスをためないでプレーができるか、楽しめてプレーできるかが大切




いかがでしたでしょうか??

山田幸代のラクロスが好きな気持ちとそれを子供たちに伝えていきたいという意思が存分に伝わるインタビューでした。またインタビューを通して、大変なこと・辛いことよりも常に楽しいことに目を向け、自分の夢に対して実直に取り組む姿勢がとても印象的でした。

そして!
3月に行われるSEKAI CROSSE2025は山田幸代の夢であるラクロスの普及の活動の一つですので、今回の投稿に興味を持っていただけた方はぜひお越しください!


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