一からわかる旧宮家
皇族について議論をすると度々「旧宮家」というワードが出てきます。旧宮家とはどういう意味なのか。現在の皇族とはどう違うのか。歴史などについても解説します。
1 宮家とは
皇室に関して定められた法律である皇室典範には皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承すると書かれています。
男系の男子とは、父親が皇位継承者である息子ということです。
つまり皇室だから誰でも天皇になれるというわけではないのです。
そうなると皇位継承者がいなくなるという問題が発生します。
例えば、皇室に御子がお生まれにならなかったりした場合などです。男系の男子がいなくなってしまうと、皇室断絶という最悪の状態になる可能性もあります。
それを防止するために作られたのが宮家というシステムです。
例えば天皇に二人のお子が生まれたとします。
この場合は、長男が皇太子となり皇位継承順位第1位となります。次男は皇位継承順位2位になります。
皇太子が無事に即位をし、皇子お生まれた場合。このお子が皇太子となり皇位継承順位第1位となります。
次男は宮家をつくり、万が一天皇のお子に何かあり皇位継承が不可能になった場合に男系男子の血筋を引くものとして皇位継承者を確保するという役割を担うのです。
実際に、崇光天皇のお子である栄仁親王は伏見宮を設立しました。
その後、第101代天皇の称光天皇が28歳で崩御し、皇嗣がいなかったため、伏見宮家から御花園天皇が即位しました。
このように宮家には皇室守る役割があるのです。
2 旧皇族とは
戦後、GHQの政策の一環で皇室の縮小が行われました。
当時皇室には14宮家ありました。
昭和天皇の兄弟が党首を務めている三つの宮家(直宮家)は皇室に残ることとなりました。
高松宮家・秩父宮家・三笠宮家《みかさのみやけ》の三つです。
このうち、秩父宮と高松宮は断絶してしまい、三笠宮家と高円宮家には現在男系男子がいません。
一方伏見系皇族ともよばれる11宮家は皇室を離脱することになりました。
伏見宮・閑院宮・山階宮・北白川宮・梨本宮・久邇宮・賀陽宮・東伏見宮・朝香宮・東久邇宮・竹田宮の11宮家、51人です。
この11宮家51人が旧皇族と呼ばれる方々です。
3 旧皇族の復帰案とは?
現在皇位継承者が天皇陛下の次の世代ですと、秋篠宮若宮殿下(悠仁親王殿下)のみです。安定的な皇位継承を維持するためにも皇位継承者を増やすということが大事です。
ですが、皇位継承者は男系男子というルールが太古の昔から存在します。ですので男系男子のルールを撤廃し、欧米のように男女関係なく出生順に皇位継承順位を割り振るというのを日本で行うことは非現実的です。
そこで案としてあるのが、嫡流が断絶していない旧宮家を皇室に復帰させるというものです。
閑院宮・山階宮・北白川宮・梨本宮・東伏見宮の5宮家は嫡流断絶しており、伏見宮も嫡流断絶見込みとなっています。
また、宮家として復帰すると財務省が予算について言ってきたり、生まれてから一般人として過ごしてきたのに急に皇族に復帰しても大丈夫なのかなどという懸念があります。
そこで宮家ではなく、男系男子の子を養子として皇室に迎え入れるという案もあります。
安定的な皇位継承を続けるにはどうすればよいのか、議論が重ねられています。