風穴をあけろ!50歳まだヒットを狙うミュージシャンの軌跡③初めての楽器 SEiZI/晴志
写真のオルガンはネットから拾って持ってきた。
たしか、こんな感じのオルガンだったはず。
さて、「自分史」なるものを始めてみて気づいたんだが
昭和生まれの俺たち、写真データがない!
多分どこかに、アルバムがあるのだが、親父が転勤族で引っ越しが多かったため、いったいどこにあるのやら??探さないとなぁ。
今の若い人たちは、スマホやパソコンの中に写真あるもんね。
うらやましいし、便利な時代になったなぁ、と思うのだ。
あ、そうそう(笑)オルガン(笑)
さて、先述したように一人で(正確には座敷童の女の子と二人で)よく歌ってる子供だったらしいが
ちゃんと楽器に触れたのは、富山県小杉市から金沢に戻った
実家に「足踏みオルガン」があったことだ。
ばぁちゃんが保母さんをしてたこともあって、俺にオルガンを教えてくれた。
今から思うと「完全に自己流」
満州から引き揚げてきた祖父、祖母、親父はとても貧乏だったらしく
そりゃ音楽の勉強なんてできなかっただろう。
親父が酔っぱらうといつも「コンパス」の話を聞かされた。
子供のころ貧乏でコンパスを買ってもらえなくて、画鋲と糸をコンパス代わりに使ってよく先生や生徒からバカにされて悔しかったって話。
戦後だからね。
今では考えられない話かもしれないね。
あ、そうそう、足踏みオルガン(笑)。
立派なものじゃなかったけど、「ドレミ」覚えるにはちょうどいいおもちゃだった。幼稚園から小学校の2年生で転校するまで、割とオルガンで遊んでた気がする。
当時は男の子が「オルガン」なんて恥ずかしいから小学校では言わなかったが、学校から帰ったら毎日オルガンを弾いてたかな。
ばぁちゃんに習って童謡とか弾いてた。
それと「お茶」
ばぁちゃんは裏千家?のお茶の先生だった。
親父とお袋は共働きだったので、俺たち(2個下の弟がいる)は完全にじいちゃんばぁちゃん子だったのだ。
あ、そうそう、オルガン(笑)
今回は話が飛ぶなぁ(笑)
今思うと、初めての楽器との出会いって「オルガン」だったんだなぁ、って、今更思い出す。
だから?なのか、摺りこみなのか分からないけど
オルガンの音色ってやけにノスタルジーな感じに聞こえるよね。
レコーディングでオルガンの音を入れることが割と多い。
「思い出」とリンクする音色なんだろうなぁ。
音色とともに子供時代が戻ってくる。
死んじゃったじいちゃん、ばぁちゃんの顔や、昔の家の空気感なんかを一緒に思い出す。
うん。
オルガンの音、好きだ。
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