WEAVERとのお別れ
2022.04.03 【WEAVERから皆さまへ大切なお知らせ】
公式ウェブサイトに解散のお知らせが掲示されて約10ヶ月後となる2023年2月11日、WEAVERは最後から2番目となる東京でのライブを開催した。時期によって名称は異なるものの、WEAVERが節目節目でステージに立った渋谷公会堂でこの日を迎えられたことは、本当に良かったと思う。
神戸での最終公演を残したこの日のライブは、2回のメドレーを入れて30曲以上を披露し、これまで積み上げてきた歴史を存分に発揮する、3時間におよぶパフォーマンスだった。
WEAVERは僕にとって、あまりに思い出の強いアーティストだ。
WEAVERを初めて知ったのは2011年、大学1年生のときだった。広島県のTSUTAYAに陳列されていた新世界創造記前編・後編は、当時の僕の耳に深く突き刺さった。それから、iPod touchではWEAVERの楽曲をひたすら聴き、ネットを通じて情報収集をした。
その年に広島のクラブクアトロで開催されたライブは、初めて参加したWEAVERのライブというだけでなく、僕にとっては人生で初めてライブという空間に足を踏み入れた日だった。
僕はその日、音楽は耳だけではなく、身体全身で振動を感じるものだということと、音楽を作りあげるのはアーティストだけでなく、観客も含んだ全員であるということを知った。
WEAVERの特徴に一つに「音楽を体現していること」があると思う。特徴であると同時に、僕がこれほどまでにWEAVERに陶酔することになった理由でもある。音楽とは、1つのコミュニケーションの形式であり、「音を楽しむ」という字が当てられている。WEAVERはいつだって、自分たちが音を楽しみながら、観客とのコミュニケーションを通して音を楽しむ喜びを共有してくれた。
これは後から様々なアーティストのライブを行くことによってわかるのだが、WEAVERはアーティストの中でも楽器を演奏しながら観客と目を合わせたり見渡すことが非常に多い。ドラムを務めるべーちゃんと目が合った経験のあるファンは決して少なくないし、ベースを務めるおっくんはことあるごとに観客の近くに来てくれるのでベースから出るコードをスタッフさんが記にしているし、ボーカル&ピアノの杉くんは基本姿勢が観客に正対していないのに、常に視線を送っている。これは、いかにライブという空間を自分たちのパフォーマンスを発揮することだけではなく、それに対する反応を相互に交換する場と捉えているかということを表していると思う。
また、過去のライブでは音をループさせる機器やタブレット端末を使いながら、その場で観客の手拍子を録音しライブに組み込むなど、いかに音楽という世界に観客を巻き込むのかということに思考を巡らせていたのがWEAVERのステージだった。
そんなWEAVERのライブに魅了されたことが、様々なライブに足を運ぶきっかけになったのだから、人生に大きな影響を与えていることは明白だ。
そんなことを考えながら臨んだ最後から2番目の今回のライブでは、他にも様々なことを思い出した。
何度も見た、杉くんの歌詞間違い。
初期は頑なにライブで声を発さなかったべーちゃん。
ロンドンへの留学とそれ以降の楽曲の変化。
楽曲が使われたCMやスポーツやアニメ。
他の人のMC中に手元でコードを確認するおっくん。
同じツアーでも会場によって異なるライブになるという事実を知ったこと。
ライブの中で、思ったようにステップアップできていない苦しみを率直に共有してくれたこと。
自分が留学した際、iTunesで配信されたライブ音源に涙したこと。
そのどれもが愛おしい思い出になっている。
そんな彼らの解散ライブに「声出し解禁」が間に合ったことは、音楽を体現し続けたWEAVERに対する最後のプレゼントなのかもしれないと思った。一緒に声を発してライブという空間を創り上げて、最後を迎えることができるというのは、これまで様々な場面でWEAVERに救われたファンが、最後にできるこの上ない恩返しとなる。
神戸で迎える最後の公演は、3人とファンにとって最高の音楽になりますように。