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【技術百景】新刊の執筆を開始

さて2025年1月25日の技術博に向けて本を書いてみようと思ったけど、果たして続くだろうか。
(いちおうnote記事として投稿し、それをAmazon Kindle紙書籍として出版するつもり。この『まえがき』だけで終わらないことを祈る)

タイトル:技術百景
サブタイトル:技術者による雑記エッセイや執筆環境

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まえがき
 
「おもしろくこともなき世をおもしろく」
人生というのは視点を変えることによって、今まで見えて来なかったものが見えてくることがある。そういう意味で、様々な見聞を広め、頭の中であれこれと考えることは楽しい……こともあるらしい。
 
タイトルがタイトルなので、この本を手に取った人の多くは技術者ではないだろうか。いちおう著者は技術者らしいが、実は見聞を広めることに興味はない。頭の中であれこれと考えることも、そんなに楽しくはない。
素朴集合論とかトポロジーとか、大学入学レベルの数学や物理は身につけている。そのせいか、コンピュータ方面の新技術に携わる必要が生じた時には関係者となってアレコレとビジネスを画策することが多く、気がついたら周囲からは技術者だと見なされていた。
 
世の多くの技術者と呼ばれるような存在は、そんな者たちではないだろうか。技術者とは努力してなるものではなく、コンピュータなどの特定分野に関する技術を身につけたことによって、『技術者』と呼ばれるようになる。
 
技術書を購入して勉強し、他人の後追いをすることは決して悪いことではない。科学は先人たちの偉業によって作り上げられた。
しかしそれに満足し、後追いだけに留まっている者は、果たして技術者と呼べるのだろうか。身につけた技術に満足できず、自分なりに何かを工夫したりして、何かをやってみたくはならないだろうか。
 
実をいうと、著者は科学技術に対する関心が低くなっている。これは自分の中で何かが変わってしまったのか、それとも単純に加齢が原因なのかはわからない。しかし世界の技術革新に関与していないとはいえ、このまま引退するのは面白くない。
 
できれば自分が技術者としてどのように生きてきたのか程度は、この機会に書き残しておくことが良いかもしれないと考えた。誰か一人でもこの本を読んで、次世代の技術革新に貢献してくれれば嬉しいと考えている。
 
ちなみに技術革新への貢献といっても、そんなに身構える必要はない。コンピュータ業界は様々な人々によって支えられている。技術者を支援することができれば、それだって立派な貢献だろう。自分の指導した者が活躍したら、それだって貢献と言えると思う。たとえ自らが創造的になれなくても、創造的であろうとする姿勢が他者へ影響していくかもしれない。
 
この本はタイトルとサブタイトルの通り、かつて技術者と呼ばれたような者が何を見て何を考えたのかといったことを、日常的なエッセイという形式で少しでも伝えてみようとしたものである。
もしも誰がが手に取ってくださり、少しでも「費やした時間だけのものは得られた」という感想を持って下さることがあれば幸いである。
 
 
2025年1月3日   
小野谷静   

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