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『長い一日』を読む長い一月 〜3日目〜

滝口悠生さんの連載小説『長い一日』(講談社刊)を一日一章ずつ読み、考えたことや想起されたこと、心が動いたことを書いていく試みです。

第3回は「しわ犬(けん)」。タイトルだけでもなんだか面白そうです。

あらすじ
年が明けて2月になり夫婦は本格的に転居に向けて動き始める。妻には「理想に合わせて現実の方を捻じ曲げるようなところがある」と夫は思っている。理想の家が貸しに出されていることを知った妻は、友人の窓目くんを巻き込んでその家への引っ越しを実現させようとする。
その家は「しわ犬」の家の近くだった。夫婦は妻の通勤途中にいる、顔も体もあらゆるところにしわがよっている犬をしわ犬と呼んでいた。しわ犬は前年の春に亡くなってしまったのだが、1年近く経った今でもしわ犬の家の前を通るたびに、妻の心中にはしわ犬が生きていたときの「今日はいるかな、いないかな」という感じが起こる。

しわ犬と愛着
妻の視点で見たしわ犬の描写に紙幅が多く割かれています。たまたま出会ったものに、身近な人同士でしか通じない「名前」をつけるという行為は、きっと多くの人が経験したことがあるんじゃないでしょうか。自分だけの名前をつけて、それを身近な誰かと共有することで、しだいに日常の一部になっていく。そうやって生まれてきた愛着みたいなものが、ささやかだけど、心のある部分に位置を占めていく過程はとても共感できるものでした。

しかし、しわだらけだからしわ犬、ってあまりにもぞんざいなネーミングだと思い、シャーペイという犬種を調べてみたんですが、予想以上に「しわ犬」でした。「しわ犬」「しわ犬」と声に出していたら、「柴犬」みたいな響きで、あんがいしっくりくるような気もしてきす。

最初に、「妻の視点で」と書きましたが、これはこの作品にとって大きなことで、そこでは妻が見たものや思ったことから文章が構成されています。3人称で語られる=小説、というわけではもちろんないのですが、普通のエッセイとは異なるように思われます。

と書いてみて、わたしがこんなことを考えているのは、先日滝口さんと小説家の柴崎友香さんとのトークイベントを視聴したからで、柴崎さんはこの作品の転換点として、この章に言及されていました、それで、視点とか「エッセイと小説の境界」みたいなことを考えてしまうわけですが、この作品を読んでいくにあたって立脚点となるものではないかと考えています。

そして、窓目くん。このあとには、窓目くんの名前を冠した章が3つあるようです。「窓目くんは人生すべてを冗談だと思っているようなところがある」。きっと変な人にちがいない。

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