『長い一日』を読む長い一月 〜9日目〜
滝口悠生さんの連載小説『長い一日』(講談社刊)を一日一章ずつ読み、考えたことや想起されたこと、心が動いたことを書いていく試みです。
大阪の本町にある本屋toi booksさんで今週末『長い一日』の読書会があるそうです。めちゃくちゃ参加したかったのですが、多分みんな読了してから参加するんだろうなあとか、せっかく一日ずつ読み進めているのになあとか、うじうじ思っているうちに締め切られていました。9月にもういちどやってはいただけないものでしょうか… 気を取り直して第9回は、「決める前」です。
あらすじ
夫の気持ちは先日内見に行った家に引っ越しすることに傾いている。妻は、その家が、自分たちが探し求めていた家と思う反面、心が浮き立たないことを感じる。
妻は気乗りしない理由を考えながら、八年間過ごしたこの家の周辺や、いろいろな場所への道のりを思い出す。化粧をする手が勝手に動くように、それは勝手に思い浮かんでくる。妻はバスに乗って帰ってくることを好んでいて、引っ越しをすることでその時間も失われてしまうと考える。
大家のおじさんは昨年の夏に仕事を引退してから、以前より少し年をとったようにみえる。家の前で何をするともなく佇むおじさんは、どこか「喪失」(鉄を叩く音や、自分自身が壮健に働く姿)を見ているように思われて、夫婦もそれを強く感じる。夫は引っ越し先を探していることをおじさんに告げる。
住んでいた場所を思い出すこと
かつて住んでいた場所を思い出す時に、部屋そのものを思い出すよりも、その部屋から駅への道のりや、道沿いにあった建物、住宅やお店、空き地などが記憶に残っているような気がします。いちばん長く一人暮らしをしたのは、吉祥寺の木造二階建てアパートで、祖母から「木賃宿」と呼ばれるほどボロくてお風呂も付いていませんでした(不動産屋の案内では「バス・トイレ別」と書いてあった。たしかに別ではあるけど…)。そこをとても気に入っていたのは、その街が好きだったことが大きかったのですが、「街が好き」というときには、その人なりの愛着の作られ方がきっとあるはずで、わたしにとってまず思い浮かぶのは、アパートから歩いてすぐのところにあった喫茶店です。住んでいたのは外階段をあがってすぐの二階の角部屋で、休日の三時ごろになると、部屋を出て階段を下り、アパートの前の、一方通行ではないけれど、車がすれちがうことがどう考えても難しいような狭い道を右手に向かうと、五日市街道に出ます。道を挟んだ向かいにその喫茶店、プチがあって、「やっているのかいないのかわからない」と人からよく言われたその店で、わたしは多くの時間を過ごしました。夕方になると、そこで落ち合った友人と駅の東側の飲み屋街に歩いていく。半径1キロくらいをうろうろとしていて、その周辺の道路は横が詰まった網目状になっていたので、どういうルートを通ってもいいはずなのに、だいたい同じようなルートを通っていたことも、今考えると面白いなあと思います。
その部屋を出ることになったのは、老朽化による取り壊しが決まったからで、今そこには非木造3階建の、なんて読むのかわからない名前のマンションが建っています。そこに住む人は、手すりが錆びていて歩くたびに「カンカン」とうるさい外階段のことなんて、誰も知らないだろうと思います。
個人的なことばかりを書いてしまいましたが、読むことで思い出されたことを書くことはきっとその小説にも関係があることです。
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