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『長い一日』を読む長い一月 〜30日目〜

滝口悠生さんの連載小説『長い一日』(講談社刊)を一日一章ずつ読み、考えたことや想起されたこと、心が動いたことを書いていく試みです。

今回の語り手は八朔さんです。お花見の次の日の日曜日、八朔さんが娘の円ちゃんを連れて実家の近くの川にでかけたときのことが描かれます。
第30回、「八朔さん、川に行く」。

あらすじ
八朔さんは娘の円ちゃんと一緒に実家の近くの川にいる。ゆうべ流した涙のことを考えていて、思い出し笑いみたいなものだとそのときは友人に説明したが、その説明は間違っていると考えている。
その理由を言おうと思えば、言えるけれど、昨日自分を襲った感情とは別のものになってしまうと八朔さんは考えている。でも、言ってしまえば、まるでそうだったかのように思えてしまう、とも。
八朔さんは実家にある(実際にはもうない)煙草のことを思い出す。それを一本だけ吸ったとき、八朔さんは高校生で、深夜の産業道路を歩いていた。
雨が降ってきた。鞄からタオルを出そうとすると、底のほうから失くしたと思っていた赤い折りたたみ傘が出てきた。
円ちゃんを抱っこして歩きながら、八朔さんは煙草を吸った夜のことをまた思い出している。八朔さんはその日のことを忘れないし、誰かに話すつもりもない。

八朔さんの秘密
八朔さんがなぜ煙草を吸ったのか、その動機や背景みたいなものは最後まで語られませんでした。ただただ、その夜に八朔さんが歩いた道路のことや、初めて吸った煙草の匂い、ビニール傘に響く雨音などが語られます。
回の序盤で、あとから理由を語ればそれがたしかだったように思えてしまう、と八朔さんが考えていることと、それは関係があるのだと思います。何かを思い出すことは、常に事後的なことであって、そのときのことをそのまま汲み取れるわけではない。一緒に暮らす家族のことだって、自分が知っているのはほんの一部であって言い尽くせないことがたくさんある。読みながら、そんなことを考えました。
誰にも言えない、知られたくない秘密、というものが自分にはあるのかどうか。考えてみても特になにも浮かんでこず、そのことに寂しさや物足りなさを感じています。大人だったら、そういう秘密のひとつや、ふたつあるものなんでしょうか。
わたしはこれまでもいちども煙草を吸ったことがないし、これからも吸うことはないでしょう。でも、「いつも無意識のうちにしていた呼吸に、鮮明な輪郭が与えられるようだった(p.317)」という一節には煙草を吸うことの実感がともなっていて、とても印象的でした。

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