『長い一日』を読む長い一月 〜16日目〜
滝口悠生さんの連載小説『長い一日』(講談社刊)を一日一章ずつ読み、考えたことや想起されたこと、心が動いたことを書いていく試みです。
第16回、「床屋で(二)」。ついに「ぐるぐる」が再登場します!
あらすじ
おじさんは床屋の回転灯が発する、からからという音に引っかかるものを感じる。何十年も庭で解体を続けてきたおじさんは、回転灯については人並み以上の経歴があるが、実際に回転するところを見るのは新鮮だった。
おじさんは床屋の店主に回転灯の調子が悪いんじゃないかと言うが、店主は以前からずっと鳴っていた音で全く気にしていない。
考えを巡らせて、結局心配いらないと自分を納得させたおじさんだったが、店主にうながされるままに待合のソファに座ってしまう。おじさんは店主に回転灯がなぜ赤白青の三色なのかを尋ねる。店主はフランスになにかしらの起源があるという。その後、店主の妻が出てきて回転灯の色の由来を話すが、おじさんにはほとんど聞こえていない。フランスは全然関係ない、ということだけ聞き取れた。
ぐるぐるの怨念
この章では、大家のおじさんが考える回転灯のことについて、多くの紙幅が割かれています。章の中盤、基本的には同じ構造である回転灯の個体差についてのおじさんの思考が描かれます。おじさんにとって、それは解体の難易によって捉えられるのですが、解体するという行為が、その回転灯が使われていた土地の気候や、設置場所が雨風をしのげる場所だったのか、など回転灯の個別個別の物語を観察することとつながっているのがとても印象的でした。
特徴的だったのは、この章は誰によって語られているのかが曖昧になっているということで、前章でその位置を占めていた妻は姿を消しています。おじさんのもとにぐるぐるが運ばれてくる経緯などが詳細に語られていますが、これはおじさんが語っていることなのか、はたして妻の想像なのか、そのあたりは明らかにされていません。多分、それはこの小説では重要ではなくて、たとえおじさんが語っていることであったとしても、それが真実(というか事実として起こったこと)とはちがうかもしれない、というところに面白さがあるのかもしれないと思っています。それが思い出され、語られること。
「何百何千の叩き壊されたぐるぐるの怨念」という言葉があって、怖いんだか怖くないんだかよくわからず、ちょっと笑えました。
ちなみに回転灯の色の由来は諸説あるようです。