合唱好きをこじらせて芸大まで行っちゃった話#3 信大時代
【写真】信大松本キャンパスに至る道。松本は空が綺麗な街です。
どこかでこうした合唱作品に取り組みたい。
それができる場所を進路選択の中核にした僕が選んだのは、地元、信州大学の教育学部でした。
1.生まれと音楽の始まり
2.音楽中断期
3.音楽再開
4.信大時代◀︎ココカラ
5.別科時代
6.受験勉強
7.受験、合格へ
4. 最初の大学
大学選び
大学選びはまず何より「お金をかけたくない」という気持ちから始まりました。
妹が音大を志望していたためです。(結局一番長く学生をしたのは僕ですが…)
単に音楽的に高い能力を求め、多くの機会を獲得したいと思うならば、思い切って東京に行くべきだと、今なら10年前の僕にアドバイスすることでしょう。
今でもそう思うことはありますが、たくさんの学部の友人と巡り会えたことや、サークルの緩やかな連帯感の中で過ごせたことは大切な思い出の一部です。
これはこれで良かったんだと思えています。
長野での音楽生活
長野での音楽生活について振り返ってみます。
長野で音楽に取り組めた場所は大きく3つでした。
1.教育学部の専攻
2.サークル(混声・男声の2団体に所属)
3.社会人合唱団
1.について、信州大学では2年生から実際のレッスンが始りました。
週2回(1週は見学、もう1週でレッスン)の実技レッスンがピアノと声楽、かなり駆け足でしたが音楽史がありました。
ソルフェージュの授業はなく、入試でもなかったためこれが後々尾を引いてきます。
2.のサークル活動では充実した生活が送れたように思います。
高校の頃から歌ってみたかったJ.Bustoの作品に入学早々取り組むことができたのはとても嬉しいスタートでしたし、初めて若い世代で100人規模の合唱に取り組めたときはいたく感動しました。
学生指揮者や技術部としての参加が多かったですが、組織としての活動に参加できたことで、多くの役職の分業で演奏会が成り立つ様も間近で見ることができました。
また信州大学は蛸足キャンパスと呼ばれ、県内4か所にキャンパスが散らばっているのですが、そのため車での移動が主になります。
その移動もまた大切な思い出です。
車内で真面目なサークル運営の話になることもあれば、好きな音楽の話、ときに天才的ギャグセンスで車内を湧かせる者が現れたりと、飽きることがありませんでした。
金曜の夜に練習を終え、みんなでご飯を食べ、松本から長野に帰りそれぞれを家に送り届けるとやってくる1人の時間も大切な時間でした。
今でもラジオ番組で”JET STREAM”の声を聞くと、当時のことをよく思い出します。
3.の社会人合唱団では、サークルでは取り組めないような曲にも触れることができました。フランス音楽が好きな指揮者のもとでは、プーランクとの出会いがとても刺激的でしたし、音楽と「向き合う」とでも言うような経験は三善晃の作品で初めてしたことのように思います。
高校生の頃に出会った信長作品にも、多数触れることができたのはとても嬉しいことでしたし、学生指揮者のときにも選んだWhitacreの作品はここでの出会いがきっかけです。
次回予告
こうして県内外を行脚しながら音楽漬けの日々を過ごした僕でしたが、物足りなさは拭えず、教職への熱意も高まることがなく、とうとう留年。
大学に残ってしまいました。
5年目を迎え、担当教官の先生に泣き付くと、先生はこう言いました。
「芸大を受ければいいじゃない」
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