加藤晃生 序文|『透明な好奇心』
「何なんですか、の先へ」
山崎晴太郎は不思議なデザイナーである。
あるいは、彼は同窓の後輩だから少し失礼な言い方をしても見逃してもらえるのではないかと期待して、敢えて言葉を飾らずに書くならば、「何が専門なのか、いまいちよくわからないデザイナー」だ。
私と同じような印象を持っている方は、一定数いるのではないだろうか。
山崎と自分が初めて会ったのは、立教大学の池袋キャンパスである。その12号館の4階、三浦雅弘先生の研究室ではなかったかと思う。当時、私は三浦先生の研究休暇の際に代講として2年生の専門ゼミから4年生の卒論ゼミまでを引き受けるという立場だった。一方の山崎は三浦ゼミの卒業生である。
だが、その時にはまだ山崎晴太郎という人物の活動について、私は何も知らなかった。
次に私が山崎の情報に接したのは2017年5月である。
ソラーレホテルズアンドリゾーツが中心となった旧奈良少年刑務所のホテル化計画だ。残念なことにこの計画は後にホテル事業者がソラーレホテルズアンドリゾーツから星野リゾートに交代となり、山崎も計画から外れてしまうのだが、当初の予定では山崎はホテルの内装の設計からプロモーションまでを広範囲に担当することになっていた。
この時点での私の認識は「社会学部出身の空間デザイナーか。なるほど」である。
実際に立教大学の社会学部を出て空間デザイナーをやっている知人もいるので、「珍しいと言えば珍しいが、居ないわけでもないよな」と思ったのだ。
また、山﨑は2017年のうちに同じソラーレホテルズアンドリゾーツによる「雨庵 金沢」の企画と設計を担当している。更に翌2018年2月にソラーレホテルズアンドリゾーツが開業したランプライトブックスホテル名古屋においては、コンセプト、ネーミング、ロゴ、サイン計画を担当したという。やっていることが空間デザイナーの範囲を越えているような気もしたが、一応、「ホテルの色々なものをデザインする人」という形で飲み込めはした。
だが、2018年5月にウォーターサーバー「アクアファブ」(アクアクララ株式会社)のプロダクトデザイン、6月の「い・ろ・は・す グラススパークリングウォーター」のキービジュアルとメインコピー制作、2019年4月の株式会社JMCのチーフデザインオフィサー就任、ニューヨークでのアート作品の個展と続くにつれて、最初の「なるほど」が「なんなんだこの人は」に急速に変化する。この変化は、2020年になって発表されたギタリスト田中義人とのサウンドユニット「NU/UC」において一つの頂点を迎える。
「山﨑さん、もはや理解不能ですよ(笑)」
そうだ。私もまた、山﨑に「何なんですか」と言ってしまった人間の一人なのだ。
ただし、付言しておくが、これは私にとっては褒め言葉である。理解し難いものの中にはしばしば未来があるからだ。
たしかに、ありとあらゆる領域のデザインを行うデザイン会社は存在する。たとえばGKデザイングループだ。
だが、GKデザインが創業したのは第二次大戦が終わってから10年も経っていない1952年であり、現在ではデザイン領域ごとに多数の子会社に分かれている。時代も違えば規模も違う。
もちろん現代のデザイナーでも、佐藤可士和など、ブランディングからグラフィックデザイン、空間デザインまで手掛ける人物が他に居ないわけでもない。しかしながら、ファインアートの領域にまで進出して真っ当なアーティストとしても認められている(*1)デザイナーとなると、少なくとも日本国内では寡聞にして山﨑以外には思いつかない(*2) 。
それくらい、これは奇妙なことなのだ。
何故ならば、(日本ではあまり理解されていないが)現代のファインアートとデザインはゲームのルールが全く異なる領域だからである。少なくともアメリカンフットボールとラグビー程度には違う。デザイナーが単にきれいなもの、気の利いたもの、不可解なもの、あるいは醜いものを作って展示されると、それで日本国内では概ね「アート」として通る(*3) 。だが、それはあくまでも日本国内でのことだ。現代のファインアートのルールを生み出しているのは欧米であり、欧米のルールに従って作品を制作し提示しない限りは、欧米ではファインアートとしては扱われない。
しかも、山﨑は数多の著名デザイナーたちのように有名美大を出ているわけでもない。立教大学社会学部。その中でも(私もそこで何年もの間、多数の講義を担当していたのでこう書いてもさほど叱られないと思いたいが)「社会学部なのに文学部っぽい、よくわからない学科」と言われていた現代文化学科である。
それが、すなわち、ありとあらゆる境界線を越えて進み続けているところが、山崎晴太郎の凄さだ。
と言いたいわけではない。本稿の焦点はそこではない。
この道一筋である領域を究め続けているデザイナーたちは、間違いなく素晴らしい。たとえば大河原邦男(*4) がいなかったら、現在の日本のアニメーションはどうなっていただろうか? 想像することも出来ない。
一方、繰り返しになるが、山崎晴太郎は「何が専門なのか、いまいちよくわからないデザイナー」なのだ。だが、山﨑の思考の中では、あるいは山﨑の視線の先では、ここまでに数え上げてきたような様々な領域での活動には、何らかの一貫性があるらしい。
デザインの領域に限れば、山﨑の言うような「思想」「コンセプト」「クリエイティブワーク」の3段階を経たデザインのプロセスは、いわゆる「デザイン思考 (*5)」の亜流ではないかと主張することも出来よう(私がそう主張しているのではない。両者が「同じものではない」と断定する材料が現段階では資料として存在していないという状況の指摘に過ぎない)。
だが、百歩譲って山﨑のデザイン手法を「デザイン思考の発展型」と理解するとしても、本質的に「問題解決」を志向する「デザイン思考」の付近には、ファインアートの制作を可能にする思考は無いはずだ。機能和声音楽(*6) の用語を借用するならば、「デザイン思考」から同主調や属調や下属調や平行調 (*7)にいくら飛んだところで、そこにあるのは「デザイン思考」の変形されたものでしかない。ファインアートを可能とする思考にはたどり着かない。何故ならば、乱暴に言えば、ファインアートとは「問題解決」ではなく「明快な答えの出しようが無い問題を独創的な方法で発見し、提示する」ものだからである。
かくして、山崎晴太郎に結びついている「いまいちよくわからない」を無効とするためには、山﨑のデザインを見ているだけでは駄目だという結論に至る。
山﨑をより上流へ上流へとさかのぼり、そこからデザインとファインアートが出てくる水源の井戸を見つけ出し、記録しなければならない。
本稿を一つの緒言として始まる連載の目的は、これである。
これは山崎晴太郎を持ち上げるための連載ではない。山崎晴太郎という奇妙な存在を冷徹に観察し、記録し、分析し、その一切を後世に委ねるための連載である。
そのために、わざわざ「山﨑の大学の先輩」で「社会学者」である私が選ばれたのだと思っている。
「大学の先輩」だから遠慮というものが無い。
「社会学者」だから、アカデミックな言語で山﨑を記述することが出来る。
ジャーナリズムの言語では、届く範囲が時間的にも空間的にも限られる。それは同時代に響くように書かれなければならないからだ。それがジャーナリズムの宿命だ。
だが、アカデミックな言語は本質的に普遍性を志向している。マリノフスキーが98年前に書いた『西太平洋の遠洋航海者』(*9) も、ポール・ウィリスが43年前に書いた『ハマータウンの野郎ども』 も、アカデミックであるからこそ、今もなお現役の言葉として読まれている。
山﨑をジャーナリスティックに語る仕事は、他の方々に任せたい。私は、立教大学で山﨑の後輩たちに教えていたのと同じ、オーソドックスな社会調査法を用いて、山﨑とその周囲の人々、そして事物を記録し、分析する。
本連載が50年後、100年後のクリエイターたちの糧となることを願いつつ。
(*1)山﨑はイタリアで毎年開催されている現代アートのコンペティション「アルテ・ラグナ賞」のSpecial Prizeを2019-20年(第14回)に受賞している。こうしたコンペティションでの受賞は、その作家が現代アート作品を制作する人間として現代アートの世界で認められたことの一つの指標となる。
(*2)逆にファインアートの作家がデザイン領域で著名な仕事をした事例としては、艾未未による北京国家体育場のデザインへの協力がある。
(*3)こうした日本独特のカタカナ語「アート」については多くの論考がある。たとえば美学研究者の佐々木健一は『美学への招待』(中公新書2004年、増補版は2019年)の3章でこの現象について取り上げている。
(*4)1947年東京都生まれ。東京造形大学卒。アニメーション作品に登場する架空の機械類のデザインの先駆者として知られる。主な作品に「機動戦士ガンダム」に登場する人型兵器「ガンダム」や「ザク」、「装甲騎兵ボトムズ」に登場する人型兵器「スコープドッグ」など。
(*5)Design thinkingという概念には複数のルーツと多くの実践があり、その歴史と内容を単一のものとして記述することは出来ない。本稿では1970年代から1990年代にかけて主にアメリカで形成され、21世紀に入って狭義のデザイン領域を越えてビジネスプロセス改善や行政サービス改善、教育プロセス改善など様々な領域に応用されるに至った諸々の手法を総称して用いている。代表的な手法としては、スタンフォード大学ハッソー・プラットナー・インスティテュート・オブ・デザイン(Hasso Plattner Institute of Design at Stanford)が提唱する「共感(emphasize)」「問題定義(define)」「想像(ideate)」「試作(prototype)」「試験(test)」の5段階を用いるものがある。
(*6)ヨーロッパのキリスト教会や宮廷において演奏されてきた、いわゆる西洋古典音楽において、17世紀から19世紀まで基本となった音組織の仕組みを機能和声と呼ぶ。20世紀移行は西洋古典音楽ではほとんど用いられなくなったが、多くのポピュラー音楽では現在も基本となっている。
(*7)機能和声音楽はハ長調ならハ長調、ト短調ならト短調の中で主和音・下属和音・属和音を一定のルールに従って循環させているが、曲の途中で響きの似た別の調へと転ずることがある。これを転調と呼ぶが、最も違和感無く転調出来るいくつかの調を近親調と呼ぶ。近親調に含まれるものは同主調、属調、下属調、平行調である。
(*8)文化人類学者のブロニスワフ・マリノフスキが1922年に発表した本。ニューギニアのトロブリアンド諸島におけるクラ交易を対象とし、現地に長期間住み込んで行った参与観察から得られた情報を用いて書かれた分厚い研究書である。参与観察法を用いた研究の古典として現在に至るまで読みつがれている。
(*9)カルチュラル・スタディーズ研究者のポール・ウィリスが1977年に発表した本。ウィリスは文化人類学分野で確立されたエスノグラフィの手法を先進国の若者集団に応用し、イギリスの中等教育において、いかにして労働者階級の子弟が労働者階級として再生産されているのかを明らかにした。社会学、教育学、カルチュラル・スタディーズなど人文社会学の多くの領域で古典として現在も言及され続けている。原題は”Learning to Labour”。