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はじめに|『透明な好奇心』

それでは、あらためてこの連載の背景と目的を説明する。
まずは連載の背景について。
我々の序文でも触れられているが、山崎晴太郎は既存のものさしを当てはめてみる限りでは、「何をやりたいのか、わかるようでわからないデザイナー」だ。

何故ならば、グラフィックデザインから始まり、建築設計やプロダクトデザイン、最近ではファインアートにまで、ある種の人々から見ると「節操が無い」と映るほど短い期間に、様々な分野に進出しているからである。

もちろん、ある分野のデザイナーが別の分野での創作を手掛けることは、決して珍しくはない。例えば先日惜しくもこの世を去った山本寛斎は、ファッションデザインの他にもパフォーミングアートのプロデュースや、鉄道車両のデザインも手がけた。また、デザイナーではなくファインアーティストになるが、山崎の立教大学の先輩である写真家の杉本博司 (*1)は、香川県の直島にある護王神社(*2) や、小田原にある自身の美術館「江之浦測候所」の設計に携わっている 。(*3)

だから、山崎の活動が前代未聞とまでは言えない。これは確かなことだ。

だが、山本にしろ杉本にしろ、それぞれ本業と呼べる分野があり、その中で押しも押されもせぬ第一人者になってから、別の領域への越境を伴う創作を行った。

この場合、周囲の人にとっての「山本寛斎」像や「杉本博司」像は混乱しない。

あくまでも「ファッションデザイナーの山本寛斎」や「写真家の杉本博司」というイメージが確固たるものとしてあり、その上でKANSAI SUPER SHOWは「ファッションデザイナーの山本寛斎がプロデュースしたパフォーマンス」、護王神社は「写真家の杉本博司が設計した神社」となるからだ。

この点が、先行する偉大なデザイナーやアーティストたちと山崎との違いである。

山崎はグラフィックデザイナーとしての活動が軌道に乗った時点ですぐにプロダクトデザインや建築設計や空間デザインへと越境し、プロダクトデザインや建築設計や空間デザインである程度の成果が出ると、今度は経営コンサルティングやファインアートへとあっさり越境してゆく。そして、それらの分野での活動を次々に軌道に乗せている。

「軌道に乗せて」という表現が大げさならば、こう言い換えても良いだろう。

「その分野でのビジネスを継続している」

もう少し視野を広げ、企業経営の戦略として見ると、こうしたやり方は決して珍しいものではない。

例えば楽天は祖業であるインターネットECモールから始まって、21世紀に入るとインフォシークやライコスなどのポータルサイト、旅行会社やクレジットカード会社、ゴルフ関連会社などを矢継ぎ早に買収・子会社化し、事業の多角化を進めた。結果、楽天の事業の中で楽天カードや楽天証券、楽天銀行といった金融部門は今や大きな割合を占めるに至っている 。(*4)

外国の事例では、シスコシステムズのM&A戦略が有名だ。シスコシステムズはコンピュータとコンピュータを接続するための機械の製造販売をする会社として1984年に創業されたが、その直後から貪欲にネットワーク関連企業を買収してコンピュータネットワーク分野内での多角化を進めた。この戦略が間違いではなかったことは、2000年3月27日、一瞬ではあれ、同社が時価総額世界一の会社になったことからもわかるだろう 。(*5)

祖業を確立してから多角化していくのではなく、祖業を大きくしつつもチャンスがあればどんどんM&Aをして事業範囲を広げてゆく。その結果として祖業の競争力が強化され、外部環境の変化にも対応しやすくなる。

これは王道の一つなのだ。

よって、経営学的な視点を採用するならば、これまでの山﨑の活動は、新興企業がM&Aを繰り返しながら成長してゆくプロセスの変種として理解することも出来よう。

ただし、明らかに異なる部分もある。

M&Aでは他社の持っている技術や人材をお金を出して手に入れる。言いかえるならば、それらは売却することも出来る。つまり、企業と技術・人材は不可分なものではない。

一方の山崎は、自身が経営するセイタロウデザインという会社の中に多様な職能を持つ人材を雇い入れるだけではなく、常に自分自身が貪欲に新しい分野の技術や知識を身に着けようとしている。つまり、企業としてのセイタロウデザインだけではなく、山崎晴太郎という個人そのものも、新興企業の多角化戦略に似た変化を志向しているのだ。

これは、プロフェッショナルとして活動している個人のクリエイターとしては、あまり見られないパターンである、ということも言えよう。何故ならば、個人の場合は「勝てる分野に集中する」ことがブランディングの王道だからである。

例えばキャリアデザイン論の研究者である山本寛(青山学院大学経営学部教授)は、現代の企業経営における従業員の知識や専門性の向上の重要さを指摘し、仮に従業員がある企業を解雇された場合でも、専門性が高い人材であれば再就職は容易であると指摘している 。(*6)

山本の研究は組織における人材育成に焦点を置いているが、フリーランスにおいても状況は同じであり、一般社団法人プロフェッショナル&パラレルキャリア・フリーランス協会が2020年の6月12日に発表した「フリーランス白書2020」では、「現在の働き方を続ける/成功させる上で重要だと思うものをお知らせください」という質問に対し、63.9%の回答者が「成果に結びつく専門性・能力・経験」と答えている。これは「自分を売る力(セルフブランディング)」の63.2%や「人脈」の56.9%を抑えて、最多の回答である 。(*7)

また、工学を基礎にアート作品を制作している久保田晃弘(多摩美術大学情報デザイン学科教授)は次のように述べている。

一人の人間がものごと学ぶ時間には、生物学的な制約がある。その有限な時間の中で、ある特定の領域の(年々増加し続ける)文献や動向をすべて理解し、その世界である種の権威になろうと思ったら、とるべき方策は対象とする領域を狭くしていくしかない。学問の蛸壷化が指摘されて久しいにもかかわらず、それが一向に解消されないのは、人間の知識や実践が、その総量として常に増加し続けているからだ。(*8)

にも関わらず、山崎はそうしたセオリーを無視した越境を繰り返す。そして、少なくともどの領域からも撤退することなく、プロフェッショナルとしての活動を続けている。

こうした状況が、この連載の背景としてある。

そのような活動形態を山崎が採用している主観的な理由は、既に本連載のまえがきにおいて、山崎自身の言葉によって説明されている。すなわち

「常に浮遊していることが、僕に刺激を与え続けてくれるから」
「常に新しい外部刺激を受け続けていなければ、自分のクリエイションが固まってしまう」

というものだ。
これはこれで、一応、筋が通っている。

山崎の言葉をそのまま受け止めるならば、山崎の越境行動は経営学における「サーチ」活動 (*9)と考えることが出来るだろう 。(*10)すなわち、様々な経験を通してデザイナーとしての自分自身の選択肢を増やし、会社経営やキャリア形成に役立てるという行動である。

だが、山崎の越境行動がサーチ活動であれば、それらを次々に事業化する必要は無い、ということも同時に指摘出来る。

既に見たように、個人のキャリア形成において専門性を確立することの重要性は大きい。自分の専門分野はこれである、ということを明確にするわけだ。たしかに複数分野を横断するキャリア形成戦略として幾つかの分野の掛け合わせによるスキルの希少性の獲得というやり方もあるが、それとて掛け合わされた結果出てくる答えは一つであり、それが彼/彼女の専門性なのだ。

もちろん、サーチ活動は企業経営だけでなく個人のキャリア形成においても有意義である。だが、個人の使える時間は、久保田が指摘する通り有限だ。彼/彼女が一つの肉体しか使えない限り、可処分時間は法人のように簡単には増やせない。だから、サーチ活動を積極的に行うとしても、様々なことをひとまず経験してみる、という程度に留めておく方が合理的ではないか。山崎自身の言葉を見ても、新しい刺激が常に必要だと主張しているだけであって、そこから事業化を行う必然性も合理性も引き出すことは出来ない。少なくとも、デザインファームの経営や山崎個人のキャリア形成の成功指標を、財務諸表上の数字で測る限りにおいては。

さて、先に見た論考において、久保田は専門性を深める方向で活動を行う「プロフェッショナル」の対概念としては「アマチュア」「ハッカー」を置く。

そうした学問の宿命としての蛸壷化に陥らないためにはどうすればいいか。その一つの方策は「家」を持たないことだと思う。専門家、芸術家、建築家、音楽家、批評家……「家」のつく肩書きを自ら名乗る人は、それだけで専門の罠にはまっている。自分の立場を表明することは、思考や行動の枠組みを定めることである。学問とは「何を問わないか」を決めることで成立する。だから、常に初心者であり続けることで、分野の枠組みを越えようとするものは、学問の世界という家の中では、胡散臭いものとして排除され、初心を忘れたプロフェッショナルばかりが残っていく。(*11)
アヴァンギャルドな手作りが、ラディカルであり続けるためには、決して職人にならず、熟練したり円熟しないことが必要だ。そのことを体現しているのが「ハッカー(熱中する人)」や「アマチュア(愛好する人)」といった、「プロフェッショナル(専門家)」になると失われてしまいがちなスピリットを持ち続けている人たちである。

久保田が論じる通り、蛸壺化を避けようとして色々なものに手を伸ばすのは、一般的な思考の枠組みを用いる限りでは「アマチュア」である。もちろん、ここでの「アマチュア」に否定的な響きは無いし、歴史的にはアマチュアリズムがプロフェッショナリズムより高い評価を受けてきた局面も珍しくない 。(*12)

だが、本稿で再三指摘しているように、山崎は「アマチュア」ではなく「プロフェッショナル」として活動するための越境行動を重ねてきたのだ。

つまり、山崎の主観においては越境行動の理由付けは成立しているけれども、客観的に見たときには、その理由付け、あるいは説明は不十分なのである。このままでは結局のところ

「とにかく山崎さんはそういう人だから」

という、合理的な説明が難しい外れ値の人間であるという理解に行き着いてしまうだろう。

だが、我々の考えるところでは、山崎の越境行動は決して非合理的なものではなく、それどころか合目的的なものだ。

この連載の目的は、従来のキャリア論や経営論では合理的に説明しづらい山崎の越境行動に関して、その合理性や合目的性を説明しうる理論を構築し、提示することである。

それにより、山崎に続く世代が山崎と同じような越境行動を展開してゆくための道をつくり、良いデザインがより深く、より広く、願わくばあらゆる場所に埋め込まれた社会を実現するための一助に出来ればと思う。

(*1)杉本は1970年経済学部経営学科卒業、山﨑は2006年社会学部現代文化学科卒業。
(*2)正式な作品名は「Appropriate Proportion」で、杉本は「Design」を担当したとされている。ベネッセアートサイト直島公式ウェブサイト https://benesse-artsite.jp/en/art/arthouse.html (2020年8月24日閲覧)
(*3)江之浦測候所公式ウェブサイトによると、杉本は「構想」を担当し、基本設計・デザイン監修を株式会社新素材研究所、実施設計・監理を株式会社榊田倫之建築設計事務所が担当したとされている。 https://www.odawara-af.com/ja/enoura/ (2020年8月24日閲覧)
(*4)楽天の発表した決算資料によると、2020年度第2四半期の売り上げ収益においてフィンテック部門は国際会計基準で36.6%を占めている。https://corp.rakuten.co.jp/investors/financial/segment.html (2020年8月24日閲覧)
(*5)Reuters “Cisco shares' highs and lows in Chambers' 20 years as CEO” https://www.reuters.com/article/cisco-moves-ceo-stocks/cisco-shares-highs-and-lows-in-chambers-20-years-as-ceo-idUSL1N0XV1AE20150504 (2020年8月24日閲覧)
(*6)山本寛「組織の能力開発から見た専門性マネジメントの実証的研究」『青山経営論集』第54巻第3号(2019年12月)
(*7)一般社団法人プロフェッショナル&パラレルキャリア・フリーランス協会「フリーランス白書2020」P20 https://blog.freelance-jp.org/wp-content/uploads/2020/06/2020_0612_hakusho.pdf
(*8)久保田晃弘「ものをつくらないものづくり #1 — 『Handmade Electronic Music』から再考する「手作り」のルーツ https://makezine.jp/blog/2020/08/make_without_making_01.html (2020年8月12日閲覧)
(*9)「サーチは、もともと認知が限られている組織(の意思決定者)が自身の認知の範囲を広げ、新たな選択肢を探す行動である。(中略)一般に組織は現状に対する満足度が低いほど、サーチを活発に行う。満足度が低ければ、「自分の認知はまだ狭く、この世にはもっと自分をサティスファイ(満足)させてくれる選択肢があるのではないか」と考えるのが、合理的だからだ」入山章栄『世界標準の経営理論』ダイヤモンド社、2019年、P211。
(*10)サーチによる経験から知(knowledge)への展開については、経験から新しい知を生み出すパターン、他社から技術や知識を移転するパターン、同業他社を観察することで知を手に入れるパターンなどがある(入山前掲書、P226)。
(*11)久保田・前掲論文
(*12)例えばラグビーユニオンや近代オリンピックなど。

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