アナザー・バスカッシュ! #01
第一話『カーニバル・ナイト』
乾いた空。緩やかに飛行船が飛ぶ。機体の横腹に映し出されたきらびやかな格好の三人組のアイドルが歌う。
月へおいでよ、みんなおいで
月へ行けば何でも叶う
夢にあふれた今
夢にあふれた未来——
「ケッ、また歌ってやがる」
少年は、屋上で寝転んでいた。圧迫するように上空には巨大な月が浮かんで見える。惑星アースダッシュを公転する唯一の衛星である月。その軌道は手に届くかのように低く、昼に夜にその身を地上にさらしていた。月の街ムーニーズには成功者が住み、夜になる街そのものが明るく輝く。
やがて起きる掘削音と震動。近くのアパートの取り壊しが始まった。二足歩行の作業機が両手につけたドリルを使い、大胆に壁を突き崩している。
「ああ、こっちの方がいいや」
アイドル達の歌はかき消され、やがて飛行船は飛び去って行った。
「ざまあみやがれ」
少年は目を閉じると、どんどん建物が壊されていく音を楽しんだ。
少年は建物が壊れるのが好きだった。
彼の名前はトーイ。人は皆そう呼ぶ。本当の名前もあるのだが、ダン・JDがそう名付けて以来、彼の名前はトーイになった。
「お前、ワン・オン・ワンでおもちゃみてえに動くよな。トーイ……そうだ、お前はトーイだ!」
ダン・JDとはローリングタウンのギャング、チーム・ダンガンのリーダーである。背は小さいが、俊敏さとその知恵の回り方は尋常ではなく、近年その勢力はどんどん大きくなっている。トーイはチーム・ダンガンの準構成員だった。ウォリアー(戦闘員)でもない、ハスラー(売人)でもない、あくまで準構成員。何をするのかというと、ダンとバスケをする。ただそれだけの関係だったが、ダンはトーイをチーム・ダンガンの一員と言い、その一方で他のギャングスタ達にはこう言った。
「いいか、トーイはあくまでも俺とバスケをするだけの関係だ。あいつをヤバイ話に巻き込むな」
トーイに親はいない。いつの間にか家には彼一人が残されていた。食べていくために新聞配達や荷役の仕事を小さい頃からやっていた。ある時、彼はダンと出会った。ダンは彼を可愛がった。バスケもダンに教わった。ダンは言った——
「俺も小さい頃、誰だかわからねえヤツに教わったんだ。バスケはいいよな、何しろボールは嘘をつかねえ」
ゴールにボールを入れる、ただそれだけの競技ではなく、ボールを通じて敵と駆け引きをする。知恵を使い、相手の心理を読み出し抜きボールを奪う……そんな瞬間がトーイは好きだった。そしてこう思う。
(確かにボールは嘘はつかない。しかしプレイヤーのフェイクはありだ)
人の知恵をこめてボールは弾む——だからこそトーイは、ワン・オン・ワンにこだわった。スリー・オン・スリーでのダンクシュートは確かにギャラリーは湧き立つ。しかし、ギャング同士の抗争の解決には必ずワン・オン・ワンが使われていた。争いの種は沢山あるが、無血で終わらせるためにそれぞれの代表が一対一で戦うのである。チーム・ダンガンはダンのプレイで次々と勝利し、ダウンタウンでは敵無しだった。
「俺もダンみたいにタイマン勝負したいな」
「バカ、お前は学校に行って偉くなれ!」
トーイはダンの妹のココから勉強を教わっていた。彼女はダウンタウンでは珍しいパソコンの持ち主で、色々な事を知っていた。インターネットを駆使して語学を、社会を、科学を教えてくれる。週に数回、たった二時間ほどの授業であったが、彼にとっては夢のような時間だった。
「お前、ココが言ってたぞ。『トーイは頭がいい』って。頭空っぽな俺とは大違いだってよ」
そう言いつつダンは嬉しそうに笑った。
ダンとココは仲が悪い。そんな彼らが話をする事といえば、トーイの勉強の進み具合くらいのようだった。
「普段はあいつ、一言も口を聞かねえのによ。お前の事だけはちゃんと報告してくれるんだ」
ココは足が不自由なため車椅子を使用していた。原因は二人でバスケをしていた時の事故だという。
「俺がヘマしたからアイツが怪我した。俺はアイツの足を治してやる。それが俺の義務だ」
ダンは金を求めていた。そのうち彼は、街頭テレビを壊して中のパーツを盗み出す事を始めた。電子部品はローリングタウンでは貴重なため、高く売れる。トーイは一度だけ、チームの一員・ガンツのお供で、パーツを売りに行った事がある。ヤバイものを買い取る店は、ダウンタウンよりも更にヤバイ場所・バッドゾーンにほど近い地下街にあった。廃墟の中から野獣のような目が沢山見つめている。トーイはガンツにぴったりくっついて、出来るだけ正面だけを見るように歩いた。それでも鋭い視線が突き刺さる。顔を強張らせるトーイにガンツは言った。
「いいか、こんな所にお前が来るのは今日が最初で最後だ」
ガンツはチームのNo.2だったが、メンバーを取りまとめていたのは実質彼だった。余所のギャングにも顔が利き、パーツをわざわざ地下街まで来て転売出来るのも彼の政治力のおかげだった。
「ダンはバスケバカだからな。それ以外の事任せてたらウチのチームは即壊滅だ」
そう言いながらもガンツはダンを立て、ダンは安心してガンツにチームを任せていた。
「あいつのプレーは人を惹きつける。ギャラリーがどんどん熱くなって盛り上がるのは面白えな。それが楽しみでチームやってるようなもんだ」
「それで……サブリーダーを?」
「ま、腐れ縁さ。俺とダンとデブっちょベルは幼馴染みでな。言わば三人がオリジナルのチーム・ダンガンってわけだ」
業者と交渉が成立し、トーイが見た事の無いような大金が手に入った。ガンツはその中から紙幣の束を無造作に取り出し、目を丸くしているトーイに手渡した。
「お前、これで本を買え」
その後、チーム・ダンガンはスタジアム破壊事件でダンが逮捕されてから解散した。トーイはガンツからもらった金を元手に学校に通い、勉強するようになっていた。
「やあ、トーイ」
不意に声を掛けられたのは市庁舎のそばの大きな書店の中。トーイが振り向くと、そこにはニコニコと笑うベル・リンドンの姿があった。大食らいの巨漢でチームで一番の物知りで参謀役。ダンが街頭テレビを壊して回っていても捕まらないのは彼の作戦のおかげだった。それくらいにベルはローリングタウンの地理に詳しく、どこにどういう建物があるかを熟知していた。
「トーイってば最近どう? 勉強進んでる?」
本を買った後、二人はスタジアムそばのフードコートにいた。
「奨学金試験に受かったんで……エクセレントシティの学校に行く予定です」
「よかったじゃない! ダンも喜ぶよ」
焼き菓子をむしゃむしゃ食べながらベルも嬉しそうに笑う。
「ダン……刑務所でどうしてるんでしょう?」
「うんにゃ。もう出てきた」
「え?」
「笑っちゃうよ、ダンが模範囚だって。情状酌量の上、釈放って感じ」
「今、何やってるんですか?」
「宅配便。ビッグフットで配達ってヤツ」
トーイはダウンタウンから引っ越し、今では工場に住み込みながらから勉強に励んでいた。そのため、チームのメンバーのその後を気にかける間もなく一年が過ぎ、二年目を迎えようとしていた。
「ココちゃんも言ってたもん。『トーイ君、何してるのかなあ』って。あの子も喜ぶよ、きっと」
「ココには挨拶もしないで勉強会、行かなくなっちゃったから……」
「気にしてないよ。来なくなったのはダウンタウンを出ていったか、或いは死んだか」
「…………」
「死んだって話は聞かなかったからね、きっと何処かで勉強してるんだよってココちゃんと話してたんだ」
「すみません」
「あやまる必要ないじゃない。君はいい意味で街を出ていったんだから」
「ベルさんは……どうなんですか?」
「何が?」
トーイはベルの博識さこそ、上に上がる価値のあるものだと思っていた。以前、彼自身からも将来は建築家になりたいという言葉を聞いていたし、チームが無い今こそ、自分同様に学校に行って専門の教育を受けるべきだとも。
「まぁ、僕もいつかは街を出て行くかもしれないね。でもローリングタウンが変わっていくのも見てみたい」
「変わっていく?」
「そのうち面白い事があるかもしれないよ。楽しみに待っててね」
そう言ってベルは去って行った。
(面白い事って何だろう?)
屋上で寝転びながらトーイはふと思った。
(スタジアムぶっ壊した時みたいな事考えてるのかな?)
ダン・JDが逮捕され、収監された原因となったスタジアム破壊事件——それはローリングタウンの人々にとって衝撃的な出来事だった。
「ビッグフットが飛んだんだ」
「ビッグフットがドリブルした!」
「何がすげえってルールをぶっ壊したんだ。スタジアムなんかついでだよ!」
そんな声が街中に溢れた。
ビッグフットとは、トーイの目の前でアパートを取り壊している二足歩行の作業機械の事である。自動車に特殊なユニットを組み合わせる事で、人々は比較的に簡単に機体を手に入れる事が出来た。驚くべきことに、そのユニットは車一台よりも安価であり、少々頑張れば働き者の若者ならば買う事が出来ることだった。ただし、適性審査に受からなければ金持ちでも手に入れる事は不可能で、例え乗り込んだとしても機体はウンともスンとも言わないという魔法の機械だった。月のルナテック社が軍事開発のモニターのために、ほぼ無償でユニットを放出しているからだという話もあるが、そんなことはトーイにとってどうでもよい。
(逃げればいいのにダンはダンクにこだわった。バカだよなあ)
ビッグフットでダンクを決めようとしたダンは失敗し、その場で捕まった。
(ホント、あの人はダンクにこだわる)
ダンは小さい体ながら、そのバネを生かしてダンクを良く決めた。沸き返るギャラリーをよそに、ダンはいつも舌打ちした。
「まだだ、もっとだ!」
以前、トーイがダンに舌打ちの理由を尋ねると、ダンは口をとがらせこう言った。
「もっとすげえダンクを決めてえんだ。誰も見た事もない、俺も見た事もない」
「見た事無いんじゃ、決められないじゃないですか?」
「いや、何かよォ、感じはあるんだ。頭の中でこうモヤモヤって……ドカーンとかピカーッとかしてるんだけど、よくわからねえ」
「ドカーン?」
「おう、例えて言えば、『月にダンク』だ」
(月にダンクねえ……)
結局ダンは凄いダンクを決められないまま刑務所に入った。ダンがダンクにこだわる理由は、妹のココの事故が原因だと言う人もいる。ダンがココとの練習中、ダンクに失敗したボールをココが拾いに行って解体作業中のビッグフットに踏まれてしまった。ダンがダンクさえ決めていれば事故に遭わなかった、それを悔いてダンはダンクを決めるんだ……そんな美談めいた話を聞いてトーイは思わず鼻で笑った。
(そんなわけねえだろ)
ダンはバスケが好きだ。バスケで成り上がり、街を抜け出そうとしている。そのようにトーイには見えた。そんなダンが敢えてビッグフットバスケに乱入すること自体、彼には理解不能だった。
(ダンは訳わからねえ。だけどそこがいい)
そしてベルの言葉が再び頭をよぎる。
「そのうち面白い事があるかもしれないよ。楽しみに待っててね」
(ダンに関係あるのかもしれない。面白い事……)
ダンの起こした事件以来、ストリートではボールを持つビッグフットが増えた。フリースタイルと称してハンドリングやドリブルの技量の優劣を決める遊びも僅かながら流行していた。トーイはスタジアムでのダンの乱入は見ていない。あの時はちょうど、ガンツにもらった金で買った本を夢中になって読んでいた。気がついたら夜が明けて、朝に眠ったトーイがダンの逮捕を知ったのはその日の夕方、街頭テレビのニュースだった。
(ダンがビッグフット? あり得ねえ)
ダンはビッグフットを嫌っていた。ココの足の事故もビッグフットの誤作動のため、ということだったし、自分の体を動かすのが好きなダンが機械に乗ること自体、トーイには信じられなかった。しかし実際ダンはスタジアムを壊し、逮捕された。トーイは以来、わだかまりを持ちながらもダウンタウンを出た。
(何か裏切られた感じだよな)
風の噂にチーム・ダンガンが解散したことを聞いたが、トーイにはさしたる感慨も無く、工場の仕事と勉強の両立に夢中になっていった。バスケのボールを手にする事も無くなった。
× × ×
夜になっていた。トーイはうっかり眠ってしまったらしい。
(昨日のシフト、キツかったからな。しょうがねえなァ……)
アパートはすっかり解体されて、後は壊した壁や屋根を運び出すだけになっていた。夜空にはムーニーズがきらびやかに輝き、昼間のアイドルグループのPVを空中モニターに投影している。
「またかあいつらか……」
トーイは舌打ちをすると起き上がる。
(折角の休暇も居眠りでおジャンか。さて、どうする?)
チーム・ダンガン時代は顔パスで酒も飲めたが、今ではただの工員、金がかかる。
(しかも俺、まだ未成年じゃん)
一人苦笑いすると、トーイは本を取り出した。ベルと出会った本屋で買ったのは受験用の参考書だった。
「こっちの方が書き方が親切だよ。応用よりも基礎をちゃんとやった方がいいからね」
ベルの勧めで買った参考書は成る程わかりやすい。月の明かりを頼りにトーイはしばし読みふける。
(ホントわかんねえなあ、ベルにしてもダンにしても)
なおもトーイは考える。
(結局、俺はあの人達に憧れていたけれど、あの人達みたいにはなれねえな。俺は違うんだ、きっと)
それがわかっているからこそ、ダンはトーイをチームには加えず、ガンツは『本を買え』と金をくれた。
(だから俺は……ローリングタウンを出て行くんだ)
参考書の続きは下宿で見る事にして、トーイはひとまず繁華街に出た。酒はともかく、まずは空腹を満たしたかった。
「あっちだ!」
異変がそこにあった。
(?)
走る人がいる。一人、二人、もっと沢山の人々が走っている。
「ダン・JDだ!」
「ダンがビッグフットで!」
口々に叫ぶその声を聞いて、また新たに人々が走り出す。
(ダン? ビッグフット?)
思わずトーイも走り出していた。
人の流れは角を曲がり、ガードをくぐる。その先に見えたものは、ビルの向こうで躍動する影だった。
(人?)
しかしその影はビルの貯水タンクほどの大きさに見える。影は三つ。跳躍し、ボールを放ち、そして走る。
(ビッグフット?!)
しかしそれは、トーイの想像するビッグフットの鈍重な動きではなかった。
(もっとはっきり、もっとよく……)
もっとよく見える位置に行こうと、更にトーイは走った。
(高いところ……)
見当をつけてビルの非常階段を昇る。
(あそこなら、どうだ?)
向かいに飛びつき、よじ登った先は広告塔の上だった。ここなら『現場』がよく見える——
「あ……」
トーイは呆けていた。彼の目の前で行われていたのは、バスケだった。しかも巨大なビッグフットによる、紛れもないバスケ。赤青黄色の三つの機体が入り交じる。
(あれは……ドリブル?!)
ハンドリングは正確。軸足は独特のリズムで左から右へと切り替わり、相手を挑発する。
(あのビッグフット……ダンだ!)
赤いビッグフットのチェンジングロールからの急加速。それはダンの得意技だ。しかし相手は執拗に付いていく。
(巧い!)
赤い機体に食いつくのは黄色い機体。どんなに赤が早く動いても同等か或いは一足早くマークする。
「すげえ!プラチナの疾風!」
そんな声がギャラリーから上がる。
(そうか、あの黄色いのはプラチナの疾風っていうんだ)
黄色いビッグフットは軽快。ダンの機体と思われる赤いビッグフットが突進型だとすると、鋭く巧妙に相手を攻めていく。
(だけど強引さが無いな。それじゃダンを攻めきれない)
しかしそこにもう一機、青いビッグフットが介入する。ぐいっと赤いビッグフットの進路に割り込み、半ば強引にドリブルしていたボールをはたき落とす。
(すごい!)
弾んだボールを追う三機。ビルの三階に満たないくらいの大きさではあるが、跳んで跳ねると大きさが二倍にも三倍にも感じられる。
(……これは三機のタイマンなんだ)
トーイは見入る。彼はいつしか地上に降りて三機を追っていた。見上げる先には巨大な機体が躍る。
(ひょっとして、踏みつぶされる?)
一瞬そう思うものの、トーイは走る。そのボールの行き先、そのプレーの果てにどんなプレーが待っているのか、彼はひたすら見届けるべく走った。
(すげえ、すげえ、すげえ!)
同じようにビッグフットを追いかける人々がいる。彼らも一様に口元を緩めながらも必死に三機を追いかける。
(あいつらも……俺と同じだ……)
そのうちの一人の男と目が会う。
(お前もか? お前もそうなのか?)
そんな男の眼差しにトーイも応える。
(ああそうさ、俺も見届ける)
戦いはいつしか住宅地区に入った。寝入っていたはずの真っ暗な地域が今は煌々と明かりがともる。窓からベランダから、人々が三機の戦いを見るべく身を乗り出している。その人々の熱気に、トーイは身震いした。
(ああ……)
人の知恵を込めてボールは弾む。同様に人の熱気を込めてビッグフットは動いている。トーイはふと、ダンのやりたいことが何となくわかったような気がした。
「警察だ!」
僥倖はサイレンによって破られる。殺到するパトカーに人々は蜘蛛の子を散らすように逃げ去った。家の明かりも次々と消え、三機のビッグフットも屋根を跳び、路地を走り暗闇に消えた。
(わかったよ。わかったよ、ダン)
現場から走り去りながらトーイは思った。
(あんたの『すげえダンク』、楽しみにしてるぜ!)
この後、トーイは街を離れ、学徒となる。『すげえダンク』を目の当たりにするのは意外と間もなくだったりするのだが、それはまた別の話。
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(発売・販売元:ポニーキャニオン)