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きっかけのきっかけ

平成じゅうに片付けようと思っていた仕事が一件、令和の声を聞きながら終わりました。かくしてメールを送信。反応は休み明けだろうしというわけで、安心してGW後半をたんのうしようとした矢先。何故か我が家の扉のノブに某社の作品の絵コンテの入った手提げ袋がぶら下がっておりました。いやいや、打ち合わせしてないし! ひょっとして新手の営業? というわけで、某社のプロデューサー氏にメッセージを送って確認。やはり間違いでした! せっかくなのでこちらから仕事の営業をしておきましたが(笑)。

これで思い起こされるのが、初めてマッドハウスの仕事を受けることになったいきさつです。1998年10月のある日、新居への引っ越しも終わって次はどこの仕事をやろうかなあと考えていたところ、友人の桜井弘明さんから携帯(当時はまだガラケー)に着信。なにげに「はい、サトウです」と出たところ、「マッドハウスの丸山でーす、初めまして!」と明るい声が。丸山さんとは丸山正雄さん。数々の名作を世に送り出している大プロデューサーです。マッドハウスは当時、南阿佐ヶ谷の青梅街道沿いにあり、その前を通る度に「まあ、いつかこんなスゴいところで仕事が出来たらいいなあ」とスタジオの入っているビルを仰ぎ見たものでした。

(一体何故、〝あの〟マッドの丸山さんが桜井さんの携帯で?)

けげんに思う僕に、丸山さんがあっけらかんと言いました。

「 佐藤君、サクラ大戦の監督やるってホント? (ニコニコ)」

(いやいや、それってマッドハウスさんの作品じゃないですか!)

どういうわけか、僕がサクラ大戦の監督をやるって噂が出回っていたそうで、『十兵衛ちゃん』の打合わせ中、その話題になり「それじゃあ今、サトタツさんに電話しましょう」と桜井さんが僕の携帯にかけたとのこと。

「僕にもちょっとわかりません。以前、TV局のプロデューサーと会食した時に、同席していた音楽メーカーの某氏が『次はこいつでサクラなんてどうです?』みたいなこと言ったんで、それが何だかねじ曲がってそちらに伝わったとか……」

確かそんな感じで弁解というか言い訳に懸命な僕をよそに、涼しい声で丸山さんはこう言いました。

「せっかくだからさ、十兵衛ちゃんの絵コンテやってよ。大地さんと桜井さんのオリジナル作品だしさ、いいよね?」

「……ああ、もちろんです(安堵)」

みたいな感じでマッドハウスとの縁が始まりました。そしてそのまま『学園戦記ムリョウ』の企画へと繋がることになります。

今回の〝間違え〟も何かの縁になればいいですね。

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佐藤竜雄
読んで下さってありがとうございます。現在オリジナル新作の脚本をちょうど書いている最中なのでまた何か記事をアップするかもしれません。よろしく!(サポートも)