高校時代 男子校とバンド
同じ中学からの友達も多く、家から徒歩10分と好立地だったので、あまり深く考えずに、塩竈男子高等学校に入学した。
高校になると、また中学とは違った世界観のジャンプが起こった。
当たり前だが、男しかいないのである。
そして隣町から屈強な奴らが集まっていて、落書きのない鈴蘭高校のようだった。
入学して少し経った、5月あたりに体育祭があった。
おそらく親睦を深めるためのイベントなんだと思うが、このイベントが1ミリも盛り上がらない。
なぜか?
「女子がいない」からである。
学生時代は身体能力を異性にアピールする快感があると思うが、女子がいないと誰のためにやっているのか理解できない状況になる。
混乱するのである。
結局のところ体育祭とは、気になるあの子を密かに応援する、友情の殻を被った「恋愛エンターテイメント」なのだ。
体育祭を終え、入学してたったひと月で男子校に来てしまった自分を呪った。
高校では野球はやらず、天体観測部(帰宅部)に身を置き、バイトしながらバンドでドラムをやりたいと思っていた。
中学時代はドラムやってる奴なんて周りに居なかったが、世界には進んでる奴がいるもので、すでにメロコアバンドをやっているグループが同級生にいて、そのドラマーの家にドラムセットがあると聞き、遊びに行った。
そのバンドは、ドラマーの兄貴がベースで、もう一人の同級生がギターボーカルだった。
そのメロコア兄弟の部屋は、生ドラムにベースアンプ、ギターアンプが装備されており、よくある普通の集合住宅地の中で、なんの悪気もなく、ありえない程の爆音を奏でていた。
アメリカ西海岸のガレージのようだった。
幸い、我が家も中3の時に家を建てたばかりだったので、速攻で親を説得し、「バンやろ!」の通販で、TAMAの8万円のドラムセットをローンで購入し、本格的にドラムを始めるのである。
高校1年の夏、初めてミッシェルのライブに行った。
このライブが今では伝説となった「SENDAI ワッセ」のライブだった。
コンサートには行ったことあったが、オールスタンディングのライブに行ったのは、この時が初めてだった。
しかも小さなライブハウスではなく、1000人規模のオールスタンディング。
そして結果から言うと、会場が建物の3階だったので、ありえない程揺れ、
釣っていた照明が落下してきて、3曲ほどでライブが中止となった。
その3曲を最前列で見ていた俺たち3人は、後ろからくるオーディエンスの圧と柵に挟まれて、死にそうになっていた。
オールスタンディング童貞(実生活も童貞)だったので、身を委ねる事をせず、頑なに、強がって角を守っていた。
この時に、オールスタンディングは最前列で見るものではないと深く理解したと同時に、3曲で全ての体力を使い果たしていたので、正直、延期になってくれてホッとしたのを覚えている。
その時期から本格的にミッシェルのコピーバンドを始めた。
メンバーは、中学からの同級生で、バスケ部を早々に辞めて、ニルバーナとイングウェイのコピーをひたすらしていた、ギターの武田。
仙台から来た、スレイヤー好きだったが、何故がミッシェルが好きになった、チョッパーも出来るギャル男、ベースの後藤。
隣町、多賀城から来た、親父が音楽居酒屋のマスターで、その親父にビートルズとクラプトンをしこたま聞かされて育った、ボーカルの一真。
と自分(ドラム)の4人で、ミッシェルの曲を片っ端からコピーし始める。
特に、イベントのために曲を仕上げる!と行った感じでもなく、ただ、ひたすらにコピーしていた。コピーしてない曲の方が少ないんじゃないか?位の勢いでコピーしていった。
当時のテンションやモチベーションは、あまり覚えていないのだが、一言で言えば、純粋にミッシェルのようになりたかったんだと思う。
ミッシェルバンドやっているのが僕たちのアイデンティティだった。
そして1年後、男だらけの文化祭で、無事にライブをかましたのである。
※ガマ高祭にて!