MAXについて
一生に一度のセンシティブな「童貞時代」
この一番めんどくさい時代に、身近な人ではなく「アイドル」に恋をしてしまった。「この時代だからこそ」とも言えるのかもしれない。
ちょうど中学から高校に上がる春休みのタイミングに、友人のお姉ちゃんが、MAXのコンサートチケット、友達が行けなくなって余ってるからあげるよと言われ、頂き物のチケットでコンサートを見に行った。
その時は、なんとなくMAXの存在は知っている程度で、彼女たちの音楽にはまだ触れていなかった。
そのコンサート時の事を、マジマジとは思い出せないが、一つだけ鮮明に覚えている事がある。
なんとなく、一番かわいいなと思って見ていた、レイナと目があった事である。(勘違い)
目が合う=こちらを認識してくれた=恋に落ちたのである
そして、同じく一緒に行った友達達も同じ感覚におちいり、このまま1年半程の青春をMAXに捧げるのであった。
MAX好きのメンバーは、同じバンドのギターだったリナ担当の武田と、ミーナ担当の稲村、そしてレイナ担当の私の3人で構成されていた。
そいつらとは四六時中一緒にいて、週末は家に泊まりながら、ミッシェルやニルバーナの映像を見て、飽きてきたら、MAXのLIVEビデオや当時、彼女達の主演映画「レディースMAX」通称「レディマ」をみては、その映画のワンシーンをモノマネする遊びをし、その繰り返しを永遠とやっていた。
また当時、掲示板のような、今でいうヤフオク的な雑誌があり、その雑誌で
「MAXの録画ビデオ売ります!」的なものにも手を出し始めた。
当時のテクノロジーを駆使し、MAXの全てを知ろうとした。
そのMAXコレクションの中でも、僕たちのお気に入りの番組が、
MAX(当時スーパーモンキーズ)が沖縄から上京してきて、合宿していた街に戻るという企画だった。
その街に、僕たち3人は巡礼の旅に出た。
擦り切れるほどみた当時の彼女たちが育った「土地をめぐる旅」
とても清らかな、真夏の旅であった。
だがこの時期、少しずつ、現実に向き合わなければならない時期に差し掛かっていた。周りの友人達が、徐々に「大人」になっていくのを肌で感じていた…
この時代、よく聞いていたのが「MAXIMUM Ⅱ」というMAXのアルバムだった。このアルバムによって、今でこそよく聞く、ブラックシュージックの素地をステルスインストールされていたように思う。
そして昨今のKPOP勢を無視できないのも、きっと、ダンスパフォーマンスや歌でエンターテインする「アイドル」という存在に、心踊らされた経験があるからなんだと。
MAXのライブMCで、よく「MAX届いてる〜?」
という定番のMCがあったが、鬼のように届いていたと、今、改めて感じるのである。
そして、その「MAXIMUM Ⅱ」のプロデューサーは、あのエイベックス会長のMAX松浦氏である。