「いのちの深呼吸」を観て 2018/9/5
映画「いのちの深呼吸」を観てきました。
自殺念慮の人(自殺に傾いた人)を救おうと活動している、ある寺の住職の話。
彼は、若い頃は不良で、24歳の時のバイク事故で生死をさまよった経験から、遊んでいることがバカバカしくなり、新聞記事に出ていた「住職募集、未経験者可」という求人広告を見て、住職になったとのこと。
彼の叔父さん始め、3人の近しい人の自殺を経験したことから、自殺念慮者を救う活動を始めたらしい。
心臓に爆弾を抱えながら、昼夜を問わず、電話、メールで相談を受け、時には、バイクや新幹線で遠方まで自殺念慮者に会いに行く。
すごい行動力とエネルギーだと思う。小さな子を抱えながら、彼を理解し、支える奥さんも素晴らしい。
ただ・・・彼の眼つきには生気がない。そして、自分に小さな子がいるのに自殺念慮者と夜中まで酒を飲み、カラオケで歌い、クラブで踊るというのは、ちょっと常軌を逸していると思った。不良時代の痛い写真を映画で披露していることも、もともと目立ちたがりなんだろうな、という感じがした。
一緒に映画を見た後の友人たちの感想は、「たぶん、彼自身が病んでいる」「相談を受けることに依存している」「彼の聴き方では、自殺念慮者の自発的な生きる力を導き出せない。共依存になっているだけ。」といった感じだった。
痛烈だけど、映画を見たかぎりでは、なるほどそうだなと思った。
自殺念慮者の相談を受ける場合、目指すのは、その人が独り立ちすることであって、人への依存によって生きることではないだろう。
この映画における彼のやり方では、自殺念慮者は彼に依存してしまう、そして、彼自身は気づいてないかもしれないけど、彼は、自殺念慮者(又は彼らの相談に乗る行為)に依存しているように見える。
これでは、相談した人も、彼自身も、彼を信じている彼の家族も救われないような気がする。
しかし、マスコミは、そういう奉仕活動をしているということを美談にしがちだ。
この映画で、自殺念慮者自身の生きようとする力をどう引き出しているのか、どう独り立ちさせていくのか、を見てみたいと思ったのだけど、ちょっと期待していた内容ではなかったのは残念だった。