〜大切な信仰を世の中に明かしたい〜 信教二世インタビュー#3 たかはし・まゆ
信仰をもつ二世信者「信教二世」をインタビューするシリーズ第3弾です。今回は、家庭連合の信仰を持つ高橋真由さんにお話しを伺いました。
神様が私を待っていてくれた
──幼少期から教会の活動を頑張っていたそうですね。
保育園の頃はシールが欲しくて教会に通っていました(笑)。小学3年生くらいの時には教会の合唱に誘われて、音楽は嫌いじゃなかったので合唱団に入って活動していました。
印象的だった出来事は、6年生の時に参加した修錬会でスポーツをした時のことです。班ごとに目標回数を決めてバレーボールのトスをする「統一バレー」というチャレンジがあったのですが、私の班だけその目標に届きませんでした。私たち班員は「残念だったね」くらいで終わったのですが、班長が「私のせいで、みんなに勝利を味わわせてあげられなくてごめんね」と謝っていました。別に班長が悪いわけじゃないのに、私たちに「本当は勝たせてあげたかった、申し訳ない」と自分を責める姿が、私の中での神様と重なったんです。神様も子供である人間を幸せにしたいけれど、それができなくて申し訳ないって言われているように感じました。班長を通じてそんな愛を感じて、涙が止まらなくなりました。それが私にとって、教会で熱心に活動するようになった一番大きなきっかけだったと思います。
──学生時代の思い出は?
毎日の日記を中1から高3までの6年間ほとんど欠かさずに書いていました。中高生期も教会の活動は頑張っていて、修錬会に参加したり、教会でリーダーの役割を担ったり、スピーチ大会に出場したりしました。
教会の同期たちとすごく仲が良くて、「兄弟姉妹」の文化ってとても良いものだと思います。本当に良かったなと、今でも思い出しますね。
また、中学と高校で吹奏楽部に所属して、部活動にも励んでいました。
──信仰生活や教会が嫌になったことはありませんでしたか?
吹奏楽部の大事な大会と修錬会(教会での研修会)が重なった時はすごく悩みましたが、その時は指揮者をしていたOBの先輩に、自分の信仰や修錬会に行きたいことを打ち明けました。1年で一番大事な大会だったので、悪く思われるかなとかダメって言われるんじゃないかなとか不安でしたが、先輩は「そういう大切にしていることがあるならいいよ」と受け入れてくれました。
それから、高3になるくらいの頃、「二世じゃない方が良かったのかな」と悩んだこともありました。なぜかというと、二世は男女間で付き合ったらダメと分かっていたのですが、高校で周りの人を見るとすごく仲良く楽しそうにしていて、いいなと思ったからです。私も二世じゃなかったら好きにできたのかな、と寂しくなりました。
でもその時ちょうど、大学受験のための修錬会があって、あんまり行きたくないなと思いつつ行ったのですが、そこで神様との出会いに立ち返ることができました。16時間連続で勉強するチャレンジがあって、途中まではめちゃめちゃ長いし大丈夫なのかなと思っていたんですけど、終わった瞬間に「神様がずっと手を広げて私のことを待ってくれていた」という感覚に包まれました。こんな私でも信じて待っていてくれて、「来てくれたんだね」と言っている神様を感じて、涙が止まらなくなりました。
だから一時の自分の感情で楽しい時期を過ごすんじゃなくて、永遠に愛し合える人を神様がちゃんと準備してくれていることをもう一度思い返して、そのために頑張ろうという思いになれました。
──大学には看護師を目指して進学されたとか。
進路に悩んでいた頃、道端で人が倒れているところに2回くらい遭遇したんです。その時、目の前に大変な人がいるのに自分は何もできないことがすごくもどかしくて、看護の道が見えました。貧困や飢餓で困っている人を助けるために世界へ行きたいという希望もあったので、看護師のスキルを持っていたら役に立つだろうし、別に病院だけじゃなくて日常生活や地域でも人のために使えるスキルだと思って、看護師になれる大学を受験しました。
でも、大学に入って二世の仲間たちと一緒に寮生活をしてみて、目指す方向が変わりました。一人っ子だった私にとって、いろんな人と一緒に暮らす寮生活は新鮮でした。お互いがために生き合う空間はとても居心地が良くて、神様が私をここに呼んだんだと思いました。
大学で4年間勉強して、看護師の資格も取得して卒業できましたが、他に自分にしかできないことがあるんじゃないかと考えて、看護師の道へ進むのは一旦辞めることにしました。
信仰を受け入れあえる日本に
──家庭連合がバッシングを受ける中で最近、街頭演説に立たれたとのことですが、不安はなかったですか?
怖いなという思いは少しありました。でも怖いからと言って何もやらなかったら、それはそれですごく悔しいと思ったので、マイクを握ることに決めました。
街頭演説を聞いて、感動して教会に来てくれた人もいたんです。統一原理も聞いてくれました。
──世間に伝えたいことは?
文総裁ご夫妻の業績は、自分たちのためや家庭連合を大きくするためではなく、神様を中心とした幸せで平和な世界にしたいと思って歩んできたものです。それがバッシングされているのは、すごく悲しい。私たちが大切にしている真の御父母様(文総裁ご夫妻)や統一原理の教えがどんなものなのか、きちんと知ってほしいです。
解散したくないとか家庭連合を守りたいという思いもありますが、献金集めの団体じゃなくて本気で世界や日本の平和を願っているし、本当に喜んで信仰している人もたくさんいるし、人々の幸せを誰よりも大切に思っていることが伝わってほしいです。
地域のためにやっているボランティアや、お祭りで踊ることさえもできなくなってしまっているから、そういうことがまたできる日本になってほしいです。
どんな信仰を持っている人も持っていない人も、「そういう思想を持っているんだね」ってお互いに理解し合って、受け入れ合えたらいいのになと思います。
──街頭演説をして信仰を明かしてから、お友達や周りの人たちとはどんな関係を築いていますか?
以前から私の信仰を明かしている友達は何人かいるのですが、反応は二分化していますね。ずっと変わらずに連絡を取ったり会ったりしてくれる子もいる半面、「今まで仲良くしていたのも勧誘目的だったの?」と言って連絡が途絶えてしまった子もいます。
私が信仰を持っていることを受け入れてくれている子とは今でも一緒に遊びに出掛けますし、ある友達は統一原理を聞いて「また講義を聞かせて」と言ってくれます。
──文鮮明・韓鶴子総裁夫妻への印象は?
どちらも敬愛しています。
お父様(文鮮明師)が聖和(逝去)された時、私は小学6年生でした。直接お会いしたことは一度もありませんが、聖和された後、毎日教会で涙しながらお祈りしていました。
お母様(韓鶴子総裁)は何度か名古屋に来られて、合唱を披露したこともありますし、韓国でも何度かお会いしました。お姿を見るだけで涙が溢れます。
ご夫妻の生涯について学んで、どれだけ悲惨な環境でも一番に神様を愛し、恩讐さえも赦し愛した姿に感動しました。この方々は本物だと思いました。今ではご夫妻の、神様や全人類を想うお気持ちを感じて涙することも多く、慕わしい気持ちが溢れています。このような思いが湧いてくるのは、両親が私のために祈ってくれていたことや、私自身が先祖の思いを受け継いでいることもあるのではないかと思っています。
親への感謝が深まった驚きの事実
──ご両親はどんな方ですか?
父も母も、気遣いができる人です。母は、私が友達と遊びに行く時にはきちんとしたお菓子を買って、わざわざ持たせるような人でした。中学時代は朝練で毎朝早かったんですけど、いつもお弁当を作って車で送ってくれていました。相手のために行動することは、母から教わったと思います。
父は、どんな時も私を肯定してくれる存在です。怒られた記憶もないし、やりたいことをやらせてくれたし、いつも笑顔で私の味方をしてくれていた気がします。
特に大学に入り親元を離れてから、親が本当に無条件の愛を注いでくれていたことを痛感しました。
でも実は半年ほど前、私が養子だということを両親から告げられたんです。
──驚きませんでしたか?
びっくりはしました。でも、小学校低学年くらいの頃に自分の母子手帳を見つけたことがあって、名古屋で生まれたと思っていたんですけど住所が福岡県と書いてあったのと、一人っ子のはずなのに兄弟の欄に3人書いてあったのを覚えていました。小さい時だったからあまりよく分からなかったのですが、親から告げられた時、自分の中でつじつまが合いました。
もっとびっくりしたのは、産みの親が日韓家庭で、韓国の血が自分に入っていたことです。文先生ご夫妻も韓国の方なので、嬉しいことだなと思いました。
両親はもっと早く言いたかったけど、言い出せなかったと言っていました。でも親に対して悪い印象を持つことは全然なくて、むしろ感謝が深まりました。中高生の時には親に対して「ちょっと放っておいてほしい」と思った時期もありましたが、そんな時でさえも、ましてや血が繋がっていないとしても、変わらずに我が子として愛してくれていたことを思い返して感動し、涙が止まりませんでした。
産みの親や兄弟にはまだ会ったことがないのですが、近いうちに会えたらいいなと思っています。
尽くす喜びを体現したい
──趣味や特技は何ですか?
中高生時代の吹奏楽部で担当していたフルートです。個人でも東海3位くらいは行ったので、フルートはそれなりにはできるかな。歌うのも好きだし、あとはドライブやら。最近は韓国旅行に行くのも好きです。一人で飛行機に乗って、電車とバスを使って知らない土地に行くのが結構好きかもしれない。韓国語は独学ですが、ちょっとだけ勉強しています。
フルートは街頭演説をした時も少しだけ披露しました。マイクの関係で微妙になってしまいましたけど。教会でも演奏したり、バイオリンとデュエットしたりもして、今でも続けていますね。楽器は中学生の時に買ってもらったものをずっと使っています。音楽が好きなのは、小学生の時から教会で合唱をやっていたことが影響しているかもしれません。
──最近新しく始めたことはありますか?
数カ月前から、初めての一人暮らしを始めたんです。最初は寂しかったですけど、だいぶ慣れてきました。両親とは毎日連絡を取っています。
自炊は寮生活でもしていたので大丈夫なのですが、作ってあげる相手がいないので、つい適当になってしまうのが悩みです。いつも鍋料理ばかり作って食べています(笑)。
──将来はどんな家庭を築きたいですか?
幸せなのはもちろんですが、お互いのために生きあって、毎日小さなことにもありがたいなって感謝できて、相手のために尽くすことに喜びを感じる家庭にしたいです。神様の愛があってこその幸せな家庭だということを周りの人にも広められるような実体になれると嬉しいですね。子どもにとっても無理矢理信仰を持つのではなく、両親の姿を見て「自分もこういう道に行きたい」と思えるような、喜んで自然と信仰が継承される家庭がいいなと思います。
編集後記~
真由さんと話していて何よりも伝わってくるのは、ご両親から本当に愛されて育ったのだなということだった。大切にされた人は周りの人をも大切にできるもので、信仰を明かされた友人たちや街頭演説を聞いた人が納得したのも、そんな愛情深い真由さんの人柄ゆえだろう。真由さんの語るエピソードの一つ一つに、いろんな人たちの優しさが詰まっていた。
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