~母が教えてくれた海外宣教の楽しさ~ 信教二世インタビュー#1 さいとう・ゆり
信仰をもつ二世信者「信教二世」をインタビューするシリーズ第1弾です。今回は、家庭連合の信仰を持つ齋藤有里さんにお話しを伺いました。
──まずは家族構成を教えていただけますか?
両親と4人兄弟の6人家族です。私は2番目で、兄、弟、妹がいます。5人目の妹もいますが、養子に行きました。
──家庭連合の二世として生まれ育った中で、幼少期から学生時代まではどのように過ごしましたか?
小学校低学年くらいまでは、親について渋々教会に行っていました。小学6年生ぐらいの時、私がいじめを受けて学校に行けなくなったのと同時期に父が統合失調症を発症し、学校に行っていない私に対して厳しく当たることもありました。
私は教会に行く動機もなく、地方の教会で友人も少なかったので、教会に対してあまり楽しさは感じていませんでした。学校でいじめられていたので、「人間ってひどい」と思っていた時期でもありました。教会で「神の子」とかきらびやかな言葉で、「あなたたちは素晴らしい」と言われても、内心では反発していましたね。
父とも心情的に断絶して、「もう一生父と呼ばない」と決意したほどです。不登校になり、教会に行っても楽しくないし、家にいても父が厳しくて、どこにも居場所がないような状況でした。
中学生になってからは、今度はいじめる側の女子グループに気づかないうちに加担してしまっていました。いじめられる苦しさも知っているし、最低だと思っていたのに、自分もいじめる側になっていたことが本当にショックでした。当時の私は今のように笑っていなかったですし、その時点で人を信じることを大体諦めていたところがあって、教会に対しても反逆者のように生きていたと思います。
高校生になると、気力もなく、毎日起きることも精一杯、日々感動がないので、なんとなく楽しければいいという感じでした。不登校になってあと数日で退学処分というところまでいった時に、恩師や友人に救われてなんとか卒業できました。
憧れの海外宣教~
── 今の齋藤さんからは想像できないようなエピソードですね。教会とも心理的に断絶していた中で、信仰を持つようになるまでにはどんな経緯があったのでしょうか?
社会人になってから、転換点になるようなきっかけが多かったです。仕事は何でもいいと思っていて、毎日ただただ働いてお給料をもらうという生活でした。土日が休みだったので教会に行かない理由がなくなって、日曜礼拝に行った時に説教がすごく面白かったことから、礼拝に通うようになりました。
20歳になる直前に参加した修錬会が、信仰を持つ一番のきっかけだったと思います。真のお父様(文鮮明師)の言葉を講師が伝えてくれて、「あなたたち二世はアボジ(韓国語で父の意、文鮮明師のこと)の子だ」と言われた言葉が私の中に響いてきました。「ようやく帰ってきたんだね」と迎えられた感覚を受けた時に大号泣して、私は二世として生きていいんだと思いました。
── 海外宣教の経験をお持ちとのことですが、行こうと思ったきっかけは?
母が海外宣教に行っていた時期があり、その時のことを本当に楽しそうに話していたのを子供の頃に聞いていました。私にとって、いつの日か宣教に行くことが憧れでした。
実際に宣教に行って分かったのは、伝道って本当に喜んでもらえるものなんだということです。日本でも信仰の子女を持ちたいと思っていましたが、自分にとって大切な友達を導くことで、信仰の過程や献金の苦痛を与えてしまうのではないかという心配がありました。その子にとって本当に幸せなのかなと。
でもアルバニアに行って初めて海外で伝道すると、センター(教会施設)に来て、講義を受けて感動して、「本当に私はこれを聞けてよかった」と言ってくれる人がいました。伝道ってこんな素晴らしいんだ、神様を知るってこんなに幸せなのかということが分かり、毎日伝道に行くのが幸せすぎるくらいでした。
もう一つ分かったのは、お母様(韓鶴子総裁)が「神霊と真理で草創期の教会に変えるんだ」とおっしゃった意味です。「それってどんな教会?」って、具体的に分からなくて悩んでいたのですが、宣教地の教会を見て「これだ」と思いました。毎日原理講義をして毎日伝道に行って、絶対大変なはずだけど、でも嬉しそう。別に裕福でもなんでもないけれど、心情は分かち合える。「この感覚を日本に持って帰れる」と希望を感じました。
── 「宣教は楽しい」と話していたお母さんの気持ちが分かりましたか?
今なら分かりますね。やっぱり海外はいいなって。言葉が通じなくても心は通じるという感覚は、宝だと思います。
伝道は苦手とか怖いというイメージを宣教に行く前の私が持っていたということは、同じような子もいっぱいいるはずです。宣教に行ったことを通して、伝道の喜びを広められる私になりたいと思いました。
── また海外に行きたいという思いはありますか?
行きたい気持ちはあります。でも一度は世界を見た今思うのは、日本を支える人も必要だということです。まだこれから大きくなっていくアルバニアの教会にずっといたくなる気持ちもありましたが、帰国して日本の明かりを見た時に、日本の方が開拓地なのだと感じました。日本でも二世がどんどん来られなくなって、伝道も難しい状況です。私が親を愛せなかったように、親を愛しにくいと感じている子たちがいます。日本もある意味、宣教地です。
「ハグしてから出掛けて!」両親へのお願い~
── お父さんとの関係はどうなりましたか?
祝福結婚に向かうにあたって、今の父との関係ではまずいと思いました。小さい時、母が宣教に行っていた期間は父が本当によく世話をしてくれて、私はパパっ子だったんです。本当に大好きだったからこそ、病気になって豹変した父を受け入れられなかったんだと思います。でも、尊敬している部分はありました。
ある修錬会を通過して、父から愛されなかった寂しさがあったのだと気づいて、それなら私が子女として父を愛せばいいじゃないかと考えが転換されました。帰ってから父に「ちょっと話がある」と言って、「大変だったことをお父さんが全部背負ってくれたと言ったお母さんの言葉の意味もわかったし、本当に感謝しているし、もっと幸せになってほしい」と話しました。父は横になってテレビを見ながら聞いていたのですが、私が大号泣しながら正座して話すので、だんだん姿勢を正して「そうか」と言ってくれました。
── 今の家族との関係は?
修錬会で、夫婦はスキンシップをするようにと学んだので、両親に「仕事行く前はチューして、ハグしてから行ってね。玄関まで私が見送るから」と頼んでみることにしました。私もお父さんにハグをするし、お父さんとお母さんもハグをしてほしいと宣言したんです。
父はすごく嬉しそうでしたね。もともとは両親が手をつないでいるのも見たことがなかったのですが、愛情って表現しないと伝わらないんだと感じたこともあったので。夫婦として向き合う時間が増えたのは、見ていて感じますし、私も嬉しいです。それから、両親だけで写っている写真も増えた気がします。
今は両親と離れて暮らしている分、週に1回はビデオ通話をして、家族で顔を合わせるようにしています。私が発起人で、すでに家庭を持っている兄も入れて、テーマを決めて話します。好きな食べ物や好きな色、今行きたい場所というようなテーマですが、思ったより知らないこともあります。
── そんなご両親の尊敬するところは?
二人とも信仰は強いです。何があっても辞めないし諦めない。父は本当にために生きることが喜びの人なんだなといつも思いますね。子供たちやみんなを喜ばせることをずっと考えている人です。
母は諦めないし、ぶれないし、明るい。母がいなかったら今の私はいないと思います。今は信仰の同志のような感覚もありますね。
笑顔は相手のためにある~
── ご自身の長所と短所は何だと思いますか?
長所は良い意味でも悪い意味でも、考えすぎないことですかね。それから、いつも笑顔だねと言われます。意識して笑顔でいた時期もありましたが、最近は生きているだけで幸せなので、笑顔でいられるのだと思います。
短所は人と比較してしまうことですが、最近はちょっと克服できているかな。あとは時間を守るのが苦手です。時間にルーズなアルバニアが宣教地でよかったです(笑)。社会人としてちゃんとしなきゃ、とは思っています。
── 座右の銘はありますか?
「笑顔は心の花である」というみ言(文鮮明夫妻の語られた言葉)を学生の時に初めて出た修練会で聞いたのが印象に残っています。「一番簡単に他のために生きられる方法は笑顔で過ごすことだ」と言われて、自分の顔は見えないけれど、笑顔は相手のためにあるんだと気づきました。そんな簡単なことでいいのかと感動して以来、意識していますね。
── 将来の夢や目標を教えてください。
食口(シック、家庭連合信徒のこと)のアパート、マンションをつくりたいです。家庭教会になっていく必要があるという話を、ずっと尊敬する大先輩の先生から聞きました。1階にオープンスペースがあって、上の階には食口の家庭が住んでいて、そうすればマンション全体を天国にできるだろうという確信があります。建築士を目指しているメンバーにいずれ相談するつもりです。心を開いて信じ合っている天の文化を築いた私たちの実体は、その地域を天国にできるはずです。
── 将来はどんな家庭を築いていきたいですか?
愛を表現できる家庭、率直であれる家庭、ずっと笑い合える家庭がいいです。愛情表現を恥ずかしがらず、辛いことも苦しいこともあるだろうけれど、全部率直に分かち合って笑って過ごせる家庭にしたいと思っています。みんなが「こんな家庭になりたい」って思うような、仲良し夫婦であり仲良しな家族を築いていきたいです。
編集後記~
「生きているだけで幸せ」と語る言葉のごとく、笑顔を絶やさない有里さん。和気あいあいとした雰囲気の中で、楽しいインタビューの時間を過ごさせていただいた。壮絶な幼少期の心の動きから、ちょっと驚きの家族の習慣まで、ざっくばらんに話す有里さんの持ち前の明るさは、こちらも笑顔にしてくれた。