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よー生きたなあ

17歳。旅立った。
「この子が亡くなる時、自分はどうなるんやろう」
ってよく考えてたけど、実際にその時がきて自然と出てきたのは、

「よう生きたなあ」「ありがとうなほんま」

この二つの言葉と感情やった。


よく食べて、よく走る子でした。

一回どこまで走れんのかな思って、45分くらい本気のランニングに付き合わせたんやけど、それでもずっと走っとった。一度も先頭を譲らなかった。

帰ってからゆっくりしてると、存分に走れて楽しかったのか、やたらと俺の身体をペロペロ舐めてきて、その時は「うっとおしいなあ」思ったんやけど、それが犬にとっての愛情表現と後から知って悪いことしたなあーと、今になって思う。

愛情たっぷりに育ったと思う。ちょっとあほの子やったけど、よく食べてよく走ってよく吠えて、最後は声も出なくなって、たぶん目も見えてなくて、それでもたくさんご飯は食べてて。精一杯に生きたと思う。

色々思い出すことはあるけど、一番出てくる言葉は「よー生きたなあ」って。そんで二番目は「ありがとう」かな。


もう6年くらい前かな。遅めの受験勉強やらで引きこもってた時期があって、そのころよく「こいつが死んだら俺も死にたい」「こいつが死んだら一緒に埋めてほしい」なんて本気で思ってた。夢も希望も、信じるものも大事なものもなかった時期。

それから数年が経って、実際にその時がきた。
そりゃ色々あるけどさ、とりあえず、
今の自分は「生きたい」って思えてる。

ありがとう、ほんま。
結構本気でさ、この子がいなければ俺は今、
「生きたい」なんて思える人生を歩めてなかったと思う。
「生きていてくれるだけで嬉しい」
そんな存在が身近にいるなんて、なんと贅沢なことか。

いっぱい食べて、いっぱい走って、いっぱい吠えて、
そんな生涯やった。愛情もたっぷり受けて、生を謳歌してた。
そんで最後もええ顔してた。俺もそんな風に生きたいわ思ったくらいに。

ありがとう。おつかれさん。よう生きてくれた。
ありがとう。ほんまありがとう。

もう少し遊んでやりたかったとか思うかなーって考えてたけど、
なによりも「よー生きた」って思う。

向こうでもいっぱい撫でてもらえな。
よー生きたあ。ありがとう。ほんま。ありがとう。



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