
大脳辺縁系から立つ香り
毎晩。
悪夢を見る。
フランソワーズ・サガンは言った。
香りとはとびきり野蛮で獰猛な禽獣なのである。それはだしぬけに人の肝を潰す。(中略)人間は香りを使用し、香りを利用していると思いこんでいるが、とんでもないこと。連中の方ではつきあってくれているだけなので、まちがっても人間に支配されるようなことはない。私たちの肌ですらそれぐらいのことはわきまえている。香りは、好きなときに、あなたなら表情を変えるように匂いを変えて、肌からたちこぼれることがよくあるからだ。
この一節から、俺は“悪夢”を想起する。
悪夢の主役は、まさに“禽獣のようなやつら”だからだ。時に、肝を潰されてきた。時に、たちこぼれていったものたちもいた。皆、恣意的だった。
やつらは、俺の中にいる。
日中、どれだけ楽しく過ごせていても、やつらのことを忘れていても、眠りに落ちている時は、あらがえない。
やつらは、やってくる。
未明。
悪夢と現実の狭間から、目を開く瞬間――絶叫する時もある。奇声を発する時もある。怒号を上げる時もある。その場に、やつらがいるかのように、ベッドにエルボードロップをくらわす時もある。
意識があることを認めた直後、たちまち心拍の速さ、強さ、重さに気がつく。呼吸が荒い。胸が苦しい。本当に、さっきまで寝ていたのか――副交感神経が優位であったのか――そう疑いたくなるほどに。
「忘れるなよ」
――扁桃体が、そう言ってくれているんだ。やつらは、危険だった。やつらと類似のやつらも、また同様に危険なはずだ。遭遇した際に対処できるよう、前頭前野と確認する。
胸の苦しさが落ち着いたと思ったら、今度は孤独感が押し寄せてくる。それと同時に香り立つ“何か”がある。
錯覚かもしれない。が、胸の苦しさが落ち着いた分、よくわかる。体は「嗅覚が反応している」と言っている。
それは、色で表すなら、ダスティベージュ。まるで、ヨーグルトのようなテクスチャ。冷たいかと思いきや、冷たくなく、生ぬるい。“心”に縁があるならば、それがゆらゆらと剥がれ落ちそうなフォルム――そんな不確かな感覚。
入り混じってくるように、先程まで見ていた悪夢の映像が、頭の中に流れてくる。吐き気がする。気持ちが悪い。これは、すぐには解決できない。
でも、明日はやってくる。
俺は、悪夢にも孤独にも負けない。
俺は、俺の人生を生きる。
明日は、やってくる。