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道をどう選ぶかより、見えた景色を愛すること

「幸せに生きる」とは、どういうことを意味するのだろう、と考えるようになった。

昔から一人で延々と考え込み、役にも立たないことについて思考を深めるタイプではあったと思う。けれど、「幸せ」とか「幸せに生きる」ということについては、少し考えても、すぐにやめてきた。

それは、「結局、幸せなんて人それぞれだから、考えること自体に意味がない」という結論に、いつも達してしまったからだと思う。それが、ここ数年、特にここ数ヶ月でよく考えるようになったのだ。

おそらくだが、それはChatGPTなどのAIが社会に出てきたことで、将来の見通しがますます不透明になってきたこと、そして何より、息子が大きく育ってきたことによると思っている。息子が大人になった時、世の中はどんなになっているだろう。5年前でさえ、5年後こうなっていたなどと想像できていなかった。

どの親も我が子に望むであろうただ一つのこと。どうか幸せに生きてほしい。運動ができなくても、音痴でも、字が下手でも、勉強ができなくても、モテなくても、給料がいい仕事に就けなくてもいい。ただただ、どうか幸せに生きてほしいものだ。

というふうに考えていくと、やはり一つの疑問に直面するのだ。

「どう生きたら、幸せに生きたと言えるのだろうか」

幸せは人によって異なるから、どう生きたら幸せなのかについて考えること自体に意味がない。私は今も、そう考えている。だがそれでも、息子には幸せに生きてほしいのだ。論理的でなくて結構。兎にも角にも、息子には幸せに生きてほしい。

だから、私は考えてみた。死ぬ間際に、「幸せな人生だった」と感じられる人を集めたとして、果たして彼らの生き方にどんな共通点があるだろうか。

もちろん、そんな実験データがない以上、そのような話もあまり意味がない、とは当初思ったものの、諦めずに考えてみた。その結果、私は一つの仮定に辿り着いた。

そもそも、彼らの生き方に共通点などないのではないだろうか。

仕事であったり、結婚であったり、あるいは自分の趣味であったり、モテであったり。「何から」幸せを得るかは、人それぞれなのだ。

だとすれば、どう生きるか、どの道を選ぶか、どういう道を歩くか、ということには、「幸せな人生」を歩む上で、それほど意味がないのではないか。

これはとても重要である。個人的には大発見だ。「幸せな人生」というものは存在しない。ある視点で考えたときに「幸せに感じる人生」があるだけである。

結婚できなくても悠々自適に暮らして案外幸せと感じることもある。子どもができなくても夫婦の時間をゆっくり確保できて、意外と幸せかもしれない。仕事で目立った結果を出せなくても、上司や同僚に恵まれ社会人生活は幸せかもしれない。

最初はそうでないと思っていても、「案外これも悪くない」と思える人こそが、人生を幸せに生きられるのではないか。自分の手の内にあるもの、得たもの、出会ったものに感謝し、愛し、多くの失敗すらそのおかげで今があると思えるマインドがあれば、「どう生きたとしても」人生は幸せなのではないか。

それは決して諦めや妥協ではない。テストで100点を目指したのに80点だった場合、もちろん100点が取れたら嬉しかっただろうが、80点だったおかげで知ることができた感情もある。そのおかげで新たな友達ができたり、次の試験で頑張ろうと思えたり、そのとき間違えた問題は何年も覚えていたり。100点だった人生では得ることができなかった多くのものを、あなたはいま手にしているとも考えることができる。

もちろん、それは100点だった人も同じである。80点だった人が得ることができなかった多くのものを、100点だった人も手に入れている。それは、その手に何を得たかの違いだけであって、人生の優劣でも良し悪しでもない。価値や意味の有無でもない。

どう生きたとしても人生は幸せ、と言うより、どう生きたとしても「幸せだと思えるのではないか」、と言い直した方がいいかもしれない。「幸せ」という実体はない。人が何かを幸せだと思った時に、初めてそれは幸せになるのだ。これをシュレディンガーの幸福と名づけよう。

人はどうしても、幸せに生きるためにどんな道を選ぶべきかと考えがちではないか。「こんな人生が幸せ」という正解みたいなものがあり、そこに通じる道があると考えがちだと思う。

それより、どんな道を選んだとしても、歩む過程で見える景色を大切にしたい。あとから振り返れば、「これも悪くなかった」と感じられる瞬間があふれているのだ。そして、「あの分かれ道であっちに行っていたらこの景色は見えなかった」と自分の選択を肯定し、おかげで出会えた多くのものに感謝したい。

どんな道を選んだとしても、またどんな未来が待っているとしても、自分自身で選び、歩んできた軌跡こそが、かけがえのない「幸せ」である。

そう、思えるようになった。

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さいすけ
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