日本の男尊女卑についての考察㊷(天皇家についての考察④第十一代②)
こんばんは、いつも読んでいただき
とても嬉しく思います。
前回は第十一代:垂仁天皇
の后で兄と共に
果てた沙穂比売との
悲しき物語をお話ししました。
今回は、そんな垂仁天皇と
サホヒメの子:本牟智和気の
お話を始めさせて頂きます。
ホムチワケは、
成人する年になっても
一言の言葉も発することが
できず、父・垂仁天皇は
とても困惑しました。
垂仁天皇の夢に
大国主が現れ
垂仁天皇に話しかけました。
「我が名は隠世大神にして
国津神の長・オオクニヌシである。
国譲りの時の約束、未だ
果たされてはおらぬのは
如何なるものなりや?
我が望みはただ一つ
其方と同等の宮を
出雲の地に建て
我を祀らばならぬ。
さすれば、其方の息子の
言葉も出てこようぞ。」
そう言われて、目を覚ました
垂仁天皇
翌朝、ホムチワケに
曙立王と
菟上王と
共に出雲の地にて
大きな宮を造り、
オオクニヌシ様を奉って
くるのだと命じ、
ホムチワケ一行は
出雲に向かいました。
一行は出雲に到着し
出雲郷の石硐之曽宮にて
天之菩卑能が子孫にして
後の出雲国造の祖となる
岐比佐都美の歓待を受けました。
すると、その席で突然
ホムチワケは口を開きました。
「川下に青葉の山の如きは
山に見えしが山にあらず
出雲のオオクニヌシ様にして
隠世大王様
を祀る神官の
祭壇ではないか・・・。」
とスラスラと言葉を発しました。
その事と次第を垂仁天皇は
大変喜び出雲の地にて
類稀なる宮殿を建てさせました。
ちなみに、アメノホヒが子孫
キヒサツミはイザナミを
祀る社として
神魂神社を
(島根県:松江市)
建てた人でもあり、
現存する神社は
国宝とされています。
垂仁天皇はこの後
後添えにマトノヒメを
貰い受けますが
マトノヒメの二人めの姉
ウタコリヒメは醜いと言う理由で
親元に返されてしまい
悲しんだマトノヒメも
幾度となく自害をしようと
試みました。
ことごとく失敗し、
とうとう弟国に
到着した頃 湖に入水を図り
命を潰えてしまいました。
垂仁天皇自身は
実生活では
全く報われない感じが
ひしひしと伝わってきます。
日本書紀に至っては
相撲の発祥に大きく
貢献していたり
古墳を作り終えた後の
殉死をなくして埴輪を
考案させたりと
結局は常世国に
あると言われる
トキジクノカクの木の実が
不老不死に効果があると
聞けば、それをタジマモリに
命じて取って来させましたが
結局間に合いませんでした。
とまあ、このように
どこかで聞いたことのある
エピソードがかなり多い天皇
であると言う点も 非常に
興味深いですね。
今回はこの辺で
次回はこれまでの
垂仁天皇に
関するエピソードの
考察を進めていこうと
思っています。
どうもありがとうございました。
次回もどうぞ
お楽しみください。