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第十講 主要エネルギーの変遷と産業革命

地理講師&コラムニスト
宮路秀作

ペリーは「蒸気船」で日本にやってきた

18世紀後半、イギリスで始まった産業革命は、人類史における大きな転換点となりました。それまで人間の労働や家畜、自然界の力に依存していた生産活動が、蒸気機関の登場により機械の力に取って替わられます。

蒸気機関の改良によって、石炭を燃料として活用する産業が拡大し、これが産業と社会の様相を一変させるきっかけとなっていきました。

産業革命の発端となったのは、スコットランドの技術者ジェームズ・ワット(1736~1819)による蒸気機関の改良です。

蒸気機関はもともと炭鉱から水を汲み上げるために使用されていましたが、ワットの改良により出力効率が飛躍的に向上し、多岐にわたる産業への応用が可能になりました。

この蒸気機関は、石炭を燃料とすることで稼働し、これが石炭を主要なエネルギー源へと押し上げる原動力となりました。エネルギーの変遷が自然力から石炭へと変わった瞬間でした。

蒸気機関の実用化により、織物業をはじめとする工業分野では、機械が人間に代わって生産を担うようになります。これにより、人力や家畜に頼らずとも生産性を大幅に向上させることが可能となり、イギリスは「世界の工場」としての地位を確立していきます。

ワットの蒸気機関の普及は、移動手段にも大きな変革をもたらしました。まず登場したのが蒸気機関車であり、1825年にイギリスで初めて蒸気機関車による鉄道が開通しました。

鉄道網の整備はイギリス国内での人や物資の輸送を飛躍的に効率化し、産業の発展をさらに加速させました。また、蒸気機関を搭載した蒸気船も登場し、海上輸送の速度と安定性が大きく向上しました。これにより、国際貿易が発展し、ヨーロッパ諸国が積極的に海外市場へと進出するきっかけとなっていきます。

先述のウィリアム・アダムスとヤン・ヨーステンの二人は帆船で日本にやってきますが、後にマシュー・ペリーは開国を求めて蒸気船で日本へやってきます。この出来事を「エネルギーの変遷」という文脈で理解するのもまた、歴史の一つの「解釈」だといえます。

都市化がもたらした正と負の側面

蒸気機関車や蒸気船による移動手段の発展は、社会に様々な影響をもたらしました。

人々の生活圏が拡大し、農村と都市の間での人の移動が活発になると、都市部では労働力が増加し、産業がさらに成長する循環が生まれます。これが、社会構造の変革をも促し、工業都市が次々と発展していく時代が始まったのです。

こうしてイギリスではロンドンに人口が集中し始め、後に過密解消を目的とした、エベネザー・ハワードによる田園都市構想が生まれていきます。

蒸気機関の普及によって石炭の需要は爆発的に増加しました。イギリス国内では石炭採掘が急激に進み、鉱山地帯が発展していきます。

石炭はその豊富なエネルギー密度から、産業用エネルギーとして極めて効率的な資源であり、機械を動かすための主要な燃料となりました。

ちなみに、ドラマ『名犬ラッシー』の舞台はイギリスであり、主人公ジョン・キャラクローの父親であるサム・キャラクローは、石炭鉱で働く従業員という設定でした。

さて、この急激な石炭使用の増加は、やがて環境問題も引き起こすことになります。

19世紀のイギリスの都市部では、石炭を燃やしたさいに排出される煤煙や汚染物質が原因で大気汚染が深刻化しました。特にロンドンでは「スモッグ」と呼ばれる深刻な煙霧現象が発生し、これが健康被害を引き起こし、多くの人々の生活を脅かしていきます。

このように、産業の発展は利便性を生みますが、同時に新たな環境課題も生み出すこととなり、のちのエネルギー転換に向けた動機づけにもつながっていくわけです。

産業革命による工業力の発展はイギリス国内にとどまらず、国際的な影響をもたらしました。イギリスは大量生産された製品を売り込むため、アジアやアフリカなどに新しい市場を求め、植民地支配を拡大していきます。

この植民地主義の背景には、産業革命で培われた経済的優位性があり、これが各国間の競争を激化させ、帝国主義の時代が幕を開けることになります。

イギリスをはじめとする欧米列強が植民地を拡大する動きは、軍事力を駆使した支配にとどまらず、エネルギー供給の確保にも密接に関わっていました。こうして産業革命は、単なる技術革新にとどまらず、世界規模での経済、政治、社会の変革を引き起こす結果となったわけです。

産業革命は、工業化と機械化によって生産効率を飛躍的に向上させ、ヨーロッパ社会にかつてない繁栄をもたらしました。

蒸気機関が導入され、石炭が主要なエネルギー源となることで、物資の大量生産、遠隔地への大量輸送、そして大量消費へと繋がり、それぞれが孤立していた世界各地が結びつけられ世界は大きく発展していきます。

一方で、産業革命は新たな環境問題や経済格差、植民地の拡大といった負の側面ももたらしました。これが後のエネルギー革命や環境問題への意識の高まりに繋がっていきます。

オイルメジャーが石油産業を支配

産業革命以降、人類はエネルギー源として石炭に大きく依存するようになりましたが、20世紀半ばになると主力エネルギーが石炭から石油へと転換していきます。

この「エネルギー革命」とも呼ばれる変化は、エネルギーの効率化、輸送の容易さ、さらには世界経済の新たな構造を生み出し、20世紀後半にかけて劇的な影響を与えます。

石炭に代わるエネルギー源として石油が注目されるようになった理由は、その燃焼効率や輸送の利便性にあります。石油は、石炭に比べて燃焼効率が高く、より少ない量で同じだけのエネルギーを生み出すことができます。

また、液体である石油はパイプラインやタンカーで容易に輸送でき、石炭のように大量の粉塵が発生せず、搬送設備を必要としないため、工業や家庭での使用が拡大していきました。

さらに、内燃機関の普及も石油需要の急拡大に拍車をかけました。内燃機関を搭載した自動車や航空機は、石炭を燃料とする蒸気機関に比べて効率が良く、都市間輸送や物流のスピードが飛躍的に向上しました。

特に自動車産業の成長は、石油の需要を飛躍的に高め、石油が生活に不可欠なエネルギー源として地位を確立する要因となりました。

石油が主力エネルギー源となる過程で、いわゆる「オイルメジャー」と呼ばれる国際石油資本が台頭したことは見逃せません。

石油の埋蔵探査や採掘には高度な技術と多額の投資が必要であるため、多くの原油埋蔵国は採掘権をオイルメジャーに委ねることとなり、石油市場の支配権が一部の企業に集中していきました。

このようなオイルメジャーの登場は、石油の大量生産、そして価格安定に寄与し、結果として石油の普及が進む要因となっていきます。

20世紀前半には、スタンダード・オイル、ロイヤル・ダッチ・シェル、BPなどが世界市場で石油を供給する主導的な役割を果たしました。これにより、石油は国際経済の中心的な存在となり、エネルギー供給が経済の基盤として安定して維持されるようになります。

この時期から、石油は国家の経済政策や外交戦略にも密接に関わる資源、つまり「外交資源」として大きな力を持つようになっていきます。

20世紀は石油が主導した「石油の世紀」

石油のエネルギー源としての地位が確立したもう一つの理由は、20世紀初頭に始まった自動車の急速な普及、いわゆる「モータリゼーション」の進展です。

1908年にフォードが「フォード・モデルT」の量産を始めたことで、自動車の価格が低下し、一般大衆にも手が届く存在となりました。つまり、第二次産業革命に該当する時期です。これにより、都市生活や郊外開発が進み、人々の生活様式が劇的に変化していきます。

フォードのモデルT

自動車産業は、石油産業との相互依存を強めつつ成長し、石油が家庭用の燃料としてだけでなく、産業を支える主要なエネルギーとして不可欠なものとなっていったのです。

石油が主要なエネルギー源となったことで、多くの利便性が生まれましたが、同時にいくつかの課題が浮上しました。

まず、原油の埋蔵と石油の供給は西アジアなどの特定の地域に依存しているため、産油国の政治情勢が世界のエネルギー供給に直接影響を与えるようになりました。

先述のように、外交資源となったということです。石油価格の変動は、経済の安定に対する脅威となり、特にエネルギー消費が拡大した先進国では、石油の供給確保が重要な課題として意識されるようになります。

また、石油の大量消費にともなう環境問題も顕在化しました。石油の燃焼により二酸化炭素排出量が増加し、これが地球温暖化の原因の一つとされています。

さらに、硫黄酸化物や窒素酸化物などの汚染物質が大気中に放出されることで酸性雨が発生し、森林や水質、建築物に影響を及ぼすことになりました。

このように、20世紀は石油が主導した「石油の世紀」とも呼ばれる時代でした。石油は産業の原動力であり、社会を支えるエネルギーの象徴となりました。

オイルショックで産業構造の転換が進む

しかし、石油が主導するエネルギー多消費型の社会は、持続可能な発展を考慮する上で、一夜にして再考を求められる出来事が発生します。オイルショックです。

1970年代には二度のオイルショックが発生し、エネルギー供給の不安定さが世界経済に大きな影響を与えました。このことが、エネルギーの効率化や省エネルギー化、さらには石油に代わる新しいエネルギー源の探索へと繋がることになっていくわけです。

20世紀も後半に差し掛かると、世界はエネルギー供給の課題に直面します。1973年の「第一次オイルショック」は、エネルギー依存型の産業構造や生活スタイルに大きな衝撃を与え、世界中でエネルギー政策の見直しが急速に進むきっかけとなりました。

1973年、第四次中東戦争が勃発し、OAPEC(Organization of Arab Petroleum Exporting Countries[アラブ石油輸出国機構])が原油の供給削減と価格の引き上げを行ったことで、原油価格が一気に4倍にまで跳ね上がる事態が発生しました。

これがいわゆる「第一次オイルショック」です。石油に依存する先進工業国は大きな混乱に見舞われ、燃料費の高騰が産業界や一般家庭にも広範な影響を及ぼしました。

燃料費の高騰は遠洋漁業を衰退させ、また物流が止まると危惧した国民は、こぞってトイレットペーパーを買いに走るなどしました。こうした出来事は、エネルギー供給の安定が安全保障の一つであるとの認識が高まっていきます。

この影響は各国のエネルギー政策にも大きな変革をもたらし、エネルギー消費を抑えるための省エネルギー対策や、石油依存を減らすためのエネルギー多様化の重要性が強調されるようになります。

1979年、イラン革命をきっかけに再び原油価格が急騰し、第二次オイルショックが発生します。この時期も、産油国の政治的不安定さが直接的にエネルギー供給へ影響を与えたことで、石油の安定供給がもはや確実ではないことが浮き彫りになりました。

この危機感から、各国は石油依存から脱却するための政策を積極的に進め、電力における石油依存度の削減を図るようになります。

日本においても、政府が主導する形で省エネルギーが推奨され、大平正芳首相(当時)が省エネルックを掲げて、半袖の背広を着ていたのはこの頃です。

そして1970年代後半から1980年代には石油代替エネルギーの導入が進められました。原子力や天然ガス、さらには再生可能エネルギーの活用も検討され、こうして「脱石油化」が国策として本格化していきます。

スリーマイル島原子力発電所

オイルショックを受けて1974年に設立されたのが国際エネルギー機関(IEA)です。IEAは、加盟国間でのエネルギー政策の協調や、緊急時の石油備蓄を行う役割を担っており、エネルギー供給の安定化を目的としています。

これにより、加盟各国は石油価格の高騰や供給不足に備え、一定の石油備蓄を確保する制度を導入し、エネルギー市場におけるリスク管理が進むこととなりました。

IEAは、石油の安定供給だけでなく、エネルギーの効率的な利用や省エネルギーの推進も目的としており、これが世界的なエネルギー政策に大きな影響を与えました。

エネルギーを無駄なく使う意識が高まり、エネルギー消費を抑えるための技術革新が進められるなど、エネルギー効率の向上が経済成長と両立するための要素と見なされるようになりました。

オイルショックを機に、石油に依存しないエネルギー源への関心が高まり、クリーンエネルギーの開発が進められるようになりました。特に原子力エネルギーは「クリーンで安定したエネルギー」として注目され、各国で原子力発電所の建設が進められました。

また、天然ガスや再生可能エネルギーの一環として、太陽光発電や風力発電、地熱発電などの研究と導入も進められるようになりました。

一方で、原子力発電にはリスクもともない、特に事故による放射能の影響や廃棄物の処理問題が課題として残っています。

こうしたことから、近年では再生可能エネルギーの利用拡大が求められ、化石燃料を削減しながら環境負荷を軽減する「脱炭素化」の取り組みが進んでいます。

再生可能エネルギーは持続可能な社会を支えるための重要な要素とされ、地球温暖化の抑制とエネルギー供給の安定化に寄与することが期待されていますが、なかなか現実的には「立派すぎる目標」の域を脱していません。

エネルギー資源を巡る世界の動向は、20世紀のオイルショックによって大きく変化し、持続可能なエネルギー供給が今後の課題となっています。

石油を中心としたエネルギー多消費型の社会構造から、再生可能エネルギーや省エネルギーを重視する構造へと変化していくことが求められています。

技術の進歩によって、クリーンで持続可能なエネルギーの普及が可能となりつつあり、こうしたエネルギーの転換は、未来の世代にわたって人類が安定的に発展を続けるために不可欠なものです。


宮路 秀作 地理講師、日本地理学会企画専門委員会委員、コラムニスト、Yahoo!ニュースエキスパート 現在は、代々木ゼミナールにて地理講師として教壇に立つ。代ゼミで開講されているすべての地理講座を担当。レギュラー授業に加え、講師オリジナルの講座である「All About 地理」「やっぱり地理が好き」も全国の代ゼミ各校舎、サテライン予備校に配信されている。また高校教員向けに授業法を教授する「教員研修セミナー」の講師も長年勤めるなど、「代ゼミの地理の顔」。最近では、中高の社会系教員、塾・予備校の講師を対象としたオンラインコミュニティーを開設、地理教育の底上げを目指して教授法の共有を行っている。 2017年に刊行した『経済は地理から学べ!』(ダイヤモンド社)の発行部数は6万4500部を数える大ベストセラーとなり、地理学の普及・啓発活動に貢献したと評価され、2017年度日本地理学会賞(社会貢献部門)を受賞。2023年にはフジテレビのドラマ「教場」の地理学監修を行った。学習参考書や一般書籍の執筆に加え、浜銀総合研究所会報誌『Best Partner』での連載、foomiiにてメルマガを発行している。

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