#17 ”諸行無常”を考える
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」
「沙羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらわす」
●前誠 日本における諸行無常感をあらわす大変有名な一節です。今回は非常に大切なテーマをお送りしますが、皆さまにはリラックスして読んでいただけたらと思います。
○前叶 今日は諸行無常について話するってこと?
●前誠 そう!早速だけど諸行無常というと、なんとなく「いつか儚く消えていく〜」みたいなイメージない?
○前叶 “無常”だもんね。
●前誠 でもね、この諸行無常のイメージっていうのは、間違いではないんだけれども、諸行無常のごく一部だけしか掴めていないんだよね。
○前叶 なるほど。日本の文学とか風土とかの影響が大きいのかも。
●前誠 みなさんに広まっている理解だけだと、諸行無常の奥義を十分に発揮できない!
○前叶 ちょっと待って、今日は俺、聞き役でいいの?
●前誠 たまに逆転するから(笑)
○前叶 OK。楽しみになってきた(笑)
お釈迦さまがショックを受けたこと
●前誠 じゃあ、仕切り直して諸行無常の奥義ってなんなの?っていうところに入っていきたいんだけど。まずお釈迦さまが悟りを開く前の話までさかのぼります。「四門出遊説話」ってあるじゃん?
○前叶 お釈迦さまになる前のシッダールタ王子は、東と西と南の門から出たときに、病にかかった人と、亡くなった人と、老いた人の3つの事象に出会う。
●前誠 そこで、ショックを受けるわけだ。
○前叶 そのショックというのは、老いることとか、病気になること、死ぬことについて、こうはなりたくない…!ってショックを受けたんじゃなくて、人間は必ずそうなるんだけど、その事実と自分の認識との間に距離があることにショックを受けた。
●前誠 そう。自分は必ず老いるし、病気にもなるし、いつか必ず死ぬ。これはどんな人間でも一緒だよね。でもそれが日常生活の中であまりにも見えない…そこにひどくショックを受けるわけ。これはつまり、自分が自分に背いているというか、ある意味では自分が自分の敵になってしまっている感じかな。で、北の門から出た時にあるお坊さんと出会って、出家を決意する。
これを「四門出遊説話」っていうんだけど、これがひとつ大切なポイントなんだよね。
つまり、日ごろ私たち人間が生きているときって、都合のいいことしか考えないじゃない。だから頭ではいつか死ぬ、いつか病気になる、いつか老いるってわかっているけれども、それを遠ざけて日常を生活しているわけ。
○前叶 タブーみたいになっているわけだね。
●前誠 そうそう。見ないようにしているって言ったほうが正しいかな。老いないし、病気にもならないし、すごく元気!オレだけは大丈夫!みたいな。…こういう「理想の自分」を私たちは勝手に形作ってしまうんだよね。
それで、今「理想の自分」って言葉を使ったじゃない。形作られた理想の自分の反対には、老いや病や死を本来的に抱え込んだ「真実の自己」がある。
○前叶 「理想の自分」と「真実の自己」との間の溝が広がれば広がるほど、人は苦にさいなまれるわけだ。
●前誠 そういうわけ。そして、自分たちが都合の悪いことを見ないように理想の自分を作り上げてしまうのは、「サンスカーラ」という形成作用が鍵を握っている。
○前叶 私はこうだっていう自己認知、自己形成してしまう作用のことだね。心の反応みたいなイメージかな。
●前誠 さっき言った「理想の自分」っていうのは、病とか老いとか死とかを見ないようにする自分を「サンスカーラ」が形成してしまっているんだよね。
この「サンスカーラ」の根っこには「無明」っていう煩悩の根っこがあって。無明というのは私たちの根源的な身勝手さなの。この身勝手さのせいで「よくないサンスカーラ」が発動してしまう。
○前叶 理想の自分を作り上げちゃうわけか!
今、この瞬間の奇跡を感じていきたい
●前誠 そしてここからが大切なんだけど、「サンスカーラ」ってたくさんあって1個じゃない。場面ごとに人はいろんな自分を作り上げていくように、たくさんある。しかも一度できた「サンスカーラ」って固定じゃなくて移り変わるの。これが本当の「諸行無常」。つまり「サンスカーラは複数あって、しかも自分はこうだ、っていう形成作用は一定しませんよっていう。これこそが諸行無常」なんだよね。
○前叶 ほう。そしたら「サンスカーラ」を思い通りにコントロールするのはどう? 修行して、「いいサンスカーラ」を発動させ続けたら?
●前誠 それを永続的にできた人っていまだかつて仏陀(目覚めた人)しかいないのよ。サンスカーラをコントロール下に置けたのはお釈迦さまだけ。「サンスカーラ」って思い通りにならないのよ。
○前叶 だから「一切皆苦」っていうわけだね。
●前誠 私はこうだっていう自己形成はなかなかコントロールできない。これが「一切皆苦」。私たちは老病死を本来的に抱え込んでいる存在だけどそれは根源的な身勝手さ、「無明」によって「悪しきサンスカーラ」が発動して受け入れられなく(見えなく)なっちゃうのよ。
○前叶 老病死…みんないつか必ず訪れるんだけどね。
●前誠 そして一瞬でも「いいサンスカーラ」が発動すると、どんな世界が待っているかというと、私たちは今この瞬間生きているっていうことの奇跡に気づける。
今日という日がくるのは、たまたま死の機縁が熟していないだけで、周りの人間が生きている、周りの人間に今日も会える、これって本当に奇跡的なこと。
○前叶 たしかに。
●前誠 普段は忘れちゃうけど、真実の自己と向き合うと「あ、日常ってこんなに奇跡なんだな」って一瞬気づけるんだよね。「有ることが難しい」、これを「有難い」っていうけれど。ぼくたちはこういう「一瞬」を大事にしたい。
その一瞬は、諸行無常で一定しないし移り変わっちゃう。でも諸行無常だからこそ、少しのきっかけで、また善い方に転ずることができる。諸行無常の奥義ってつまるところそこにあると思う。
○前叶 満を持したね。
●前誠 ちょっと力が入り過ぎたかな(笑)
○前叶 なんかさ、「諸行無常」って、言葉の認知ほど意味を考えない言葉だよね。だからこそ曲がって伝わるというか、都合よくというか、使いやすく伝わっちゃったのかな。
俺ね、この「盛者必衰」っていう言葉もすごく好きでね。晩年の清原の前の打順打っているやつが敬遠された時に「清原も衰えるんや」って思ったのが俺の盛者必衰でございます。
●前誠 締めそれか~(笑)
とはいえ、3月は卒業や異動なども多い時期。今この瞬間の奇跡を感じやすい時期かと思います。
皆さまの今この瞬間も、明日もより良い1日となりますように。
○前叶 合掌。