MISIA『平和を願い歌い続ける歌姫』(後編)人生を変えるJ-POP[第20回]
たったひとりのアーティスト、たったひとつの曲に出会うことで、人生が変わってしまうことがあります。まさにこの筆者は、たったひとりのアーティストに出会ったことで音楽評論家になりました。音楽には、それだけの力があるのです。歌手の歌声に特化した分析・評論を得意とする音楽評論家、久道りょうが、J-POPのアーティストを毎回取り上げながら、その声、曲、人となり等の魅力についてとことん語る連載です。
連載の20人目は日本を代表する歌姫MISIAさんを扱います。今年活動25周年を迎えた彼女が歌を通して伝えたいもの、伝えたいメッセージについて彼女の歌手活動だけでなく、歌以外の部分から見えてくるものを掘り下げていきたいと思います。
(前編はこちらから)
声もテクニックも19歳で完成されていた歌姫
歌手MISIAの魅力はなんと言っても確かな歌声と表現力でしょう。デビュー曲『つつみ込むように…』の歌声は既に完成されていると感じます。
当時19歳の彼女の歌声は、現在の歌声と遜色なく、成熟した女性の歌声の響きを奏でています。女性の声帯の器官としての機能は18歳ぐらいまでに完成されると言われていますから、当時19歳であった彼女の歌声が完成されていても不思議ではありません。
ただ、彼女の場合は、歌声だけでなくテクニック的にも完成されていると感じるのです。この楽曲は、典型的なR&Bで、大人の音楽の雰囲気を十分に醸し出しています。
彼女がデビューした当時、1998年頃は、日本では小室哲哉の音楽が全盛期でJ-POPにダンスをコラボさせたダンスチューン曲が主流でした。そういう日本の市場ではR&Bやソウルミュージックを受け入れる土壌はまだ育っておらず、一部のマニアックな音楽好きの人たちが中心の市場だったと言えます。
そんな中、彼女のデビュー曲は60万枚、ファーストアルバムは300万枚という異例の売上枚数になったのです。
その後、彼女は、ソウルミュージックに拘ることなくJ-POPも歌うようになります。
2000年には、ドラマ『やまとなでしこ』の主題歌『Everything』、2009年には、ドラマ『JIN-仁-』の主題歌『逢いたくていま』を、そして、2018年にはドラマ『義母と娘のブルース』の主題歌『アイノカタチ』feat.HIDE(GReeeeN)というように、数年ごとにビッグヒットを飛ばし、その存在を確かな歌唱力と共に披露してきました。
比類なき、超高音域のホイッスルボイスとは
彼女の歌声の特徴は、なんと言っても5オクターヴを超えると言われる広い音域と非常に伸びやかな歌声にあります。歌声は低音域から高音域までミックスボイスが主流ですが、高音部には裏声を主体としたヘッドボイスと超高音部のホイッスルボイスを持っています。
このホイッスルボイスというのは、非常に高い音を出す時の笛の音のような歌声のことで、主に歌のサビや終わりの部分の「あ〜」とか「う〜」というアレンジの高音のフェイク部分に用いられます。ただ、この歌声を持っている人は限られており、女性歌手では、彼女や平原綾香が代表的と言えるでしょう。
彼女の歌声には、さまざまな色が潜んでいます。無色透明に近い響きを抜いた歌声、主に低音部に使われるソフトで幅広い響きの歌声、しっかりした芯を持つビブラートのない中音域の歌声、伸びやかで美しく優しい響きを奏でる高音部、そして、器楽的な無機質の音の響きを持つ超高音域のホイッスルボイスです。
このように音域によって彼女の歌声の響きは変わり、楽曲の幅広い音域のメロディーラインの中で、私たちはこれらの音色の変化を楽しむことができるのです。
彼女は決して高身長ではありません。身長は154センチですから小柄です。
普通、声帯の長さは身長に比例することが多く、背の高い人ほど声帯は長く、小柄な人は短いと言われています。声帯の長さによってその人の音域はだいたい決まると言われており、高身長の人は声が低く、小柄になるにつれて声は高くなる傾向が多いです(もちろん例外もあります)。
そういうことから言うと、小柄な彼女が高い歌声を持っているのは珍しいことではありませんが、彼女の場合は、低い音域もきちんと歌声として持っており、低音域まで歌える声を持っていることが、5オクターヴを超える音域の歌手と言われる所以でもあります。
多くの場合、小柄な人は、低音域を歌うと響きが抜けてしまって空気音になり何を歌っているのか聞き取れない場合が多いですが、彼女の歌声は、きちんとソフトで太めの響きを奏でているのです。
自分の身体の空気すべてを歌声に変える、ロングトーンの魅力
また多くの人が強く惹かれるのは、彼女のロングトーンです(ロングトーンというのは、安定した響きで長く伸ばす歌声のことを言います)。
これは楽曲のサビの最後のフレーズに使われることが多く、綺麗でまっすぐな響きの歌声が延々とどこまでも伸びていくのが特徴です。
このロングトーンについて、彼女は、NHKのSONGSの中で司会者の大泉洋からの「どうやって出しているのか」という質問に対して、次のように話しています。
「あまり息を使わなくて出せる帯域、音程がいくつかあり、その辺りで伸ばしていることが多く、(長く伸ばしていて)ちょっと苦しいかなと思った時には、手とか身体で皮膚が出ている部分からも酸素が吸えるというイメージで、さらにお客さんの声や拍手からもエネルギーを貰って、もっともっとと思って歌っている」
ロングトーンは、自分の身体にある空気を全て歌声に変えていくところの訓練から始まりますが、まさに彼女は身体全体を使って小柄な身体の中に入っている空気を全て歌声に変えているのです。
そうやって身体の中をズドーンと通り抜けた歌声がしっかり芯を持った響きになって耳に届くからこそ、彼女の歌声は心地よく多くの人の感動を呼ぶのでしょう。
彼女の曲にスケールの大きな楽曲が多いのは、このような彼女の歌声の特性を活かした曲が多いということになると思います。
2022年は、ウクライナへのロシアによる軍事侵攻が始まった年でもあり、彼女は紅白歌合戦の紅組のトリで『希望のうた』を歌いました。
幼少時に両親が真夜中でも急患があれば駆けつける姿を見て育った彼女は、命の大切さを誰よりも感じている歌手でしょう。
アフリカの支援を通し、世界に蔓延る貧困や争いを肌で感じながら、「歌を聴いてくれている人が幸せになって欲しい」「楽しんでそのままの気持ちで日々を過ごして欲しい」「ずっと歌い続けられる社会であって欲しい」という願いを込めて歌ったと話しています。
「握りしめているもの 希望というもの 誰にもわたさない 誰にも奪えない」(『希望のうた』より)に平和への気持ちを込めて、彼女は今日も歌い続けるのです。